片桐はいりの 映画&映画館LOVE 172cmのスタイルのよいボディ、つぶらな瞳、極端に張ったエラ、オカッパ頭、奇跡の取り合わせ、唯一無二の存在感
2023年8月15日 更新

片桐はいりの 映画&映画館LOVE 172cmのスタイルのよいボディ、つぶらな瞳、極端に張ったエラ、オカッパ頭、奇跡の取り合わせ、唯一無二の存在感

自称「映画館出身」、名前も「映画館もぎり」に改名したいというほど映画館LOVE。女優としてどれだけ売れようが、決して「もぎり」スピリッツを忘れない片桐はいり。真夜中になるとガラスの靴を履いてカボチャの馬車で姿を消すという。ウソだけど。

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ときに映画館の暗闇には魔が巣くい、怪しい空気が漂うこともあった。
ある日、上映中の劇場から1人の男が出てきて
「息子が具合が悪いといってるんですが、ちょっと外に出してもいいでしょうか?」
と聞いてきた。
一時外出は半券に印をつけることで認められているので、片桐はいりが
「どうぞ、どうぞ」
とニコヤカにいうと、男はズボンのチャックを下ろした。
3階の名画座は、ゲイの発展場(ハッテンバ)で、劇場からトイレまでの通路には同性同士の出会いを求める男たちがたたずんでいた。
片桐はいりたちは、その廊下を
「クリストファーストリート」
と呼んだ。
それはアル・パチーノ主演の「クルージング」で出てくる、ニューヨークにあるゲイストリートの名前だった。
劇場後方も同様で、空席がたくさんあるのに1番後ろで立ち見をしながら、同志を物色。
やがてカップルが成立するとトイレにこもったり、映画の途中で出ていったりした。

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「常連さんの痴漢」
も多かった。
あくまで客なのでサービスに差別はしないが、他の映画館で出会えば対応は複雑で、男性専門の痴漢なら目礼、女性専門なら自分の敵となる可能性もあるし、なにか誤解をされてはいけないので無視。
顔見知りではなくでも
「そういった不届き者」
はわかり、劇場で怪しい影が認められたら、目立つ前方の席に座り、暗闇から伸びてくる手をブロックするために隣の席との間にカバンを置いた。
銀座文化劇場の3階で映画を観るとき、女性は自分1人ということも珍しくなく、危険回避のために父親のお古の背広、ネクタイ、帽子で男性に変装することもあった。
それが原因で何度も女子トイレで騒ぎを起こし、その度、
「女です!女です!」
と弁解したが
「オナベか」
といわれたこともあった。
そんなこともあって銀座文化劇場は、他のどこよりも早く「レディースディ」を始めた。
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レディースディに限らず、映画館はサービスを進化させていったが、片桐はいりは、
「場内飲食厳禁」
については
「床がコーラでベトベトしていない映画館で、何を観ろってんだ」
「映画の結末が気に食わなかったらポップコーンの代わりに何をブチまけろというのか」
と反対派。
学生時代、映画は
「鑑賞するもの」
という認識で飲食したり、されたりするのは嫌いだったが、いつの間にか
「劇場丸ごと楽しむもの」
に考えが進化し、手探りで音を立てずに甘栗をむいて食べられるようになった。
トム・クルーズ主演の「カクテル」を観にいったときは、ビーチボーイズの「ココモ」が流れる中、パイナップル入りのトロピカルバーガーにかぶりついた。
そういったことも映画好きにとって大事なイベントだった。
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映画が終わると客を全員外へ出し、 館内の清掃などを行った後に、次の映画の入場者を入れるという「入れ替え制」や「全席指定席制」も
「敷居が高い」
と感じた。
立ち見OKで、ときに席争いが起こる映画館。
そしてその気になれば、1枚の券で何時間でもいられる映画館。
そんな
「融通の利く」
映画館が好きだった。
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映画好きにとって「007」「スターウォーズ」「スーパーマン」など大作やシリーズものは、公開初日に観るということがステータス。
銀座文化有志たちも「初日ツアー」を行っていた。
ハリソン・フォード出演の「インディ・ジョーンズ」シリーズでは、1981年公開のイ第1作「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」は映画館で働く前だったので、1984年7月7日公開の第2作「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」から初日ツアーに参加。
若さと長身を買われ、「席取り班」になった片桐はいりは、みんなより早く班員と待ち合わせ場所に集合。
狙いはその日の3回目の上映だったが、1回目の上映時間から延々と連なる列に並んだ。
4時間、徐々に前進し、場内に入った瞬間、良い席に座れるか、最悪立ち見になるかの席取り合戦が始まった。
172cmの高さを活かし、先行く人の頭越しに、タオル、着衣、折りたたみ傘、化粧ポーチなど「飛び道具」を空いている席に投げこみ、インディもビックリのアクションを展開。
映画が終わると立ち見を含めて1500人以上の大観衆は万雷の拍手を送った。
5年後の第3作「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」では、映画館が立ち見なし、全席入れ替え制となり、席取り合戦が起こる理由もなくなり、列に並びながら弁当を食べたり、トランプをしたり平和な時間を過ごした。
さらに 2008年6月21日公開の第4作「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」では、全席指定席となり、仲間とランチを食べた後、入れ替え時間きっかりに劇場に入り、あらかじめ決められた席に座った。
こうして人で多い初日に鼻息を荒くしながら長蛇の列に並ぶ
「初日荒らし」
という映画文化は廃れていった。
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トム・クルーズに関しては、デビュー作「エンドレス・ラブ」から「アウトサイダー」「レジェンド」「トップガン」「ハスラー」ともぎり続け、観続けたが、その魅力が理解できなかった。
「何がいいかわからなかった。
整った顔にも、白い歯にも、まっすぐなお芝居にも、さっぱり胸がときめかない」
しかし異様なもてはやす周囲とハリウッドのトップへ登り詰めていくトムをみて
「単に好みの問題か?」
「日本人には嗅ぎ取りにくい特殊なフェロモンを放っているのでは?」
と悩み、
「これは観続けなければならない」
と数人の仕事仲間と「トムの会」を結成。
「観れば観るほどわからなくなる」トム・クルーズの魅力について語り合いながら、「レインマン」「7月4日に生まれて」などは、映画館を辞め、もぎりを卒業していたが「トムの会」で鑑賞。
トム・クルーズはコンスントに新作をリリースしたので年に1度は「トムの会」が開催されていたが、1987年にジョン・ウー監督、チョウ・ユンファ主演の「男たちの挽歌」を観ると、あっさり「チョウ・ユンファの会」に変わってしまった。
それから10年後、2017年、「バリー・シール/アメリカをはめた男」を観て、片桐はいりは50歳を超えて初めてトム・クルーズを
「超かっこいい」
と思い、やっと好きになりかけた。
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大学に入ってすぐに映画館で働き始めた片桐はいりだが、同時期、
「映画に出演してみたい」
と大学の映画研究会へ。
しかし先輩部員に顔をジックリとみられた後、
「映画でアップで映るよりは、遠目の舞台の方が生きるんじゃないか」
とクールに断られたため、仕方なく演劇部へ。
すると人手不足のために、いきなり出演が決定。
犯人の姉で謎の女性という普通の役なのに、舞台に登場しただけで爆笑が起きた。
実は
「演じることによって別の存在になれるんじゃないか」
という願望を持っていた18歳の片桐はいりは、打ちのめされて号泣した。
(このときは凹んだが、後に
「このエラが笑いをものにする」
「この顔が役に立つ」
などと肯定できるようになった]
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その後、片桐はいりの舞台を観た、大学近くの喫茶店の男性店員から、
「週に3日ほど稽古にいくとスズナリの舞台に立てるらしいよ」
と教えてもらい、片桐はいりは、その劇団名も、どんな芝居をしているのかも知らなかったが、前年に開場したばかりの「下北沢ザ・スズナリ」という劇場のことは知っていたので、生田萬(いくたよろず)と銀粉蝶(銀粉蝶)が主宰する「ブリキの自発団」に入った。
こうして
「日本の古典文学を学ぶ学生」
「銀座の映画館のもぎり嬢」
に続いて
「劇団員」
という3つの肩書きが手に入れ、大学のある吉祥寺、劇団の稽古場がある池袋、そして銀座の映画館を周り続けた。
週3日といわれて入った「ブリキの自発団」だったが、週8日あっても足りないほど忙しく、寝る間もなく働かされた。
その内容は、チラシ、ポスターをつくって、刷って、配り歩いて、舞台のセット、衣装、小道具を作成し、そして少しだけ俳優。
「1番苦しかったのは50枚にも及ぶチケットのノルマ。
公園期間中も作業と稽古の合間にぬって通った銀座文化劇場で、もぎりをしながら劇団のチケットを売った。
映画館では入場券をもぎる際に半券と一緒に次週の上映表や割引券などを渡すのだけど、それに時々、劇団のチラシを紛れこませた。
運よく演劇好きの学生などが食いついてくれた日には、言葉巧みに、その場でチケットを売りつける。
おかげさまで600円の映画を観に来た人に、その3倍はする舞台のチケットを随分買ってもらったものだ」
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中学時代にエキストラ応募を断念した「あゝ野麦峠」も、演劇ではなくリアルに体験。
「あゝ野麦峠」は、飛騨から野麦峠を越えて信州の製糸工場に過酷な出稼ぎにいった明治時代の貧しい女工の話だったが、先輩に
「夏休みにリゾートで働きながら自主映画を撮ろう」

「だまされて」
数人と共に、同じ信州、野麦峠の反対側にある礒氷峠(うすいとうげ)を越えて軽井沢に
「売られていった」
高原リゾートで遊びながらお金をもらえるなど甘い話があるわけがなく、それどころかタイムカードもなく、朝から晩まで起きている間は働かされ、
「8ミリなど回す暇などあるものか!」
住み込みなので逃げる場所も帰る場もなく、まかないつきとはいうものの、朝は白飯と中身のない味噌汁、そしてざるに山盛りになった生卵。
数日で先輩の女子がダウンしたため、陽も差さないタコ部屋に、おかゆを運び、毎夜、さめざめと泣きながら峠を越えて帰る日を待ちわびた。
給料は、日給2000円。
2週間働いてもらった3万円足らずは、帰りのドライブで使い果たした。
「つまるところ東京生まれで食う寝るに困らない学生のひと夏のイベントになってしまった」
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片桐はいりは、劇団に入って1年後、19歳のときに下北沢ザ・スズナリでプロ初舞台を踏んだ。
「下北沢ザ・スズナリ」は、茶沢通りに面した風呂なしアパート、すずなり荘の2階部分を改装した小劇場で、階下には年季の入った商店街「鈴なり横丁」が、屋根裏ではネズミが走っていた。
楽屋は4畳半と6畳の和室で水しか出ない流しと押入れつき。
客席は全席座敷で、客は靴を袋に入れて上がり、満席のために舞台に上げられ、体育座りしていると自分を俳優がまたぎながら劇が進行した。
そんな「下北沢ザ・スズナリ」だったが、片桐はいりは劇場と映画館と似ていると思った。
「がらんどうで妖しくて薄暗い場所。
そういう空間にいると、なぜか血が沸くみたいに興奮して、でも妙に安らぐ」
この後、劇場だけでなく、野外劇、テント公演、デパートの屋上、古い日本家屋の大広間など、様々な場所でお芝居を行った片桐はいり。
「舞台の床に寝転ぶのも好き。
幸せな気分になる」
といい、公演時は誰よりも早く現場入りし、誰もいない客席にボンヤリと座ったり、舞台の上で大の字に寝転んで天井を見上げた。
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