思春期の悩みに答える番組
助川が生放送中に様々なリスナーの若者と電話で会話をする番組で、若年層からカルト的な人気を獲得した。『ゲルゲットショッキングセンター』とともに1990年代後半のニッポン放送を代表する番組と位置づけられる。
題名の「ジャンベルジャン」は『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンのパロディである。
ドリアン助川の正義のラジオ! ジャンベルジャン! ED 1997年10月12日 - YouTube
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主な相談
リスナーとの会話の内容は様々な悩みや困難に関する相談が目立った。例として以下が挙げられる。
・恋人から重い心臓の病気を抱えていると告白された。どの様に接すれば良いのか分からない。(男子高校生)
・好きな人が掛けている眼鏡にフェティシズムを刺激される。この気持ちに戸惑っている。(男子中学生)
・父と母が離婚するかも知れない。大変に悲しい。(女子中学生)
・幼児期に男子高校生2人に輪姦された。今まで誰にも話せなかったし未だに人が信用できない。(女子中学生)
白血病と闘ったかよちゃん
白血病を患った女子学生が何度も登場。普通なら精神的にも参ってしまいそうな状況の中、その少女の明るい声、そして闘病中にも勉強し続け大学に合格するなどの前向きな姿勢に大きな反響があり、番組には少女に対する応援メッセージが多数寄せられた。
その他、助川が主宰する叫ぶ詩人の会のライブにも駆けつけるなど番組の看板ともなった時期もあったが、その後亡くなった。助川は涙しながらそのことをリスナーに伝え、その少女の特別番組を放送した。
助川はこの事を期にドナーに登録。後に公共広告機構(現:ACジャパン)の「20歳からのドナー登録」を呼びかけるCMのナレーションを務めた。
ドリアン助川 正義のラジオ カヨちゃんが亡くなって一年 - YouTube
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「白血病と闘ったかよちゃんの日記」と題した特集を放送していました。タイトル通り白血病とたたかいながら, ラジオに何回も出てくれた”かよちゃん”の特集の番組です。たいへんな状態の中、ラジオでしっかりと明るく話してくれるかよちゃんに言葉では表現できないくらい感情を動かされました。
解散のきっかけとなった事件
1997年11月、叫ぶ詩人の会は、助川の小説と同タイトルのアルバム「ベルリン発プラハ」を引っさげての全国ツアー初日を、大阪バナナホールで迎えるはずだった。
しかし公演は中止。Takujiが覚醒剤所持により現行犯逮捕されたためだった。
バンドは活動休止に追い込まれ(助川個人の活動は継続)バンドはツアー中止による多額の負債を抱える。
翌日のラジオ番組では憔悴しきった助川がマイクに向かって、さまざまな言葉(中には悪意に満ちたものもあった)に答え続けた。
1999年、インディーズレーベルでラストアルバム「GOKU」をリリースするもののこれは事実上Hirokiのソロワークとも言うべきもので、バンドとしては完全に「終わって」いた。
同年夏、バンドは無期の活動休止を発表。事実上の解散である。
メンバー逮捕以降の活動変遷
1998年、長野パラリンピックの公式テーマソング『旅立ちの時』を作詞。作曲は久石譲。世界中のハンディキャッパーたちがこの歌を合唱しながらアリーナを行進した。
1999年、レコードメーカーとの契約が修了。シドニーでのライブを最語に「叫ぶ詩人の会」は活動休止、解散となる。
2000年3月、『正義のラジオ、ジャンベルジャン』を降板。番組は終了。人の苦悩を受け続け、またそうした仕事しかこなくなったことに疲れ果て、自己崩壊。芸名のドリアン助川を捨て、ニューヨークへ旅立つ。
歌わないバンドとしての活動も特徴的でしたが、ラジオやテレビ等のメディアでのドリアン助川本人の性格やバイタリティの強烈さも記憶に強く残っていますね。
グループとしての晩年は、少し残念な形で幕を閉じましたが、その頃思春期だった中高生にとっては今も何かしら生きる上での拠り所になっているのかも知れませんね。
グループとしての晩年は、少し残念な形で幕を閉じましたが、その頃思春期だった中高生にとっては今も何かしら生きる上での拠り所になっているのかも知れませんね。
大反響の深夜ラジオ番組「ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!」が本になった。
孤独な現代中高生の悩みを、異色パーソナリティがどんと受けとめる。