【桃尻娘】橋本治はこんなふうに世に知られてきた
2019年5月13日 更新

【桃尻娘】橋本治はこんなふうに世に知られてきた

平成31年1月に亡くなられた作家の橋本治さん。長編小説や評論だけでなく、中世・近世の日本文学にも及ぶ多作な作家でしたが、彼が世に出てきたときはこんなふうなデビューでした。彼の業績のほんのさわりをご紹介。

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しかしこの中にも橋本治らしい「ひとこと言いたい」セオリーは生きています。
いいものを真似してください。それが真似できるということは、すでにあなたにそれだけの技術が備わっているということです。いいものを真似できるだけの技術がなかったら死に物狂いで獲得してください。それが努力というものです。
いいもの、いいものと言われても一向にピンとこない人もいるでしょう。それは単純に、あなたがものを知らないだけです。何がいいものか感じ取るためには、修行というものが勿論必要です。
via 男の編み物 橋本治の手トリ足トリ 1984年 河出書房新社

「春って曙よ!」あの『桃尻語訳 枕草子』爆誕

あの有名な書きだし「春は曙」を
「春って曙よ!」とぶっ飛んだ訳でお披露目した『桃尻語訳 枕草子』。
受験勉強の時にお世話になった方もおいででは?
桃尻語訳 枕草子〈上〉 単行本 – 1987/9

桃尻語訳 枕草子〈上〉 単行本 – 1987/9

上中下の3巻からなります。
枕草子そのものはそんなに長い作品じゃないんですが
桃尻語訳の他にその10倍以上の「註」がついていて
それがまた桃尻語をしゃべってる橋本治なんですよ。
ちょっと引用してみますね。
枕草子第一段
「春は曙。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。またただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」
これを桃尻語訳にすると
春って曙よ!
だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!
夏は夜よね。
月の頃はモチロン!
闇夜もねェ・・・・・・。
蛍がいっぱい飛びかってるの。
あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりボーッと光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵ね。
via 桃尻語訳 枕草子〈上〉 橋本治 河出書房新社 p17
このくだりは後日『双調平家物語』の頃に若干表現を変えています。時代遅れに感じる部分を改変して『平成版新訳・桃尻語訳・枕草子』を作るつもりもあったようです。
「枕草子」を取り上げた理由、
おそらくそこには、平安時代にもいた、等身大の「女」を取り上げたかったという
意図があったのではないでしょうか。
漢文で書かれるのが普通であった時代に書かれた、かな文字の作品。
日常にあるつらつらした思いや感じたことやできごとを書いた「枕草子」は
現代における少女マンガと同じ位置づけと見ることができます。

でもなぜ「桃尻語訳」だったのか

桃尻語訳は、たしかにぶっ飛んではいるのですが
いわゆる「意訳」「超訳」ではないんです。
『枕草子』の現代語訳やったとき、私はあそこまで日本語を崩すつもりはなかったんですよ。適当にやろうと思ってたんだけど、適当じゃ意味が取れないというか文章にならないんですよね。だから、助詞、助動詞の類まできちんと訳して、とりあえず最初の目論見としては、訳文だけで読めるものを作りたかったんですよ。で、向こうも文章としてちゃんとしてるんだから、それなりにやっていくと、普通の日本語じゃ手に負えなかったんですよ。だから、どんどんどんどんしゃべり言葉に近づいてきちゃったんですよね。
橋本治『「わからない」という方法』によると
ひとつの文を訳すにも、「断定の助動詞に完了の助動詞がくっついて、しかも推量なんだよな」
と原文をいちいち品詞分解し、全部現代語におきかえるという作業を
延々と何万回も繰り返した「地を這うような作業」だったそう。
その第一稿を読み直して原文と突き合わせ、直しを入れること三回。
さらにそれに追加した第二案を書き足して推敲をし、やっと清書。
出版社に渡した後も校正作業で赤を入れるなどの念の入れようだったそうです。
しかもあきれることに、そのシチめんどくさいことをやればやるほど、清少納言の言葉は「桃尻娘の言葉」に接近してしまうのである。
via 「わからない」という方法 橋本治 集英社新書 2001年
こうして「桃尻語」というカルいノリの言葉に置き換えられた「枕草子」が
とっても読みやすいものになったかというとさにあらず。
わかりにくいのは原作者の清少納言のせいだと橋本治は言っていますね。

たぶんそれを補足するための「註」がふんだんにあるわけなんですが
(その「註」だけで平安時代のしきたりや政治情勢や風俗が網羅されています)
これが補って余りある・・・余りあり過ぎるために
『桃尻語訳 枕草子』は、また別の意味でハードルの高い本になっています。

批評の手の届かない「マグマの人」

その後橋本治は
『貧乏は正しい!』1993年
『窯変源氏物語』1991–93年
『宗教なんかこわくない!』1995年
『ひらがな日本美術史』1995–2007年
『双調 平家物語』1998–2007年
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』2002年
『夜』2008年
『巡礼』2009年
『福沢諭吉の「学問のすゝめ」』2016年
『草薙の剣』2018年
などの代表作のおよそ20倍の著作を出す、非常に多作な作家となりました。

多作ではありますが、一方で、正当な評価をされていない作家でもあります。
評価の難しい作家ということです。
なにせ「小難しい」のですから。
たしかに批評家にしてみたら、きわめて扱いにくい素材だろう。「何考えてこんなものを書いたのか」さっぱり見当がつかないものばかり書いているからである。
「私の場合、『よく分かんないからこの件で本を書こう』というのがとっても多い。分かって書くんじゃない。分かんないから書く。体が分かることを欲していて、その体がメンドくさがりの頭に命令する―『分かれ』と。」(2頁)

橋本さんは書く前に「言いたいこと」があるので書いているわけではない。自分が何を知っているのかを知るために書いているのである。
だから、橋本さんの書くものは本質的に「説明」である。橋本さんの「体」が橋本さんの「頭」にもわかるように、「あのね、これはね・・・」と噛んで含めるように説明しているのである。自分で自分に向かって説明しているのである。
橋本治ラブの内田樹さんのブログより。内田樹さんは橋本治とも交流があり、『橋本治と内田樹』という対談集も出しています。
橋本治は自分を読書家だと思っていません。
ただ、世の中のいろいろなものごとを「おもしろい」と思う自分と
なぜ自分が「おもしろい」と思ったのかをがっつり考えたいという欲求に
あらがうことのできなかった作家なのだと思うのです。
底知れぬ知識のうしろには膨大な量の情報があり、
それを欲し咀嚼し続けるマグマがあったはず。

70歳で亡くなるときまで、マグマを燃やし続けた作家でいらしたのではないでしょうか。

橋本治さんは2019年1月29日、肺炎のため東京都新宿区の病院で逝去されました。
ご冥福をお祈りいたします。
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