DFベルティ・フォクツ!明石家さんまが大好きなドイツの名選手!
2016年11月25日 更新

DFベルティ・フォクツ!明石家さんまが大好きなドイツの名選手!

西ドイツ不動の右サイドバック、ベルティ・フォクツ!1974年ワールドカップ・西ドイツ大会の決勝で、オランダのヨハン・クライフを封じ込め、母国に2度目の優勝をもたらした。また、監督としても90年代にドイツ代表を率いて、2度ワールドカップに出場している。

4,956 view

西ドイツ、マンマークの鬼・ベルティ・フォクツ

本名ハンス・フーベルト・フォクツ。
1946年12月30日生まれ。西ドイツ出身。

ポジション DF(右サイドバック)。
身長 168cm。
利き足 右。
ベルティ・フォクツ

ベルティ・フォクツ

選手時代のポジションは右サイドバック。
西ドイツ代表で皇帝・ベッケンバウアーらと共に活躍した。

マンマークに長け、その粘り強さからテーリア(Der Terrier)のニックネームで呼ばれた。

ベルティ・フォクツ 来歴

1954年、地元クラブのVfRビュトゲンに加入(7歳)。
1965年、ボルシア・メンヒェングラートバッハに移籍。
その後、70年代のボルシアMG黄金時代の中心選手の一人となった(引退まで同クラブでプレー)。

ブンデスリーガでは419試合33ゴール、ヨーロッパカップでは64試合8ゴールを記録している。
若い頃のベルティ・フォクツ

若い頃のベルティ・フォクツ

【獲得タイトル】
・ドイツ・ブンデスリーガ優勝 5回
・DFBポカール優勝 1回
・UEFAカップ優勝 2回
激しいディフェンスが売りだったベルティ・フォクツ

激しいディフェンスが売りだったベルティ・フォクツ

代表デビューは、1967年5月3日ユーゴスラビア戦。

翌年より代表でも不動の地位を確立させ、3回のFIFAワールドカップに出場。
出場した1970年、1974年、1978年のワールドカップで、全19試合にフル出場した。

特に地元開催であった1974年ワールドカップ・西ドイツ大会の決勝では、圧倒的に不利との予想を覆し、オランダのエースであったヨハン・クライフを封じ込め、母国に2度目の優勝をもたらした。

ちなみにその後のワールドカップ優勝記念パーティでは「ボールリフティング3回のこの俺がワールドカップを獲った」とコメントし、会場は笑いに包まれた。
技術よりもハードマークが売りのフォクツらしい言葉である。

1978年大会には西ドイツ代表主将として出場した。
ベルティ・フォクツ

ベルティ・フォクツ

クライフを完璧に抑え込んだベルティ・フォクツ

1974年ワールドカップ、地元・西ドイツ大会の決勝では、オランダ代表の「空飛ぶオランダ人」(フライング・ダッチマン)ことヨハンクライフを徹底的なマンマークで封じたフォクツ。
その執拗なディフェンスは今も語り草となっている。
ベルティ・フォクツ × ヨハン・クライフ

ベルティ・フォクツ × ヨハン・クライフ

試合開始直後はオランダのペース。
オランダの1点目のゴールは「トータルフットボール」の真骨頂とも言える内容だった。

クライフのキックオフで始まり、鮮やかなパス回しに西ドイツは誰一人触ることさえできなかった。
自由にボールを回された後、再びクライフにボールが渡り、マークにつくフォクツを振り切ってペナルティエリアに侵入。
たまらず西ドイツはファウルを犯し、PKを与えてしまう。
PKはニーケンスがしっかり決め、結局西ドイツがボールにようやく触れたのはその後のキックオフという事になった。

西ドイツ VS オランダ  (74‘ FIFA WC ドイツ大会決勝)

しかし、どんな実力差があっても決してあきらめないゲルマン魂、西ドイツ。
小柄ながら、激しいマークが特長のフォクツを、オランダ代表の中心選手だったクライフのマンマーク役に据えた。

フォクツは、これ以上ないというマンマークを見せた(クライフが靴ひもを締めなおすためにピッチの外に出たときでも、サイドラインに張り付いてマークをはずさないぐらい執拗なものだった)。

華麗なヨハン・クライフの動きを封じ込め、「トータルフットボール」を崩壊させた。キーパーソンを失ったオランダを相手に、パウル・ブライトナー、ゲルト・ミュラーがゴールを決めた。

フォクツはサッカー好きの明石家さんまのお気に入り!

サッカーが好きで、サッカー番組のゲスト出演や司会も務める明石家さんま。
その明石家さんまはフォクツが大好きだそうで、彼の名言をスマップに紹介している。

ある時、記者がフォクツに対して「なぜ派手なオーバーヘッドやボレーシュートをしないのか。人と違うことをやればスターになれるのに。」と尋ねた。

その質問にフォクツはこう答えた。
「人と違うことをやっています。(何を?)練習です。」

明石家さんまは「これやがな!かっこええやろう」と惚れ惚れしていた。

スマスマ玉様ビリヤード SMAP対さんま!!罰ゲームはどっちだ??

0:35~ スマスマのビリヤードコーナーに出演した明石家さんまが、セットにフォクツのポスターを発見!
25 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【サッカー列伝】ドイツ代表・ユルゲン・クリンスマン W杯で美しい得点を挙げる等記憶に残るプレーをした名選手です

【サッカー列伝】ドイツ代表・ユルゲン・クリンスマン W杯で美しい得点を挙げる等記憶に残るプレーをした名選手です

ユルゲン・クリンスマンはドイツ代表やインテル、バイエルン・ミュンヘン、トッテナム等のクラブチームで活躍したFWです。ブンデスリーガで得点王にも輝く等の名ストライカーとしても知られました。
ひで語録 | 12,136 view
サッカー【日韓戦】日本がW杯に初出場するまでの対戦成績を振り返る

サッカー【日韓戦】日本がW杯に初出場するまでの対戦成績を振り返る

毎回白熱する日韓戦ですが、振り返ってみると歴史がある国際試合なんですよね(^^)/ 今ではJリーグの存在がありますが、プロ化される前から行われていた日韓戦から振り返ってみたいと思います。
つきねこ | 2,683 view
クライフに見出されたアイスマン・ベルカンプ!トラップで既にゴールは決まっていた!

クライフに見出されたアイスマン・ベルカンプ!トラップで既にゴールは決まっていた!

冷静沈着かつ正確無比なプレースタイルで印象的なゴールを数多く決めたデニス・ベルカンプ。その落ち着きぶりから「アイスマン」と呼ばれた。1998年フランスワールドカップの準々決勝のアルゼンチン戦で挙げたゴールなどを特集する。
ひで語録 | 4,334 view
長友とも同僚だったインテルのサネッティ!背番号4は永久欠番!

長友とも同僚だったインテルのサネッティ!背番号4は永久欠番!

セリエAとアルゼンチンを代表するサッカー選手だったハビエル・サネッティ。特にインテルでの活躍は素晴らしく、セリエAのスクデット獲得やチャンピオンズリーグ優勝の原動力であった。ただ、ワールドカップとは少し相性が悪かった。
ひで語録 | 3,634 view
【サッカー列伝】ACミランの黄金期を後方から支えた世界を代表するDF「フランコ・バレージ」

【サッカー列伝】ACミランの黄金期を後方から支えた世界を代表するDF「フランコ・バレージ」

イタリア代表DF「フランコ・バレージ」。ACミランの黄金期を支え、背番号6は永久欠番にもなった。イタリアだけでなく、世界にも名を知られた彼の足跡をたどります。
ひで語録 | 9,913 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト