ACミラン黄金期を支えたDF フランコ・バレージ
14歳の時から、ACミランに所属。
1978年4月対ベローナ戦でセリエAデビュー。
以来、守備の中心ポジション・リベロを務める。
6度のリーグ優勝、3度の欧州チャンピオンズ・カップ優勝、2度のインターコンチネンタル・カップ獲得に貢献。
ベッケンバウアーの正統派の後継者で、すばらしいスピードとフットワークを生かした守りだけでなく、攻撃でもチームの大きな要素だった。
1980年代中盤以降のACミラン
サッキ監督の提案するゾーンプレスに当初はチームメイトらは懐疑的であったが、バレージはサッキ戦術のキーマンとしてチームを牽引。このシーズン早くもチームは機能し、ディエゴ・マラドーナを擁したSSCナポリを抑えスクデットを獲得した。
1988年、フランク・ライカールトを加えより厚みを増したミランは、主将バレージ率いる守備陣と「オランダトリオ」にを中心とした攻撃陣の活躍もあり、UEFAチャンピオンズカップのタイトルを獲得。
以降1990年代半ばまでの数年間、ACミランはリーグ優勝、チャンピオンズカップなど多くのタイトルを獲得する黄金期を築きあげ、バレージは不動のディフェンスリーダー、キャプテンとしてチームを纏め上げた。
永久欠番
現役生活の通じてACミランでプレーを続けた。
長年、彼が背負った背番号「6」は、引退後にクラブの永久欠番となっている。
世界最高のリベロ
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イタリア代表
センターバックとして体格には恵まれていなかったが、強いリーダーシップでディフェンスラインを統率し、鋭い読みと駆け引きで1対1にも強さを発揮した。「史上最高のリベロ」と称された。
イタリア代表では81試合に出場。
イタリアが優勝した1982年FIFAワールドカップでは出場機会がなく、主力として出場した1990年と1994年FIFAワールドカップでは惜しくも優勝には届かなかった。
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ガエタノ・シレアの存在
シレアは、冷静沈着で鋭い読みからディフェンスの穴を埋め、最終ラインから攻撃に繋げる高い技術を併せ持っている理想的なリベロでした。
彼の系譜は、フランコ・バレージ、今現在ではネスタに受け継がれているでしょうか?
(フランコ・バレージは)1982年のスペインワールドカップのメンバーに選ばれるなど、早くから代表に呼ばれていたが、同じポジションに当時、世界最高のリベロと言われたガエタノ・シレアがいた為、代表キャップ数は代表で活動していた期間に比べ少な目である。
三浦知良との接触
SERIEA BEST OF 90'S プレイヤー Vol.28 ~三浦 知良~ - YouTube
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※0:16~ バレージとの接触シーン