Jリーガー外国人列伝!横浜フリューゲルス編
2016年11月25日 更新

Jリーガー外国人列伝!横浜フリューゲルス編

1993年にスタートしたJリーグもいまやJ1~J3あわせて53チーム。 そんな歴史あるJリーグを盛り上げてくれた外国人助っ人をチームごとに懐かしむ企画。オリジナル10と呼ばれる創設時のチームで唯一なくなってしまったフリューゲルス。全日空と佐藤工業が悪い、俺はそう思う。

15,180 view
フリューゲルスの外国人選手は当たりが多いイメージ。特徴もあり、実績もあり、人間性も良い外国人が多く在籍していた。5年しか存在しなかったフリューゲルだが、日本代表やブラジル代表など選手には恵まれていた。

モネール

フリューゲルスといえば、モネール。
腰フリダンスなどの明るいキャラクターで一世を風靡した。プレー内容は覚えてません。
モネール

モネール

フェルナンド・ダニエル・モネール(Fernando Daniel Moner、1967年12月30日- )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手。

アルゼンチンリーグのサン・ロレンソから1988年来日し全日空サッカークラブ入り。その後1991年にスペインリーグのアトレティコ・マドリードに移籍したが、1993年のJリーグ開幕に併せて全日空サッカークラブを母体とした横浜フリューゲルスに復帰。ゴールを決めた時にお尻を合わせて踊る「モネールダンス」で一躍人気を集めた。1993年5月16日のJリーグ開幕戦(対清水エスパルス戦)でもゴールを決め、モネールダンスを披露している。また、日本語が堪能でインタビューで日本語で答えたり、サッカー雑誌のインタビューに日本語で父親の事のコラムを載せている(この時、雑誌はモネール選手の原文そのままですとまで書いてあった)また、日本に帰化して日本代表に選ばれたいとも語っていた。

モネール転倒 - YouTube

エドゥー

フリーキックの名手。
今でも語り草になっている40mのフリーキックは特に有名。
エドゥー

エドゥー

エドゥーことカルロス・エドゥアルド・マランゴン(Carlos Eduardo Marangon "Edu"、1963年2月2日-)はブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは攻撃的MF。

特に1994年サントリーシリーズの対ジュビロ磐田戦(ジュビロ磐田スタジアム)で、ゴールより40メートルの地点から決めた強烈なカーブのかかったフリーキックは、その映像が日本サッカーミュージアムの展示の一つとなるほどであり、エドゥー本人も「日本で最も印象に残ったゴール」であると語っている。

(エドゥー)Jクロニクルベスト:1994ベストゴール - YouTube

ジーニョ

ブラジルトリオのリーダー格。
ブラジル代表としても活躍し、1994年のワールドカップ優勝メンバー。
ジーニョ

ジーニョ

ジーニョ(ZINHO、本名:Crizan Cezar De Oliveira Filho、1967年6月17日-)はブラジル出身のサッカー選手。サッカー指導者。MF。

ブラジル代表としては55試合に出場し7得点を挙げ、1994年のアメリカW杯では全7試合にスタメン出場し、司令塔として優勝に貢献した。

クラブチームでは1986年にフラメンゴでキャリアデビュー。フラメンゴではジーコ、ベベット、ジョルジーニョ、レオナルド,モーゼル、アルシンド等と共にプレーした。

1993年にパルメイラスに移籍。ブラジル全国選手権、リベルタドーレス杯を獲得するなど、主要タイトルをほぼ総なめにした。

1995年にパルメイラスのチームメイトのセザール・サンパイオ、エバイールと共に日本の横浜フリューゲルスへ移籍し、ブラジルトリオ(パルメイラストリオとも)を形成。中盤のコンダクターとして、前園真聖、山口素弘、三浦淳宏、楢崎正剛らが所属していたクラブを優勝争いするチームにするまでに貢献、Jリーグでは83試合に出場、21得点の記録を残した。その後、ブラジル代表としてフランスW杯出場を目指すため、1997年1stステージのみで帰国した。なお、日本のサッカー専門誌週刊サッカーダイジェストにおいてJリーグ通算平均採点6.66という数字を残している。

(ジーニョ)Jクロニクルベスト:1996ベストゴール - YouTube

サンパイオ

こちらもブラジル代表。
1998年のワールドカップメンバーでドゥンガと組んでいたボランチは鉄壁を誇っていた。
サンパイオ

サンパイオ

カルロス・セーザル・サンパイオ・カンポス(Carlos Cézar Sampaio Campos、1968年3月31日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手[1]。ポジションはMF。

1995年、パルメイラス時代の同僚であるジーニョとエバイールとの3人で横浜フリューゲルスに移籍する[4]。横浜Fが3人を獲得するのに1,000万ドル以上を費やしたと言われている[3]。当初は日本特有のゾーンプレスに馴染めなかったが、ブラジル人のアントニオ・カルロス・シルバやオタシリオに監督が代わると本領発揮、堅実な守備に加えて攻撃力も備えるMFとして日本代表の山口素弘と中盤の底を担った[5]。

1998年10月29日、横浜フリューゲルスがホームタウンを同じとする横浜マリノスとの合併(実態はクラブ消滅)を発表した。横浜フリューゲルス合併問題の際には、フリューゲルスイレブンとサポーターが合同で横浜駅前で『合併反対とフリューゲルス存続を求める』署名活動を行った。この活動にサンパイオ自身もチームメートと共に街頭で署名を呼びかけている。1999年元日の天皇杯優勝を最後にフリューゲルスが消滅した為、サンパイオは日本を離れ母国へ帰国することとなった。
29 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

オフトの申し子「ポイチ」こと森保一!代表デビューでアルゼンチンから高評価!「ボランチ」を広めた逸材でした!

オフトの申し子「ポイチ」こと森保一!代表デビューでアルゼンチンから高評価!「ボランチ」を広めた逸材でした!

若き名将・森保 一(もりやす はじめ)。サンフレッチェ広島では選手としても監督としても実績を残した、Jリーグ黎明期を代表する名ボランチです。サッカー日本代表の監督候補にも数えられる森保の選手時代を振り返ります!
ひで語録 | 1,282 view
消えた純国産サッカースパイク『YASUDA』が復活!?現在資金を募集中!発起人は元ヤスダ愛用者の佐藤さんです!

消えた純国産サッカースパイク『YASUDA』が復活!?現在資金を募集中!発起人は元ヤスダ愛用者の佐藤さんです!

日本初の純国産サッカースパイクメーカーだったYASUDA。2002年の日韓ワールドカップ直前に姿を消した老舗メーカー。少年時代に愛用していたという佐藤さんが発起人となり、クラウドファンディング「ルートエフ!」でYASUDAスパイクの復刻企画が行われている。
「サッカー王国」静岡県出身!往年のJリーガーでベストイレブンを考えてみた!

「サッカー王国」静岡県出身!往年のJリーガーでベストイレブンを考えてみた!

今年はワールドカップ2018ロシア大会がありますね~!そこで今回は、主に90年代に活躍した静岡出身のサッカー選手で、勝手にベストイレブンを考えてみました(^^)/ 是非読んでみてくださいまし~!!
つきねこ | 4,487 view
ベンゲルにスコラーリ…。Jリーグで指揮した意外な外国人監督

ベンゲルにスコラーリ…。Jリーグで指揮した意外な外国人監督

来年で誕生から25年を数えるJリーグ。その長きに渡る歴史を振り返ると、「えっ、この人も監督してたの?」と驚くような過去の名選手や欧州・南米で活躍する名将が指揮をとっていたりするものです。そこで今回、Jリーグで指揮官をつとめていた意外な外国人監督を紹介していきます。
こじへい | 469 view
鳴り物入りで入団も…期待外れだったJリーグ助っ人外国人特集!

鳴り物入りで入団も…期待外れだったJリーグ助っ人外国人特集!

2017年シーズンから、元ドイツ代表FW・ポドルスキが、Jリーグのヴィッセル神戸でプレーしています。11月末現在までのスタッツを見ると、破格の年俸のわりに結果は今一つ…。思えばこのような鳴り物入りで入団したのにもかかわらず、結果が伴っていない外国人選手は、これまでに何人もいたものです。そこで今回、期待外れだったJリーグの助っ人外国人を、何人かピックアップして紹介します。
こじへい | 7,290 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト