Jリーガー外国人列伝!横浜フリューゲルス編
2020年11月9日 更新

Jリーガー外国人列伝!横浜フリューゲルス編

1993年にスタートしたJリーグもいまやJ1~J3あわせて53チーム。 そんな歴史あるJリーグを盛り上げてくれた外国人助っ人をチームごとに懐かしむ企画。オリジナル10と呼ばれる創設時のチームで唯一なくなってしまったフリューゲルス。全日空と佐藤工業が悪い、俺はそう思う。

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フリューゲルスの外国人選手は当たりが多いイメージ。特徴もあり、実績もあり、人間性も良い外国人が多く在籍していた。5年しか存在しなかったフリューゲルだが、日本代表やブラジル代表など選手には恵まれていた。

モネール

フリューゲルスといえば、モネール。
腰フリダンスなどの明るいキャラクターで一世を風靡した。プレー内容は覚えてません。
モネール

モネール

フェルナンド・ダニエル・モネール(Fernando Daniel Moner、1967年12月30日- )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手。

アルゼンチンリーグのサン・ロレンソから1988年来日し全日空サッカークラブ入り。その後1991年にスペインリーグのアトレティコ・マドリードに移籍したが、1993年のJリーグ開幕に併せて全日空サッカークラブを母体とした横浜フリューゲルスに復帰。ゴールを決めた時にお尻を合わせて踊る「モネールダンス」で一躍人気を集めた。1993年5月16日のJリーグ開幕戦(対清水エスパルス戦)でもゴールを決め、モネールダンスを披露している。また、日本語が堪能でインタビューで日本語で答えたり、サッカー雑誌のインタビューに日本語で父親の事のコラムを載せている(この時、雑誌はモネール選手の原文そのままですとまで書いてあった)また、日本に帰化して日本代表に選ばれたいとも語っていた。

モネール転倒 - YouTube

エドゥー

フリーキックの名手。
今でも語り草になっている40mのフリーキックは特に有名。
エドゥー

エドゥー

エドゥーことカルロス・エドゥアルド・マランゴン(Carlos Eduardo Marangon "Edu"、1963年2月2日-)はブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは攻撃的MF。

特に1994年サントリーシリーズの対ジュビロ磐田戦(ジュビロ磐田スタジアム)で、ゴールより40メートルの地点から決めた強烈なカーブのかかったフリーキックは、その映像が日本サッカーミュージアムの展示の一つとなるほどであり、エドゥー本人も「日本で最も印象に残ったゴール」であると語っている。

(エドゥー)Jクロニクルベスト:1994ベストゴール - YouTube

ジーニョ

ブラジルトリオのリーダー格。
ブラジル代表としても活躍し、1994年のワールドカップ優勝メンバー。
ジーニョ

ジーニョ

ジーニョ(ZINHO、本名:Crizan Cezar De Oliveira Filho、1967年6月17日-)はブラジル出身のサッカー選手。サッカー指導者。MF。

ブラジル代表としては55試合に出場し7得点を挙げ、1994年のアメリカW杯では全7試合にスタメン出場し、司令塔として優勝に貢献した。

クラブチームでは1986年にフラメンゴでキャリアデビュー。フラメンゴではジーコ、ベベット、ジョルジーニョ、レオナルド,モーゼル、アルシンド等と共にプレーした。

1993年にパルメイラスに移籍。ブラジル全国選手権、リベルタドーレス杯を獲得するなど、主要タイトルをほぼ総なめにした。

1995年にパルメイラスのチームメイトのセザール・サンパイオ、エバイールと共に日本の横浜フリューゲルスへ移籍し、ブラジルトリオ(パルメイラストリオとも)を形成。中盤のコンダクターとして、前園真聖、山口素弘、三浦淳宏、楢崎正剛らが所属していたクラブを優勝争いするチームにするまでに貢献、Jリーグでは83試合に出場、21得点の記録を残した。その後、ブラジル代表としてフランスW杯出場を目指すため、1997年1stステージのみで帰国した。なお、日本のサッカー専門誌週刊サッカーダイジェストにおいてJリーグ通算平均採点6.66という数字を残している。

(ジーニョ)Jクロニクルベスト:1996ベストゴール - YouTube

サンパイオ

こちらもブラジル代表。
1998年のワールドカップメンバーでドゥンガと組んでいたボランチは鉄壁を誇っていた。
サンパイオ

サンパイオ

カルロス・セーザル・サンパイオ・カンポス(Carlos Cézar Sampaio Campos、1968年3月31日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手[1]。ポジションはMF。

1995年、パルメイラス時代の同僚であるジーニョとエバイールとの3人で横浜フリューゲルスに移籍する[4]。横浜Fが3人を獲得するのに1,000万ドル以上を費やしたと言われている[3]。当初は日本特有のゾーンプレスに馴染めなかったが、ブラジル人のアントニオ・カルロス・シルバやオタシリオに監督が代わると本領発揮、堅実な守備に加えて攻撃力も備えるMFとして日本代表の山口素弘と中盤の底を担った[5]。

1998年10月29日、横浜フリューゲルスがホームタウンを同じとする横浜マリノスとの合併(実態はクラブ消滅)を発表した。横浜フリューゲルス合併問題の際には、フリューゲルスイレブンとサポーターが合同で横浜駅前で『合併反対とフリューゲルス存続を求める』署名活動を行った。この活動にサンパイオ自身もチームメートと共に街頭で署名を呼びかけている。1999年元日の天皇杯優勝を最後にフリューゲルスが消滅した為、サンパイオは日本を離れ母国へ帰国することとなった。
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