ボウリングの火付け役は女子プロボウラーだった?!
1970年前半は空前のボウリングブームでしたね。その火付け役となったのが、女子プロボウラー。日本プロボウリング協会(JPBA)の第一期生としてプロテストに合格した女子プロボウラーは13名いたようです。その中にいた、「須田 開代子、中山律子、並木恵美子」が人気でしたね。その頃は、ボウリングのテレビ番組もありましたしね。なぜか男子のプロボウラーには興味がなかったですね~。他の方はどうだったでしょうか。
♪な・か・や・ま、りつこさん♪これは超有名でしたね
須田 開代子、中山律子、並木恵美子の三人の中で、誰が一番強かったかは、あまり覚えていませんが、中でも、中山律子は、テレビのCMで有名でしたね。このCMを見てボウリングをやってみたいと思った方も多かったのではないでしょうか。
1972 花王フェザー さわやか律子さん
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よく行っていたボウリング場が今でもありました
via www.tokibow.com
最初は、男女数名ずつの仲間で遊んでいるうちに、、二人になり、よく行きました。スコアは、当時は自分で紙で書いてましたので、いたずら書きをするのも楽しめる要因でした。ワンフレを二人で、1球目を女性で、2球目を男性がという感じでやりませんでしたか?スペアを取ってくれる彼が頼もしく思える瞬間でしたね~。そして、右足がすらっと斜めに流れる綺麗なフォーム(笑)
忘れかけている、スコアのつけ方
今は、コンピュータでスコアが表示されますが、昔はスコア表があって、名前を記入して手書きでつけていましたね。時には足し算ができなかったり(笑)。倒れたピンの数字に○をつけるのが何なのか最初はわからず、「スプリットって言うんだよ」と、教えてもらいながら覚えていくうちに、ボウリングが楽しくなりました。スプリットとは、"第一球目で1番ピンンを含めて数本のピンが倒れ、残ったピンの位置が、中間が抜けて離ればなれになっていること、又は前方にピンがなく横に並んでいることを言う"(ボウリング用語解説のサイトより引用)
都内で唯一スコアを手書きで記入する「三恵ボウル赤羽」も、昨年12月30日で閉店になったようです。(赤羽経済新聞より)
寂しくなりましたね。そういえば、手書きではなくなったころからあまりボウリングには行かなくなった気がします。
寂しくなりましたね。そういえば、手書きではなくなったころからあまりボウリングには行かなくなった気がします。
当時を思い出して、ボウリング「あるある」
・指のサイズがぴったり過ぎてボールがなかなか離れず投げられなかったことがある
・ボールが軽すぎて、投げる前に後ろに落としたことがある
・足と手が同時に動いてしまったことがある
・投げる位置と足がなかなか合わず何度もやり直したことがある
もしくは、そのままレーンに入っていつも投げている
・となりのレーンの人と同時に投げそうになって譲り合いでなかなか進まなかったことがある
・ボールが軽すぎて、投げる前に後ろに落としたことがある
・足と手が同時に動いてしまったことがある
・投げる位置と足がなかなか合わず何度もやり直したことがある
もしくは、そのままレーンに入っていつも投げている
・となりのレーンの人と同時に投げそうになって譲り合いでなかなか進まなかったことがある
そういえば、私の友達の投げ方が毎回不自然で、いつも指が吊る~と言っていて、理由を探っていたら、なんと!ボウリングのボールは、親指と中指と薬指で持ちますが、友達は、なぜか、親指と人差し指と中指で持って投げていましたよ。指摘してからは楽になったと(笑)
スケートにも良く行きました
私がよく行っていたスケート場はすでに閉鎖されているようでしたが、中学生の頃は、グループでよく近くのスケート場に遊びに行ってました。なぜスケートなのか?それは自然と手をつなげるからです(笑)。そんなことありませんでしたか?
ご存じでしたか?女優、歌手「いしだあゆみ」は、元フィギュアスケート選手だった
小学生低学年の頃は地域で「こども会」というのがあって、スケートによく行ってました。その頃、「ブルー・ライト・ヨコハマ」で大ヒットした歌手「いしだあゆみ」が元はフィギュアスケート選手だったというので、スケート場で滑っている姿をテレビを見て、私もあんな風に滑りたいと憧れた時期でもありましたね。
どこ行く?トキボウにする?が定番の会話でした。