ブランキー・ジェット・シティ
ロック好きであれば誰もが認めるであろうBLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)。日本の音楽界に与えた影響は計り知れないものがあります。
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デビューから10年という活動期間の間に、日本の音楽史に新たなページを開きました。いえ、塗り替えたといったほうがしっくりくるかもしれません。
メンバーは楽曲の多くを手掛けているギター、ボーカル担当のベンジーこと浅井健一(愛知県出身、1964年12月29日生れ)。
メンバーは楽曲の多くを手掛けているギター、ボーカル担当のベンジーこと浅井健一(愛知県出身、1964年12月29日生れ)。
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ベースに照井利幸(1964年2月28日生れ )。浅井健一とは20歳からの付き合いだそうです。
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スキャッツというアマチュアバンドで共に活動していた浅井健一と照井利幸は名古屋から上京し、浅井健一とは17歳の頃からの友人だった中村達也(富山県出身、1965年1月4日生れ )と再び交流を持つようになります。
1987年2月、浅井健一と照井利幸はバンド活動を東京で開始するのですが、これがTHE BLANKEY JET CITYとなります。当初は別のドラムスがいたのですが、音を聞いた中村達也の「カッコイイことやってるじゃん。俺に叩かせろよ」の一言で叩かせたところ、余りにもピッタリだったためにメンバーチェンジし、栄光のラインナップが整います。
デビューのきっかけとなったのは、「三宅裕司のいかすバンド天国」でした。
デビューのきっかけとなったのは、「三宅裕司のいかすバンド天国」でした。
三宅裕司のいかすバンド天国
「三宅裕司のいかすバンド天国」。通称「イカ天」は、1989年2月から1990年12月まで放送されていた場組で、毎週10組のバンドが演奏を競い合い勝ち残ったバンドが「イカ天キング」となり、5週勝ち抜くと「グランドイカ天キング」となってメジャーデビューの道が開けるというものでした。
JITTERIN'JINN、BEGIN、たま、マルコシアス・バンプなど多くのバンドを輩出しています。
JITTERIN'JINN、BEGIN、たま、マルコシアス・バンプなど多くのバンドを輩出しています。
イカ天🗻🌅アマチュアBAND BEST 10
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この時の人気投票ではブランキー・ジェット・シティが1位となっていますね。
そのブランキー・ジェット・シティ、衝撃の「イカ天」初登場は1990年8月4日でした。
そのブランキー・ジェット・シティ、衝撃の「イカ天」初登場は1990年8月4日でした。
Cat Was Dead
パンクバンドといってもいいようなブランキー・ジェット・シティがオーディション番組に出るというのは意外な感じがしますが、「イカ天」には中村達也が申し込みをしたそうです。
ブランキー・ジェット・シティにとって、これがテレビ初出演であり、歴史の始まりでもあります。
ブランキー・ジェット・シティにとって、これがテレビ初出演であり、歴史の始まりでもあります。
1週目 Cat Was Dead
デビュー前 イカ天
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さすがに初々しいですね。
とは言え、結成から既に3年半が経過していますから楽曲は練られています。この曲「CAT WAS DEAD」でCOLLAGEを下し、25代目のイカ天キングとなるのでした。
とは言え、結成から既に3年半が経過していますから楽曲は練られています。この曲「CAT WAS DEAD」でCOLLAGEを下し、25代目のイカ天キングとなるのでした。
MOTHER
2週目は、お色気いっぱいのボーカリストが魅力の有機生命体を迎え撃つことになります。