ボンカレー
ボンカレー(Bon Curry)は、大塚食品が発売するレトルトカレーの商品名で、同社の登録商標(日本第961090号)である。日本初のレトルト食品。甘口、中辛、辛口の三種類がある。現在の主流はフルーツベースのボンカレーゴールド、温色で描かれた同心円のパッケージで知られる。
商品名の由来はフランス語の形容詞 "bon" からきていて、「良い(優れた)、おいしい」という意味である。
一人暮らしの男性(独身)でも温めるだけで簡単に食べられることから「チョンガーカレー」という案もあった。
ボンカレーを発売するきっかけとなったのは、会社にあった不良在庫のカレー粉をなくすためだったといわれている。大塚化学での約2年の研究開発期間を経て、1968年(昭和43年)2月12日に、大塚食品工業[2]より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売された。当初は阪神地区限定発売とされた。当時のレトルトパウチ(高圧釜レトルトで高温加熱殺菌する為に食品を封入する袋)は、透明な合成樹脂のみによる2層の積層加工であったが、これは強度に問題があり、輸送中に穴が空くなどの事故が多発した。このため内側のポリプロピレンと外側のポリエステル間にアルミ箔を挟んだパウチに改良して強度を増した。同時に、空気遮断機能が向上し、光も遮断するようになったため、賞味期限が3ヶ月から2年に延びた。翌1969年(昭和44年)4月には、この改良版パウチで全国発売された。テレビCMにはパッケージのモデルである女優の松山容子と俳優の品川隆二を起用した。
ボンカレー発売当時の宣伝は「3分温めるだけですぐ食べられる」という内容のものであった。宣伝からも分かるように、保存性よりも簡便性を前面に打ち出しており、インスタント食品の一種として普及していった。また松山容子パッケージのもので味は野菜ベースであった。当時、営業マンが全国各地に、ホーロー看板を自ら貼りにまわって普及に努めた。
昼はボンカレーにした(^ν^) pic.twitter.com/X73F7JNQHx
— ひき子@療養中 (@pyu_kom) February 18, 2016
1968年の今日、日本初のレトルトカレー「ボンカレー」が発売されたの。40年以上経って、今では各社から様々なカレーが販売されるようになったわ。手軽に簡単においしいカレーが作れるのは本当に助かるわ! pic.twitter.com/fJnTr3pKSa
— チョウカンヌ (@choukanne) February 12, 2016
ボンカレーCM - YouTube
この女優は誰?
愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社。
1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビュー。11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。主に時代劇映画で活躍する。1959年、芸名を松山容子に改名。
1960年(昭和35年)、テレビドラマ『天馬天平』(日本電波映画 / フジテレビ)で演じた、男装で新撰組と闘う勤皇の姫君・千也姫役が評判となった。ちょうど『崑ちゃんのとんま天狗』(東宝 / 讀賣テレビ放送)の後番組の企画を練っていたスポンサーの大塚製薬がこの人気に着目、この千也姫をモチーフとして、松山を主演に「男を凌ぐ剣の腕をもつ若武者姿の姫君」を主役にしたドラマ企画を打診し、『琴姫七変化』(日本電波映画 / 讀賣テレビ)が製作された。毎回若武者姿だけでなく、芸者、くノ一、鳥追い・・と、文字通り次々替わる「七変化ぶり」も相まって、番組は2年間にわたり継続され、その容姿と華麗な立ち回りから「アクション女優の先駆け」として人気を博す[1]。その後も『旅がらすくれないお仙』(東映京都テレビプロダクション / NET)などに主演。その他、舞台や映画で活躍する。
1971年(昭和46年)3月、『くれないお仙』や主演映画『めくらのお市』シリーズ[2][3]の原作者である漫画家、棚下照生と結婚。人気の絶頂期に芸能活動を縮小〜休止し、事実上の引退となった。ただし、その後も稀にドラマ等にゲスト出演することがある。
ボンカレー伝説4)これが、松山容子さんが出ている、初期のボンカレーのパッケージ⇒ そして看板⇒
— 五反田ダイニング「器」 (@Gotanda_Utsuwa) February 12, 2016
☆五反田、器の。お得で美味しい宴会プラン⇒https://t.co/7PpMv8XCyY pic.twitter.com/xzKEhlSsLR