本物のなかのいぶし銀 桐山清澄九段
2017年5月17日 更新

本物のなかのいぶし銀 桐山清澄九段

大名人の内弟子になりながらホームシックで関西に帰ってしまった少年がいた。彼は関西で頭角をあらわし、やがて《いぶし銀》と呼ばれる本格派の棋士となっていく。《世界一将棋が強い男》から冠を奪った男、桐山清澄九段をご存知だろうか。

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桐山清澄九段について

 時は1947年でございます。戦争によって延期中断などありました将棋名人戦も再開され、常勝将軍木村名人が番勝負でなんと負けてしまい実力制2代名人塚田正夫が出てきたぞというあたり。後に九段となる桐山清澄が生まれたのはそういう時代でありました。

 歩けるようになり言葉をおぼえ文字をおぼえ将棋をおぼえたのが5歳の頃。1958年に棋士を育成するための機関奨励会に入会すると、テンポ良く昇段を重ねていく。
 63年初段、64年三段、66年プロ入りでC級2組、69年C級1組、翌70年B級2組の73年B級1組、75年にはひとつの頂上であるA級にまで到達してしまう。

 順位戦と棋士の段位はのぼる時には連動しておりましてC2で四段のC1五段のB2六段のB1七段のAが八段。桐山さんは四段から八段までがこの順位戦昇級による昇段でございました。
 昇段規定には順位戦の他に勝数規定やタイトル数規定が存在しております。と、いうことは桐山さんはタイトルとタイトル戦に縁がなかったのか? と言えばそうでもない。
 76年には昭和強豪棋士の通過儀礼である大山康晴に棋聖戦で挑戦し敗退。81年には第39期名人戦で中原誠名人に挑戦しましたがこちらも敗退。名人戦では翌年に加藤一二三名人が登場していましたのでもしかすると加藤桐山のカードで名人戦が組まれていたかもしれません。
当時26歳の桐山九段

当時26歳の桐山九段

卓球……
 さあ番勝負ではなかなか勝てないぞという悩みがあったかもしれませんが84年第10期棋王戦は3勝1敗で桐山さんが勝った。ここに桐山棋王が登場するわけであります。このとき米長棋王は4連覇中、あと1期取れば永世棋王という称号が獲得できたから力を入れていたと思うのですが桐山さんは見事に指し切った。
 当時の米長邦雄はなんと四冠王でございましてついた異名が《世界一将棋が強い男》とスケールが大きい。しかし86年前期棋聖戦ではまたもや現れた桐山さんに今度は棋聖を譲ってしまう。欲しいと言ったものをハイどうぞと渡す世界ではないのですがもしかしたら米長さんは桐山さんと相性が悪かったのかもしれない。

 桐山さんは米長さん以外にも勝っております55年組の南芳一、穴熊党副総裁西村一義が棋聖をよこせとやってきますが3連覇。タイトル4期獲得に一般棋戦優勝回数7回を誇るまどうことなき昭和強豪棋士のひとりが桐山清澄九段なのでございます。

誰よりも有名だった? 桐山さん

指導対局を行う桐山九段

指導対局を行う桐山九段

 今の将棋で有名な人と申しますとなんと言っても羽生さんと、テレビに出ている加藤一二三九段、一時期超がつくほど話題になった三浦九段、新しい名人の佐藤天彦さん、そして何よりデビューから一度も負けていないなんて大した記録をつくっております藤井聡太四段という面々でございましょうか。
 いやこう申しますと渡辺竜王もいるし内藤九段だって歌を歌っていたし森内さんも引退でニュースになっているし佐藤康光九段に至っては紫綬褒章をいただいているだのなんだのと色んな人が出てきてしまうかもしれません。

 ……実は私の周囲には将棋を指せる棋士を知っているという人はどうもいらっしゃらないようで。壁に向かって将棋について書いておりますってと1日1回程度でございましょうか「将棋? あの、あれでしょ。なんとかさんがテレビに出ているよね、引退する」とか「なんか強い人がいるんでしょう?」と声をかけてくださいます。
 そういうところにおりますと、ふといたずら心がわいてくることもあります。まったく知らないことをでっちあげて冗談を言ったら果たしてどこまで信じてもらえるだろうと。
「タイトル戦に出るようになると各地を飛んで歩くから何人か飛行機とかヘリとか持っているらしい」
 びみょうに生々しいのでやめておきましょう。壁に向かってにやついてしまったので振り向かれました。邪心を察知されたのかもしれません。

 そういうところにおりますからいやもう桐山清澄九段なんて知っている人はいないんだろうなあと失礼なことを愚痴っぽく考えてしまいます。桐山九段を語るには升田九段の内弟子時代があったとか弟子に豊島さんがいるとか中原さん米長さんとのタイトル戦とかがわかりやすいかなと苦心もするのですがそもそも升田豊島中原米長をやはり知らないという次第でございまして愚痴っぽくもなるというものでございます。
 そんな私には想像もつかないがこんな逸話がございます。

 ある日、浦野真彦さんが電車に乗っておりますと、知らないおじさんから声をかけられた。
「あの人、将棋の人やろ? 桐山さん」
 ははあ将棋が好きな人が話しかけてきたわけだ。もしかしたら自分のことも知っているかもしれない。でもそこは浦野さんのお人柄。あそこに谷川さんがいらっしゃいますよと言ってさしあげると「谷川さん?だれ?」という顔をなさる。これには浦野さんも驚いた。
 そしておじさんは浦野さんの肩をパーン鳴らして叩いて言ったそうでございます。
「兄さん!もっと太らないとあかんで!」

 浦野八段は当時六段。詰将棋第一人者のひとりで漫画「ハチワンダイバー」にも終盤担当として登場したほどなのですが、それよりもなによりも《軽い》のでございます。その体重なんと当時で42キロ、ウエスト56センチ! 女の子が泣いてうらやましがりそうな数字でございます。
 それにしても浦野六段はさておき――というと失礼ですが、谷川さんを知らないけど桐山さんを知っていたというそのおじさまは何者だったのでございましょう。名前は当然のように伝わっておりません。
浦野八段

浦野八段

当時棋界最軽であった浦野八段。猫好きである他、将棋解説と自著の宣伝のうまさからジャパネット浦野の異名も持っている。

いぶし銀の気遣い

 桐山さんと言えばとにかく銀、銀将、銀が動くという次第でございましてついたあだ名が《いぶし銀》それもしぶい人柄だから《いぶし銀》というわけではなくて銀将が動くしぶい将棋だから《いぶし銀》という徹底ぶりでございます。
 プロだとか実力派だとかいうものは本物であればあるほど渋くなっていく。その真骨頂が桐山九段。かっこいいじゃあありませんか。

 しかし港でサングラスをかけ船を見ながら煙草を吸っているかと言えばそういうわけでもないのでございます。
 あるとき桐山さんがふらっと棋士室に現れた。桐山さんは対局中。しかし時間があるし相手の手番だからとべつにええやろと散歩をしにきたといった風。棋士室にはモニターが設置されていてそこから対局室の様子と持ち時間などがわかるからこんなこともできるわけです。もちろん将棋の手に関することを言うのはご法度ですが、まあ世間話などをする分にはかまわない。今はどうかわかりませんがこれ自体は90年代はじめの頃でありました。時代ですな。

 で、その桐山さんがモニターを見てアッと声をだした。すわ何事かと思ってモニターを見るとさっきまで桐山さんが座っていたところに対局者が座っているではありませんか。相手の側に立って盤を見ることで文字通り視点を変えることを今では「ひふみんアイ」なんて呼んでいる人がおりますが、まあ加藤一二三九段に限らずやる人というものはやるものです。
 しかし相手がいないからと言って席に座るのは珍しい。そこで相手が戻ってきたらイヤこれは失礼なんて言いながらいそいそと自分の席に戻るのでございましょうか、先輩棋士などにやってしまっては人によっては張り手がとんできそうでございます。

 さてこの対局者、石田和雄九段という方なのですが、なんと桐山さんの駒を触りだすではありませんか。これには見ている人もざわざわしだす。石田九段は駒台の上にある駒をパチリパチリと置きなおし、今度は盤のうえの駒もちまちまいじる。それを見て桐山さんは言ったそうでございます。
「並べ方が気にくわんかったんやろか……」
 
 桐山さんのマジメ?なお人柄がうかがえるエピソードでございます。この対局の勝者は桐山さんだったそうで。
 当たり前の話でございますが、ちょんちょんと駒の位置を直すのはいろんな人がやっていまして、駒が曲がっていないかとかちゃんと中央におさまっているかとかマスの下の線にそろっているかとか見栄えはどうかとかまあ人はいろいろなものを考えるものでございます。
 このときに自分の駒なり相手の駒なりを人知れずそっと動かそうもんなら当たり前、反則負けということになります。
 もっともこのとき桐山さんは「石田さんが桐山さんの駒を動かしたら桐山さんが反則負けになりますよ」とからかわれたそうですが。
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石田和雄九段の著作

桐山九段のこれから

桐山九段

桐山九段

 歳をとるといろいろなところの具合がわるくなってくる。若い頃に比べて思考力というか集中力というか、なんや調子よくないところが増えてくるなあということで将棋でもスポーツでも第一線は若い人に任せて後進の育成でもしようかという話になってきます。
 しかしそれは勝負師としてはある意味で負けを認めるということでありましてできる限り戦い続けたいという気持ちもある。勝負師でなくても、まだまだ若いモンには負けないぞという人は世に幾万人とおるだろうと思う次第でございます。
 そういう人にとって活躍する年長者はおおいに励みになるもので桐山さんは2017年にNHK杯に登場します。強い人だったらいきなり本戦とかシード権とかついていますが桐山九段は予選1回戦からの参加、これを勝って2回戦を勝ってなんと決勝でも勝って本選進出を決めました。
 NHK杯本戦に参戦できるのは50人となかなか少ないのでございます。桐山九段は御年69、出場者のなかで最高齢となっております。
大盤解説に向かう桐山九段

大盤解説に向かう桐山九段

 69歳ということでピンと来た方もいらっしゃるかもしれません。
 棋界最年長と言えば加藤一二三九段が77歳、しかし加藤九段は引退が決定しております。2番目の森雞二九段が71歳でございますがこちらも加藤九段と並んで引退なされます。
 するとこれからは桐山さんが最年長。現在降級点がひとつついていますが順位戦で勝ち越しの成績をあげられれば降級点は消されます。
 本格派がいなくなってしまうのはさみしいものです。桐山九段にはいつまでも活躍していただきたい。
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