音楽についても深い造詣を持っていたコメディアン・志村けん
新型コロナウイルスによる肺炎で急逝したコメディアン・志村けん。その突然の訃報に、ショックを受けた方も多いかと思います。ドリフターズのメンバーとして、そしてソロとして長年お笑い界で活躍してきた志村ですが、実は音楽についても深い造詣を持っていました。特に洋楽については、音楽評論家顔負けのこだわりも。この記事では、そんな志村の音楽愛とその造詣の深さについて特集したいと思います。
こちらは三味線を披露する志村けん!!
志村けんがスカパラと三味線で共演
via www.youtube.com
ドリフのコントにも影響を与えた「ブラックミュージック」
via www.amazon.co.jp
ドリフターズのコントの中には、音楽要素のあるネタが複数存在しているのはご存じかと思います。中でも有名なのは「ヒゲダンス」で、このネタに使用されているBGMは、アメリカのR&Bシンガーであるテディ・ペンダーグラスの楽曲「Do Me」を引用しています。これは、当時ソウルミュージックに傾倒していた志村の発案であり、志村と加藤の繰り出す大道芸との相性も抜群で、シングルレコードとして「『ヒゲ』のテーマ」が発売されるなど大当たりのネタとなりました。
こちらが「Do Me」。確かにベースラインは同じです!
Teddy Pendergrass - Do Me
via www.youtube.com
出身地の民謡を大胆に採用した「東村山音頭」
ソウルに傾倒する一方で、津軽三味線を趣味としていた志村。元々ギターとしてドリフターズに加入したこともあり、三味線は見る見るうちに上達、かなりの腕前であることが知られていました。そんな志村は日本の音楽にも造詣が深く、「8時だョ!全員集合」における名物コーナー・少年少女合唱隊で、自身の出身地である東京・東村山市の民謡である「東村山音頭」をリメイクすることを発案。このネタは大当たりし、東村山市の知名度の向上にも大きく貢献しました。
こちらは当時の映像!!
志村けん 東村山音頭
via www.youtube.com
中学時代から熱狂していた「ビートルズ」
「ヒゲダンス」「東村山音頭」以外にも、童謡「七つの子」の替え唄である「カラスの勝手でしょ」など、ドリフターズのネタに音楽面から多大な貢献をした志村。では、彼の音楽的なルーツはどこにあるのでしょうか?それは、1950年生まれの志村が中学生時代に夢中になった「ビートルズ」です。
via www.amazon.co.jp
中学時代にビートルズと出会い、畑でバンド演奏をしたりビートルズの格好(マッシュルームカットやタートルネックなど)を真似をするなど、その影響をモロに受けていた志村。1966年7月2日には、ビートルズの日本武道館での来日公演を鑑賞し、持参したカメラで会場内を隠し撮りしたというエピソードも残されています。なお、ビートルズの来日公演において「ドリフターズがその前座を務めた」というのは有名な話ですが、7月2日公演分については前座を務めておらず、志村はビートルズの前座としてのドリフターズの演奏は見ていません。
ザ・ドリフターズ ビートルズ来日公演前座
via www.youtube.com
ビートルズの熱狂的ファンであった志村ですが、ビートルズ熱はその後も下がることはなく、後年自身の冠番組でビートルズの楽曲をBGMとして流したり、ビートルズ関連のレコードコレクターとしても業界内では有名です。また2013年には、ポール・マッカートニーの東京ドーム公演を鑑賞し「大興奮」「高校2年生の時、武道館でビートルズ見てから何年ぶりか」とも語っていました。このように、ビートルズは志村の音楽的なバックグラウンドを構成しており、彼の生涯に渡り影響を与え続けていました。