日本人なら誰でも知っている看板
大阪市中央区道頓堀の名物として親しまれている江崎グリコ看板
この看板、現在の物はなんと6代目、さらに初代は昭和10年代からあったそうです。
この看板、現在の物はなんと6代目、さらに初代は昭和10年代からあったそうです。
Yahoo!地図
Yahoo!地図では、日本全国の地図情報及び航空写真を提供しております。主要な施設名、地名、住所、郵便番号などから詳細地図の検索が可能です。
初代
グリコのホームページによれば、今から約80年前の昭和10年(1935年) に初代グリコネオン 大阪道頓堀川、戎橋のそばに初めてグリコのネオン塔が立ちました。高さ33mを誇るネオン塔は、トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、同時に毎分19回点滅する花模様で彩ったものでした。当時としては型破りのネオンで、一躍大阪ミナミの名物となりました。
初代は看板というより、何だかオブジェクトみたいですね。
2代目
via www.neon-jp.org
1943年(昭和18年)、戦況が厳しくなり鉄材供出のため撤去されてしまいましたが、戦後の1955年(昭和30年)、2代目が再建されました。ネオン塔は砲弾型の下部に特設ステージを持つユニークなもので、そこでは人形のワニ君がピアノをひいたり、人形劇を演じたり、ロカビリー大会を催したりしました。
これこそ昭和な感じがしますね。
3代目
1963年(昭和38年)には3代目にバトンタッチ、噴水ネオン塔になりました。12トンの水が、トレードマークの中心部にある150本の水車状のノズル(高さ18M、横8M、2層からなり左右に回転)から噴き出し、12色のランプ400個が噴水を照らして、きれいな虹の模様を描きました。落下した水はまたポンプで上のタンクに戻す仕掛けになっていました。
4代目
高さ17m、横10.85mで1972年(昭和47年)に建設されました。バックになっている陸上競技場のトラック部分を点滅させ、トレードマークのランナーに躍動感を持たせたネオンでした。このネオン塔は、日没から午後11時までネオンが点灯し、競技場の中央コースからゴールインするランナー姿が川面に映え、看板を背景に記念撮影するほどの名物看板になっていました。隣接するビル建替えに伴い、1996年1月21日(日)に消灯し、その翌日から撤去しました。
日本の高度成長期という感じですね。
5代目
隣接するビルの改装に伴い、1996年(平成8年) 1月21日に消灯し、その翌日から一時撤去していた大阪道頓堀のグリコネオンが、1998年(平成10年) 7月6日、約900日ぶりにデザインも新たに復活しました。
江崎グリコはビルを区分所有し、ネオン真下の土地も持っている。維持費はメンテナンス代と月約16万円の電気代だけだが、経済効果は計り知れないとのことです。
電気代かかりますね。