幼い頃、戦争が何かの分別もまだないころ、世界の戦闘機が紹介された図鑑をみてはワクワクしたものですね。
機体画像は当時の白黒写真やプラモデル、描写など様々なかたちでネット上にアップされているようなので、特に写真にこだわらず見た目に特徴がつかみやすそうなものを引用させていただいています。
機体画像は当時の白黒写真やプラモデル、描写など様々なかたちでネット上にアップされているようなので、特に写真にこだわらず見た目に特徴がつかみやすそうなものを引用させていただいています。
戦闘機
via wikiwiki.jp
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ヤブコレフYaK-3
YaK-1を小型、軽量化したのがYaK-1Mとなり、更に改良したのが1943年後期に登場したYaK-3で、低空における格闘性が際立っていた。
開発に手間取り、YaK-5、7、9より後の作品である。
開発に手間取り、YaK-5、7、9より後の作品である。
via wikiwiki.jp
ヤブコレフYaK-9
YaK-1から発達したのがYaK-7で、特に航続力が優れていた。
様々な改良型が作られたが、燃料タンクを増やしたYak-9D長距離戦闘機の誕生を見た。
全金属製になったのが9Uで、最後には9Pとして終戦の年に完成したものが戦後の主力戦闘機となった。
様々な改良型が作られたが、燃料タンクを増やしたYak-9D長距離戦闘機の誕生を見た。
全金属製になったのが9Uで、最後には9Pとして終戦の年に完成したものが戦後の主力戦闘機となった。
via avia.pro
ミコヤンMIG-3
ミグ1を改良発達させたもので、高空用液冷エンジンを搭載している。
木金混合、低翼短翼、引込脚でスピードも同時代のラグ3、ヤク1より優れていたが、操縦性が良くなく地上攻撃、偵察に回された。
木金混合、低翼短翼、引込脚でスピードも同時代のラグ3、ヤク1より優れていたが、操縦性が良くなく地上攻撃、偵察に回された。
ミコヤンMIG-15
1946年から開発されたが、翌年ニーンを国産化したエンジンによって素晴らしい性能を発揮し、量産に入った。
総計18,000機といわれている。
朝鮮戦争ではアメリカのF-84、F-86などと戦い、国連軍を混乱に陥れて有名になった。
総計18,000機といわれている。
朝鮮戦争ではアメリカのF-84、F-86などと戦い、国連軍を混乱に陥れて有名になった。
via www.migflug.com
ミコヤンMIG-17
MIG-15の発達型で、1952年から量産に入った。
AからEまで様々に改良されたが、Cからアフターバーナーがつけられ、主翼下に標準装備として増加燃料タンクを取り付けるようになった。
生産機数はMIG-15よりも多いといわれている。
AからEまで様々に改良されたが、Cからアフターバーナーがつけられ、主翼下に標準装備として増加燃料タンクを取り付けるようになった。
生産機数はMIG-15よりも多いといわれている。
ミコヤンMIG-19
ソ連最初の実用超音速戦闘機で、1953年初飛行、1955年から配置についた。
58度の鋭い後退角のある主翼が目立つ。
10年間で3,000機生産され、ソ連空軍の他、主要衛星空軍でも広く使われた。
58度の鋭い後退角のある主翼が目立つ。
10年間で3,000機生産され、ソ連空軍の他、主要衛星空軍でも広く使われた。
ミコヤンMIG-21フィッシュベッド
1958年配属が決まったMIG-21は、PFから制限全天候ジェット戦闘機となり、アメリカのロッキードF-104に対抗する共産圏の主力機だった。
マッハ2の高性能機であるが、離着陸性能も高く操縦、運用、取扱いも極めて簡易な機体といわれている。
マッハ2の高性能機であるが、離着陸性能も高く操縦、運用、取扱いも極めて簡易な機体といわれている。
via ks.c.yimg.jp
ミコヤンMIG-25フォックスバット
開発は1946年と古く、アメリカのマッハ3超音速戦略偵察機ロッキードSR-71とほぼ同時代になる。
MIG-25もマッハ3を出すので、いずれも当時の最新鋭機とされ長く秘密のベールに包まれていた。
※函館への亡命機の到来によってミグの正体は明らかになった
高高度における迎撃及び偵察を目的としており、10,000m以下では性能がぐんと落ち、アメリカのライバルF-15イーグルより劣るとされた。
MIG-25もマッハ3を出すので、いずれも当時の最新鋭機とされ長く秘密のベールに包まれていた。
※函館への亡命機の到来によってミグの正体は明らかになった
高高度における迎撃及び偵察を目的としており、10,000m以下では性能がぐんと落ち、アメリカのライバルF-15イーグルより劣るとされた。
via www.migflug.com
ミコヤンMIG-23フロッガー
ソ連で最初に可変翼を使用した機体で、主翼の可動範囲は70度~20度くらいである。
1967年7月のモスクワ航空ショーで公開された。
全天候性をもっていて、リビア、イラク、エジプトなどに供与されていった。
1967年7月のモスクワ航空ショーで公開された。
全天候性をもっていて、リビア、イラク、エジプトなどに供与されていった。
スホーイSu-7フィッター
1959年から配置についた戦闘攻撃機。
前縁で62度の後退翼を持つ主翼、全動式の尾翼など超音速戦闘機にふさわしい外形、機能を持っているが、実際には運動性が不良で空戦に向かず、対地攻撃用にしか使われなかったようだ。
前縁で62度の後退翼を持つ主翼、全動式の尾翼など超音速戦闘機にふさわしい外形、機能を持っているが、実際には運動性が不良で空戦に向かず、対地攻撃用にしか使われなかったようだ。
スホーイSu-11フィッシュポット
Su9MFもしくはSu9PMとして知られていたものだが、Su9と寸法まったく同じ機体で、空対空ミサイルを4発装備している。
「スピンスキャン」レーダーFCSにより全天候要撃能力を備えていると思われる。
「スピンスキャン」レーダーFCSにより全天候要撃能力を備えていると思われる。
ヤコブレフYaK-28ファイアバー
ソ連最初の本格的全天候戦闘機として1955年から就役したP725型を発展させたものと考えられる。
63年ごろから部隊就役し、YaK-25と交替し防空団(PVO)の主力戦闘機として配置され、長く主力機の地位を守った。
63年ごろから部隊就役し、YaK-25と交替し防空団(PVO)の主力戦闘機として配置され、長く主力機の地位を守った。
メッサーシュミットMe109Gに匹敵し、コジェドフ(62機)などの撃墜王の乗機であった。