幼い頃、戦争が何かの分別もまだないころ、世界の戦闘機が紹介された図鑑をみてはワクワクしたものですね。
機体画像は当時の白黒写真やプラモデル、描写など様々なかたちでネット上にアップされているようなので、特に写真にこだわらず見た目に特徴がつかみやすそうなものを引用させていただいています。
機体画像は当時の白黒写真やプラモデル、描写など様々なかたちでネット上にアップされているようなので、特に写真にこだわらず見た目に特徴がつかみやすそうなものを引用させていただいています。
戦闘機
via wikiwiki.jp
スピットファイア12型
5C型の機体を補強して、1段2速過給器つき低空用エンジンのグリフォン3を搭載したのが12型である。
ドイツのFW190Aに対抗する為にこのエンジンをとりつけたもので、実際に戦果は大きかった。
ドイツのFW190Aに対抗する為にこのエンジンをとりつけたもので、実際に戦果は大きかった。
ホーカー・ハリケーン2C
1935年11月初飛行して、時速504kmを出して好評となり、翌年6月には600機発注された。
1940年の、ドイツ空軍の本土大空襲では、スピットファイアと共に活躍して撃退したが、性能的にはメッサーシュミットMe109より劣っていた。
1940年の、ドイツ空軍の本土大空襲では、スピットファイアと共に活躍して撃退したが、性能的にはメッサーシュミットMe109より劣っていた。
ホーカー・タイフーン1B
迎撃戦闘機として設計されたもので、1940年2月初飛行し、翌年9月から実戦部隊に配置された。
しかしエンジンの信頼性がなく、上昇力が貧弱で高高度性能が悪いとされたことで実戦部隊では不評だった。
しかしV1号撃墜には活躍している。
しかしエンジンの信頼性がなく、上昇力が貧弱で高高度性能が悪いとされたことで実戦部隊では不評だった。
しかしV1号撃墜には活躍している。
グロスター・ミーティア
1940年末、イギリス空軍のホイットル大佐がターボジェットの将来性を見抜き、実用双発単座戦闘機を計画し、グロスター社に試作機を作らせたもの。
メッサーシュミットMe262と共に大戦中実用となったジェット戦闘機。
メッサーシュミットMe262と共に大戦中実用となったジェット戦闘機。
スーパーマリンスイフト
”イギリスを救ったスピットファイア”のメーカー、スーパーマリン社が開発した、流麗なスタイルのジェット戦闘機。
僚機アタッカー、ホーカー社のハンターと共に初期のジェット戦闘機の黄金時代を築いた。
僚機アタッカー、ホーカー社のハンターと共に初期のジェット戦闘機の黄金時代を築いた。
BACライトニング
イギリスが自ら開発し、装備した唯一の切り欠き三角翼の超音速戦闘機である。
ライトニングの最終型F53は輸出型で、特に対地攻撃能力を向上させてあり、1965年から2年間に67機生産された。
更にF6は航続距離が大幅に伸びたことも大きな特徴だが、また兵装や電子機器および燃料を収容するスペースが小さいという欠点が最後までつきまとった。
ライトニングの最終型F53は輸出型で、特に対地攻撃能力を向上させてあり、1965年から2年間に67機生産された。
更にF6は航続距離が大幅に伸びたことも大きな特徴だが、また兵装や電子機器および燃料を収容するスペースが小さいという欠点が最後までつきまとった。
デハビランドモスキトー
1941年から1945年の終戦までに生産された機数が7,781機に及んだ全木製多用途機で、最高速の軽爆撃機だった。
戦闘機型が爆撃機型と異なるのは、翼の主桁が補強され、20mm砲4、7.7mm機銃4が装備されたことなどである。
戦闘機型が爆撃機型と異なるのは、翼の主桁が補強され、20mm砲4、7.7mm機銃4が装備されたことなどである。
マクダネル・ダグラスF-4Kファントム
長く生産が続いた西側自由陣営を代表するジェット戦闘機で、すでに4,000機以上が量産されている。
艦上戦闘機として開発されたため、翼面荷重が比較的小さく、しかも強力なエンジンを積んでいるので、優れた運動性を持っている。
艦上戦闘機として開発されたため、翼面荷重が比較的小さく、しかも強力なエンジンを積んでいるので、優れた運動性を持っている。
爆撃機
アブロランカスター
第二次大戦下でのイギリスの3大傑作機のひとつ。
7,366機生産され、出撃回数15,600回、全投弾量608,612トンであった。
5トン(戦艦ティルピッツ撃沈)、10トン(ピーレフェルド=ドイツの鉄橋破壊)の超大型爆弾を搭載していた。
7,366機生産され、出撃回数15,600回、全投弾量608,612トンであった。
5トン(戦艦ティルピッツ撃沈)、10トン(ピーレフェルド=ドイツの鉄橋破壊)の超大型爆弾を搭載していた。
via www.skytamer.com
合計6,479機生産されたが、ヨーロッパ大陸はもちろんオーストラリア、ビルマ、西アフリカで活躍した。