ホバークラフト
「ホバークラフト」は、実は商品名で、一般呼称は“エアクッション艇”または“空気浮揚艇”。図鑑や新聞では「ホバークラフト」と呼称される事が多い。
大分をはじめ運航された地域では建造元である三井造船が「ホーバー」と呼んだため、「ホーバー」の呼称が一般的である。
かつて運航されていたホバークラフト
瀬戸内海
当時、同じ区間を通っていた宇高連絡船だと1時間かかったところを僅か23分で結んだ。
しかし、瀬戸大橋が開通して列車で海を渡れるようになったため、その前日を以て連絡船と共に廃止された。
沖縄・八重山諸島
就航当初は港湾設備がなかった島もあり、簡素なベンチとタラップだけが置かれた砂浜に直接上陸した。
なお、日本では、19隻のホバークラフトが建造されたが、既に全艇ともリタイアして解体されてしまい、現存しない。
建造されたのは以下の19隻。
1. はくちょう(三井造船所有艇。国鉄宇高航路の予備艇だったが、後に岡山県の玉野海洋博物館で屋外展示されていた。老朽化のため1988年に解体)
2. はくちょう2号(三井造船所有艇。名鉄海上観光船にリースされていた)
3. はくちょう3号(大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、1995年に解体)
4. ほびー1号(大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、1991年に解体)
5. ほびー2号(大分ホーバーフェリー。衝突・転覆事故により1976年に解体)
6. ほびー3号(大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、1990年に解体)
7. かもめ(三井造船所有艇。国鉄にリースされ、宇高航路の初代ホーバーとして就航していたが、後に2代目の「とびうお」が就航すると、予備艇となった。1991年に解体)
8. こうりゅう<蛟龍>(八重山観光フェリー→引退後は西表島大原の竹富町離島振興総合センターで屋外展示されたが、1996年に台風被害で大破したため解体。現在はプロペラのみ展示保存されている)
9. エンゼル1号(空港ホーバークラフト)
10. エンゼル2号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー)
11. 赤とんぼ51号→ほびー6号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造。最後まで残ったPP5であったが、2003年に解体)
12. 赤とんぼ52号→ほびー7号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー。大分で一旦船籍登録されたが、他艇への部品取りに転用)
13. エンゼル3号(空港ホーバークラフト)
14. エンゼル5号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、2002年に解体)
15. Hanchang No.1(「ハンチャン1号」韓国で就航。38名乗り)
16. Hanchang No.2(「ハンチャン2号」韓国で就航。38名乗り)
17. Hanchang No.3(「ハンチャン3号」韓国で就航。39名乗り)
18. とびうお(建造時からmk2。国鉄が購入し「かもめ」に代わって宇高航路で就航。そのままJR四国に引き継がれたが、1988年の宇高航路の廃止後、1989年3月に建造元の三井造船が買い戻す。1991年に解体)
19. Hanchang No.4(「ハンチャン4号」韓国で就航。39名乗り)
それでも、どうしても「ホバークラフト」に乗りたければ・・・
普及が進んでいない民生分野と異なり、軍事用のホバークラフトは徐々に活躍の場を広げつつある。民生分野では障害となった前述の欠点は、軍事分野ではさほど問題とはならず、逆に高速性や、一般の船舶では侵入が難しい浅瀬や海岸での行動の自由など、軍事作戦の幅を拡大させる長所が注目された。軍事用ホバークラフトはかつては主に近海・浅海域や河川の哨戒などに投入されていたが、大型・高性能化するに従い上陸作戦にも応用されるようになっている。
日本の法律では主に水上走行することから船舶に分類されるが、工学上は航空機に分類される。