ザ・デストロイヤーがTBS『爆報!THEフライデー』に出演
往年の人気プロレスラー、ザ・デストロイヤーが12月2日放送のTBS『爆報!THEフライデー』に出演。「力道山のライバル 伝説の覆面レスラー ザ・デストロイヤーは今・・・」と題し、ザ・デストロイヤーの近況が明かされた。
ザ・デストロイヤーとは?
本名、ディック・ベイヤー。1931年7月11日、ニューヨーク州バッファロー生まれ。シュラキュース大学時代、フットボールのオレンジボウルに出場。大学から教育学修士号を授与された後、バッファローのプロモーターにスカウトされてプロレス入り。ロサンゼルスで“インテリジェント・センセーショナル”・ザ・デストロイヤーに変身。フレッド・ブラッシーを破り、覆面レスラー史上初の世界チャンピオンに君臨する。1963年、初来日。力道山と壮絶な試合で一躍脚光を浴びる。ジャイアント馬場が全日本プロレスを設立してからは、日本陣営として通算約6年に渡り参加。覆面レスラー世界一の座も手中に収める。
ザ・デストロイヤーの現在
ザ・デストロイヤーは現在86歳。米国ニューヨーク州バッファローに東京ドーム7個分の敷地を持ち、特注で作ったという和室もある5LDKの自宅で妻のウィルマさんと2人暮らし。広大な敷地の中に「デストロイヤー・パークゴルフ場」をオープンし、長女のクリスさんが運営している。
ザ・デストロイヤーが後悔「私が一緒にいれば力道山を守れた」
『爆報!THEフライデー』の取材に対し、力道山の死についても語ったザ・デストロイヤー。
1963年12月8日、赤坂の料亭で力道山と会っていたというザ・デストロイヤーは、力道山からクラブで飲もうと誘われたものの、帰国便の時間が迫っていたため、これを断念。その約3時間後、力道山はクラブでトラブルの末に刺され、その刺し傷が元となり一週間後にこの世を去った。
1963年12月8日、赤坂の料亭で力道山と会っていたというザ・デストロイヤーは、力道山からクラブで飲もうと誘われたものの、帰国便の時間が迫っていたため、これを断念。その約3時間後、力道山はクラブでトラブルの末に刺され、その刺し傷が元となり一週間後にこの世を去った。
「あの時のことを今でも後悔している」というザ・デストロイヤー。「もし飛行機をキャンセルできれば運命は変わっていた。私が一緒にいれば力道山を守れたはずだ」と振り返った。
ザ・デストロイヤーは、今も不慮の死の好敵手を想い、敷地内に桜を植えているという。
ザ・デストロイヤーは、今も不慮の死の好敵手を想い、敷地内に桜を植えているという。
ザ・デストロイヤーと力動山
1963年5月、日本プロレスに初来日して力道山と対戦、足4の字固めをめぐる壮絶な攻防は全国に一大センセーションを巻き起こした。同年5月24日に東京体育館で行われたWWA世界選手権は平均視聴率64%を記録、これは今日においても歴代視聴率4位にランクされている。力道山とのシングルマッチは通算1勝1敗2分。
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