岡崎京子のプロフィール
安野モヨコさん解説回の1万再生突破を記念して、岡崎京子さんの切り抜き動画を作りました!1月16日夜8時〜 YouTubeにてプレミアム公開します!お楽しみに!
— 山田玲司の原作を10倍おもしろくする解説【山田玲司のヤングサンデー切り抜き】 (@kirinuki_reiji) January 15, 2022
【前編】岡崎京子はどこから来たか?(下北沢ではある)https://t.co/sa4E2U7RJ1 @YouTube#山田玲司 #きたがわ翔 #岡崎京子 #ヤングサンデー pic.twitter.com/yLEwv0S5mY
生年月日:1963年12月13日
出身地:東京都世田谷区下北沢
最終学歴:跡見学園短期大学生活芸術科卒業
職業:漫画家
デビューのキッカケ:東京都立松原高等学校時代に、橘川幸夫さん編集の投稿雑誌「ポンプ」等にイラストや漫画を頻繁に投稿していました。
妹さんとともに表紙を飾ったこともあります。
そしてメジャーミニコミ誌『東京おとな倶楽部』に転載されたものが、雑誌 「漫画ブリッコ」編集者の大塚英志さんに評価され、 1983年に「漫画ブリッコ」(白夜書房)6月号にてデビューしました。
岡崎京子だと『チワワちゃん』が映像化向いてそうな気がする。というよりもあれ読む映画と言ってもいいくらいだし。 pic.twitter.com/qbXt3GH6y6
— 乙郎さん (@otsurourevue) February 4, 2017
同時代の内田春菊さんや、桜沢エリカさんと共に「女の子エッチ漫画家」として話題になりました。
私は1990年代に「ヘルタースケルター」が連載されていたフィールヤングを愛読していました。
岡崎京子さんの漫画は主人公の女の子が可愛いのだけど、エキセントリックで破滅に向かうことも多く、すごく惹き込まれたのを覚えています。
私が印象に残っているのは「私は貴方のオモチャなの」と「水の中の小さな太陽」ですね。
岡崎京子原作、映画『ジオラマボーイ・パノラマガール』 オザケン「ラブリ―」が東京の街に鳴り響く特報公開
男の子は酔って寝てしまいましたが、目覚めてから急いで家に向かい女の子に謝罪しました。
どんなに酷い目にあっても男の子が好きな気持ちが消えない女の子。
愛情ではない男女関係の悲しさを感じる作品です。
「水の中の小さな太陽」は、小学生の時に海で溺れそうになったときに海の中から見た太陽のことです。
溺れていた時に小泉今日子さんの「渚のはいから人魚」がヘビロテされていたという記述が、印象的でした。
水の中の小さな太陽
祥伝社『FEEL YOUNG』1994年2月号掲載。
女子高校生ミーナは美人で優等生、彼氏のユーヤと共に誰もが羨む存在であったが、影では違法薬物の密売、脅迫、アブノーマルなセックスと悪事を重ねていた。日常に対する苛立ちから暴走を続けるミーナに、共犯者であったユーヤも怯え離れていくが、ミーナは自分を止めることが出来ない。
夜の海では太陽さえも見えないというラストになっています。
ミーナはとことんまで堕ちてしまいますが、子供の頃は愛されて育った普通の女の子だったことが、「渚のはいから人魚」で表現されているようで悲しかったですね。
小泉今日子 渚のはいから人魚
代表作「ヘルタースケルター」
沢尻エリカ主演『ヘルタースケルター』Blu-ray&DVD予告編
ヘルタースケルターの主人公は、年齢や名前など全てが謎に包まれたファッションモデルのりりこです。
誰もが羨む美貌とスタイルを持ったりりこですが、実はもともと87キロの巨漢で不美人でした。
上京したときに騙されて「デブ専風俗店」で働かされていたのです。
そんな不遇なりりこですが、骨格が奇跡のように美しかったために、モデル事務所の女社長にスカウトされて「骨格、目玉、爪、髪、性器」意外の全てを整形してカリスマモデルとしてデビューしたのでした。
過剰な整形手術の後遺症や整形を維持するための過剰な薬物の接種によって、心身共にボロボロになっていくりりこ…。
沢尻エリカさんの美貌に圧倒された映画でもあります。
そして窪塚洋介さんとのラブシーンは、想像以上に激しく必見です!
岡崎京子さんのその後
岡崎京子先生が1996年5月19日18時半、東京都世田谷区の自宅の近くで夫の朱雀正道さんと散歩中 に飲酒運転の4WDにはねられる。頭部打撲・頭蓋骨骨折・脾臓破裂で東京女子医大に入院、緊急手術するも、意識不明の重体。テレビのニュース速報、ラジオ、インターネット、朝日新聞、読売新聞、日刊スポーツ等で報道される。
夫は全身打撲、骨折で1ヶ月の重症、別の病院に入院するが、事故の翌日には車椅子で奥さんを見舞いに行ったもよう。
意識不明の重体だったということで、命も危険な状態だったようです。
幸い命はとりとめましたが、意識障害が続いたため創作休止と長期療養を余儀なくされてしまったのでした。
岡崎京子さんの漫画大好きだったので、とても残念でしたね…。
岡崎の家族の了解をとって角川書店が1998年(平成10年)に『UNTITLED』を刊行。題名は編集部と家族が話し合い決定している[8]。
以前からファンであり親交がある小沢健二のコンサートに事故の14年後(2010年(平成22年)5月)に車椅子に乗り訪れる[10]。
『ヘルタースケルター』の映画化に際して事故後初の岡崎本人の発言が2012年1月に発表される[11]。
初の大規模個展「戦場のガールズ・ライフ」が2015年に東京・世田谷文学館で開かれ[12]、その後、兵庫と福岡へも巡回した[13][14]。
ために懐かしくなって、岡崎京子さんの作品を読み返し、その後は気になっていたので少し安心しました。
交通事故後一番に病院に駆け付けた小沢健二さんは、「家族です」と偽って側にいたそうです。
そして「だって僕は彼女の王子様だからこういう時に一番にかけつけてあげなきゃ。」と言っていたのだとか。
岡崎京子さんが車椅子でコンサートに訪れたときも、涙ながらに紹介するなどお二人の深い絆を感じますね。