「気になる17才」でデビューした、元アイドル『あいざき進也』
1973年(昭和48年)にはNET(現テレビ朝日)渡辺プロダクションが企画制作するオーディション番組「スター・オン・ステージ あなたならOK!」に出場した。布施明のヒット曲「愛の園」を歌い、第1回グランドチャンピオン大会で最優秀グランプリを獲得し、念願の渡辺プロダクションと、ワーナー・パイオニアと契約する。
翌1974年(昭和49年)1月25日「気になる17才」でデビューする。その年から、テレビ出演や全国縦断コンサートを行った。そのために歌詞、歌の振り付け、コンサート用の英語の歌までおぼえなければならないほど多忙を極めた。
中性的なルックスと甘いボイス、少年っぽい外見とは対照的な男性的な肉体は、体操で鍛えられた。
小柄ながら運動神経も抜群で、 芸能人運動会などでは、にしきのあきらか、あいざき進也と注目された。
また、ステージ上でバク転を披露し、運動神経の良さをアピールした。当時のあいざき進也は、マネージャーに言われて、空中ブランコまでやったという。
70年代を思い出させる首に巻いたスカーフ。当時の日本航空のスチュワーデス(キャビンアテンダント)もこのようにスカーフを着用していた。
1970年にTBS系列で放送されたテレビドラマ「アテンションプリーズ」で主人公のて客室乗務員を演じる紀比呂子のスカーフの結び方も同じだ。
「恋のペンダント」あいざき進也
運動神経がいい!ロンドンブーツのような、ヒールのある靴を履いて歌い踊る、あいざき進也。
あいざき進也 恋のリクエスト
あいざき進也「ミッドナイト急行」
デビューして3年。あいざき進也は、歌唱力もすばらしいアイドルだった。
あいざき進也 「セクシー・レディー」
19歳になったころからか、あいざき進也の歌唱は、男性的で、大人っぽくなった。
明治「ハイミルク」チョコレートCM
ソックスもチョコレートと同じ赤い色。
当時は気がつかなかったが、よく見るとニッカーボッカーのパンツ履いている、山男プッチ。
あいざき進也、23歳。仕事が減ってきた。
渡辺プロダクションの部長から、一から修業するようにバンドボーイの仕事を紹介される。
元アイドルあいざき進也は、寺内タケシとブルージーンズのボーヤをつとめる。
「もう一度、スポットライトが当たる場所で歌いたい!」という思いを心の支えに、1年でボーヤを卒業する。
その先はライブハウスで活動したり、飲食店で生計を立てたり、お金に困った時代が続きました。でも、コツコツやり続けたら、昭和ブームだからか仕事が入るようになり、ここ数年は「同窓会コンサート」で同年代の歌手仲間と全国を回っています。
堀越学園堀越高等学校卒業した。デビュー前にスクールメイツ名古屋校に在籍していた。
デビュー時のキャッチフレーズは、キャラメル騎士(キャラメルナイト)、ニックネームは「そばかすプッチ」
趣味は磯釣り・ゴルフ、下駄の蒐集。
愛称のプッチの由来はフランス語で小さいという意味の「プチ」からか。.