歴代のおねえさん
1966年10月3日から1982年3月31日まで、15年半もの長きにわたって放送された子供向けテレビ番組「ママとあそぼう!ピンポンパン(通称:ピンポンパン)」。番組では、新兵ちゃんだけが皆勤賞で、あとのメンバーはたびたび入れ替わりました。おねえさん役になったのは、全部で5人。以下の表の5人です。
今回はこの中から、主に1960年代生まれの多くの方にとって懐かしいであろう、2代目 "石毛恭子おねえさん" に注目します。
今回はこの中から、主に1960年代生まれの多くの方にとって懐かしいであろう、2代目 "石毛恭子おねえさん" に注目します。
代 | 氏名 | 期間 | 愛称 |
1 | 渡辺直子 | 1966年10月3日 - 1971年10月2日 | 直子おねえさん |
2 | 石毛恭子 | 1971年10月4日 - 1975年4月5日 | 恭子おねえさん |
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3 | 酒井ゆきえ | 1975年4月7日 - 1979年3月31日 | ゆきえおねえさん |
4 | 大野かおり | 1979年4月2日 - 1981年4月3日 | かおりおねえさん |
5 | 井上佳子 | 1981年4月6日 - 1982年3月31日 | 佳子(けいこ)おねえさん |
フジテレビのアナウンサー
恭子おねえさんは、1950年6月7日生まれ。茨城県生まれの東京都練馬区育ちです。1971年に、東京女子大学短期大学部を卒業し、フジテレビにアナウンサーとして入社します。同期のアナウンサーには、スポーツ実況でおなじみの大川和彦アナウンサー、『3時のあなた』『おはよう!ナイスデイ』など情報番組でおなじみの須田哲夫アナウンサーがいました。
入社一年目のその年、いきなりピンポンパン2代目おねえさんに大抜擢。1971年10月4日から出演することになります。
入社一年目のその年、いきなりピンポンパン2代目おねえさんに大抜擢。1971年10月4日から出演することになります。
ピンポンパン体操が大ブーム!
2代目おねえさんに就任した1971年10月から、番組内で使用されていた曲が『ピンポンパン体操』。視聴者からの反響が大きく、その年の12月にレコード化されます。累計売上200万枚超の大ヒットで、他局の番組ながら、翌1972年には、第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞しました。
『ピンポンパン体操』を歌ったのは、金森勢お兄さんと杉並児童合唱団でしたが、B面に収録されたのが、恭子おねえさんの歌った、番組の新しいテーマ曲『ピンポンパンのうた』でした。
『ピンポンパン体操』を歌ったのは、金森勢お兄さんと杉並児童合唱団でしたが、B面に収録されたのが、恭子おねえさんの歌った、番組の新しいテーマ曲『ピンポンパンのうた』でした。
『ピンポンパン体操』
杉並児童合唱団、金森勢 - ピンポンパン体操
via www.youtube.com
『ピンポンパンのうた』
石毛恭子、杉並児童合唱団 - ピンポンパンのうた
via www.youtube.com
レインドロップス
恭子おねえさんの歌で、筆者が個人的に一番思い入れのある曲が『レインドロップス』です。雨が降って外が暗い日でも、この曲を聴くと元気が出てきました。朝、この曲を聞いてから、保育園に登園していたことを思い出します。
雨だれ小僧ちゃん ポツンと空から落ちて来た 一つ二つ三つ四つほら 君のほっぺたが濡れてます〜
原曲はもちろん、1969年の映画『明日に向って撃て!』の挿入歌『雨にぬれても(原題:Raindrops Keep Fallin' On My Head)』。その日本語カバーですが、曲の途中に「ピン ポポパポン ピン ほら」という歌詞が登場する、ピンポンパン仕様の曲です。
雨だれ小僧ちゃん ポツンと空から落ちて来た 一つ二つ三つ四つほら 君のほっぺたが濡れてます〜
原曲はもちろん、1969年の映画『明日に向って撃て!』の挿入歌『雨にぬれても(原題:Raindrops Keep Fallin' On My Head)』。その日本語カバーですが、曲の途中に「ピン ポポパポン ピン ほら」という歌詞が登場する、ピンポンパン仕様の曲です。
レインドロップス
レインドロップス
via www.youtube.com
番組で歌われた曲の多くはレコード化され、『レインドロップス』はもちろんのこと、『パジャママンのうた』、『ピンクのバニー』、『ジャストンピン』、『シャンプーマン』、『キャンディマン』(サミー・デイヴィス・ジュニアの楽曲のカバー)などがリリースされました。
特に『ジャストンピン』の歌詞は、呪文のように覚えている方も多いのではないでしょうか。
チンゲン ドンガラガッタ ジャストン ピーナッツ カレーライス〜
特に『ジャストンピン』の歌詞は、呪文のように覚えている方も多いのではないでしょうか。
チンゲン ドンガラガッタ ジャストン ピーナッツ カレーライス〜
ジャストンピン
石毛恭子 - ジャストンピン
via www.youtube.com
おねえさん交代後は・・・
恭子おねえさんは、1975年4月5日をもってピンポンパンを卒業。酒井ゆきえおねえさんにバトンタッチします。おねえさんとしての活動期間は、3年半でした。そして翌年、フジテレビを退社し、フリーランスとなります。
フリーランスになってからは、局を問わず、子供向けの番組に出演するようになり、『あつまれ!ドレミッコ』、『ふえはうたう』などに出演しました。以下は、『ふえはうたう』の映像です。
フリーランスになってからは、局を問わず、子供向けの番組に出演するようになり、『あつまれ!ドレミッコ』、『ふえはうたう』などに出演しました。以下は、『ふえはうたう』の映像です。
NHK「ふえはうたう」
ビビディバビディブー 石毛恭子さん はせさんじさん
via www.youtube.com
私生活では、1979年に作曲家の坂田晃一と結婚。ピンポンパンを卒業して4年足らずで結婚とは、ショックだった児童も多かったのではないでしょうか。ピンポンパンも1982年で放送を終了し、最終回には歴代おねえさんが集結。もちろん、恭子おねえさんも出演しました。
「ママとあそぼう!ピンポンパン」最終回(1982年)
ピンポンパン最終回
via www.youtube.com
そのさらに15年後の1997年には、フジテレビ移転時の特別番組『ザッツお台場エンターテイメント!』に、ピンポンパン歴代おねえさんの一人として出演。皆で、ピンポンパン体操を歌って踊っています。