ママとあそぼう!ピンポンパン
NHKの『おかあさんといっしょ』を意識し、番組の進行を「お姉さん」「お兄さん」などと呼んでいた。また、河童のキャラクター・カータンやデベロンも人気を集めた。
また、番組中からいくつか広く歌われるようになった歌も生まれており、中でも1971年発売の「ピンポンパン体操」はオリコンの童謡チャートで1位となり、260万枚を売り上げる大ヒットを記録し、1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞。
毎回、番組のラストに新兵ちゃんの「おもちゃへいこう!」の掛け声を合図に、出演者の子供たちがスタジオセットの大木、「おもちゃの木」の節の中に用意されたおもちゃを取りに行く様子は、テレビの前の子供たちを羨ましがらせた。
また、番組中からいくつか広く歌われるようになった歌も生まれており、中でも1971年発売の「ピンポンパン体操」はオリコンの童謡チャートで1位となり、260万枚を売り上げる大ヒットを記録し、1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞。
毎回、番組のラストに新兵ちゃんの「おもちゃへいこう!」の掛け声を合図に、出演者の子供たちがスタジオセットの大木、「おもちゃの木」の節の中に用意されたおもちゃを取りに行く様子は、テレビの前の子供たちを羨ましがらせた。
2013年にはDVD-BOXも登場
via www.amazon.co.jp
Amazon.co.jp | ママとあそぼう! ピンポンパン DVD-BOX DVD・ブルーレイ - 渡辺直子, 石毛恭子, 酒井ゆきえ, カータン
¥¥10,024
Amazon.co.jp | ママとあそぼう! ピンポンパン DVD-BOX DVD・ブルーレイ - 渡辺直子, 石毛恭子, 酒井ゆきえ, カータン
※ NHK「おかあさんといっしょ」関連 ※
歴代【おかあさんといっしょ】のうたのおねえさん そして禁止事項や採用基準も - Middle Edge(ミドルエッジ)
NHKおかあさんといっしょの歴代「うたのおねえさん」を振り返る。あなたは、どの時代でしたか?気になる、おねえさん採用基準や禁止事項も。
どのひとタイプ?おかあさんといっしょ 歴代うたのおにいさん - Middle Edge(ミドルエッジ)
みんな大好き「おかあさんといっしょ」!その中でも、歌がうまくてダンスもできる、かっこよくて爽やかな「うたのおにいさん」に夢中になった人も多いはず。現在のだいすけおにいさんを含めた、歴代11人の個性豊かなおにいさんをまとめました。
懐かしい!!ピンポンパンお姉さんたち
ピンポンパン体操
via www.youtube.com
初代お姉さん
渡辺直子
1966年、フジテレビに入社。入社直後に「ママとあそぼう!ピンポンパン」に起用され、初代お姉さんに就任。明るく快活なキャラクターがお茶の間の人気を博し、人気NO.1アナとして不動の地位を築いた。
1971年フジテレビを退社し、タレント・歌手に転向。子供を対象として活躍した。
1978年、「日本の童謡」を担当。その後、TBSでお天気キャスターを務めた。
1971年フジテレビを退社し、タレント・歌手に転向。子供を対象として活躍した。
1978年、「日本の童謡」を担当。その後、TBSでお天気キャスターを務めた。
2代目お姉さん
石毛恭子
1971年、フジテレビ入社。入社直後に「ママとあそぼう!ピンポンパン」2代目お姉さんに抜擢され、可憐なルックスと軽妙な話術で人気者になった。
また、彼女がお姉さん役の時期には、同番組の「ピンポンパン体操」がブームとなり、使用曲は1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞した(歌:杉並児童合唱団・金森勢)。同番組のお姉さん役は、1971年10月4日から1975年4月4日まで担当した。1976年フジテレビ退社。
その後も、一時期は女優としてTBSドラマ「パパは独身」に先生役で出演するなどした。
また、彼女がお姉さん役の時期には、同番組の「ピンポンパン体操」がブームとなり、使用曲は1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞した(歌:杉並児童合唱団・金森勢)。同番組のお姉さん役は、1971年10月4日から1975年4月4日まで担当した。1976年フジテレビ退社。
その後も、一時期は女優としてTBSドラマ「パパは独身」に先生役で出演するなどした。
3代目お姉さん
酒井ゆきえ
元フジテレビ・アナウンサーで、『ママとあそぼう!!ピンポンパン』の司会(3代目おねえさん、1975年 - 1979年)を務め(イメージ)、歴代の「おねえさん」の中でも首位を争う人気を集めた。
当時、フジテレビの女性アナウンサーは契約制であり番組担当終了後に退社・フリーとなる。なお契約社員制が解除されたのは1981年からだった。
当時、フジテレビの女性アナウンサーは契約制であり番組担当終了後に退社・フリーとなる。なお契約社員制が解除されたのは1981年からだった。
4代目お姉さん
大野香菜
フジテレビのアナウンサー(「大野かおり」名)時代の1979年から1981年にかけて「ママとあそぼう!ピンポンパン」の第4代お姉さん(司会の女性役)を担当し、子供たちの人気を博した。
その後はフリーアナウンサーとなり(「大野香菜」に改名)、TBSテレビの「人生ゲームハイ&ロー」「クイズ天国と地獄」の出題者、テレビ東京の「RCカーグランプリ」の司会、ラジオパーソナリティー等を務めた。
最近では2004年10月から2005年4月まで、「レディス4」(テレビ東京)のレギュラー司会者を務めている。
その後はフリーアナウンサーとなり(「大野香菜」に改名)、TBSテレビの「人生ゲームハイ&ロー」「クイズ天国と地獄」の出題者、テレビ東京の「RCカーグランプリ」の司会、ラジオパーソナリティー等を務めた。
最近では2004年10月から2005年4月まで、「レディス4」(テレビ東京)のレギュラー司会者を務めている。
1970年4月から1971年9月までは「みんなであそぼう!ピンポンパン」と題して放送された。