2018年2月27日 更新
誕生40周年記念、実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』日本初のスーパーカー!童夢・ゼロの誕生秘話とは?
外国のスーパーカーに負けない国産スーパーカーの完成を目指した男たちが夢を実現させた日本初のスーパーカー『童夢・ゼロ!』そんな日本初のスーパーカー開発を描いた実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』を紹介します!
世界でもそのデザインが話題に!
イギリスの有名メーカーからも賞賛が!
この当時は希望に溢れていたのだが・・・。
遂に世界の名車が集まる国際自動車ショーで、華麗なデビューを飾った童夢・ゼロ。実は、市販前のこの時点で世界の有名人や富豪からの注文が殺到する程の人気となり、その中にはあのジャッキー・チェンの名前もあったとか!
その後はアメリカ向け仕様の童夢P-2や、レース参戦用に開発された童夢・ゼロRLも登場したが、残念ながらこの夢のスーパーカー童夢・ゼロが一般に市販されることは無かったのだ。理由としては、当時の運輸省が難色を示しためとされている。(このあたりの折衝の難しさは、この実録漫画の中でも描かれている)
F1参戦した童夢チームのPSソフト
その後数々のレースへの参戦を経て、フォーミュラカーへとシフトした株式会社童夢は、レーシングカーの設計やレーシングチームの運営など、今でも精力的に活躍を続けている。子供の頃この童夢ゼロに憧れた世代の一人として、いつか会社創業時の夢を実現する日が来ることを願って止まない。
その後の童夢の運命や展開について詳しくお知りになりたい方は、以下のリンクからご確認頂ければ幸いです。
最後に
いかがでしたか?
環境に配慮したハイブリッド車やエコカー全盛の現代からは、もはや想像も出来ないこのスーパーカー童夢・ゼロ。とにかく近未来的なそのデザインは子供たちの憧れそのものであり、ミドルエッジ世代には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンや『ナイトライダー』のナイト2000に匹敵するアイコンとなっている。
その夢の車が大企業や有名メーカーでは無く、僅か3人で始めた小さな会社が実現させたという事実は、それだけで充分に一本の映画に出来る程だ。
残念ながら市販には至らなかった、この童夢・ゼロ。ところが、そのデザインのカッコ良さが子供たちからの絶大な人気を呼び、トミカのミニカーやプラモデル・子供向け文具などのマーチャンダイズ料でかなりの額(一説には10億円!)を稼ぐことが出来たとのこと。夢を諦めずに追い続けたチーム童夢の人々の成果が、この様な形で利益をもたらしたことは実に幸運だったと言えるだろう。
大企業により守られていた自動車業界に、子供の頃の憧れと夢を武器に果敢に戦いを挑んだチーム童夢の男たち。当時リアルタイムでスーパーカーブームを体験したミドルエッジ世代にこそ、是非呼んで頂きたい作品だ。
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