2018年2月27日 更新
誕生40周年記念、実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』日本初のスーパーカー!童夢・ゼロの誕生秘話とは?
外国のスーパーカーに負けない国産スーパーカーの完成を目指した男たちが夢を実現させた日本初のスーパーカー『童夢・ゼロ!』そんな日本初のスーパーカー開発を描いた実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』を紹介します!
週刊少年ジャンプに連載された人気漫画『サーキットの狼』に代表される、1970年代の日本を席巻したスーパーカーブーム。まだ免許も持てない子供たちに、外国製スポーツカーのカッコ良さを教えてくれたこの大ブームこそ、我々ミドルエッジ世代を直撃した社会現象だった。ミドルエッジ世代の男子なら、きっと学校に持ち込んだスーパーカー消しゴムをボールペンのノック部分で弾いて遊んだ覚えがあるのでは?
古くは『007は二度死ぬ』に登場したトヨタ2000GTや、架空の車であれば『ウルトラシリーズ』に登場する未来的な車など、日本にも記憶に残るカッコいい車は過去に数々存在した。だが、リアルに外国のスーパーカーに負けない国産スーパーカーの完成を目指した男たちが、遂にその夢を実現させた日本初のスーパーカーを覚えておいでだろうか?
そう、その車こそ、幻の名車である童夢・ゼロ!今回はその誕生40周年を記念して、この日本初のスーパーカー開発を描いた実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』を取り上げてみたいと思う。
国産初のスーパーカー童夢・ゼロとは?
そのあまりに低い車高の外観と、憧れのランボルギーニカウンタックの様なガルウィングのドア開閉は、その車名である「童夢」の通り正に当時の子供たちの夢と憧れを具現化した様なデザイン!
ミドルエッジ世代には、あのジャッキーチェンの愛車としてのイメージが強いのではないだろうか?
童夢開発の参考にされた、フェラーリ308のプラモデル
この実録漫画でも書かれている様に、ヨーロッパの代表的なスポーツカーであるフェラーリ308を参考に開発しているため、外観や車高の低さも結構似ている、この童夢・ゼロ。実は、開発時に世界一車高の低い車を作ろうとしたため、何と車高は98cmという低さ!そのため車内が非常に狭くなってしまい、大柄な男性では運転出来ないという結果に・・・。この様に実用性よりもデザインを重視した点も、スーパーカーの名に恥じないエピソードと言えるだろう。
実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』概略
掲載誌の表紙
この国産初のスーパーカー童夢・ゼロ誕生秘話を描いた漫画が掲載されたのは、『月刊少年マガジン』の1978年7月号。
作者は塚本俊昭先生で、全30ページでの読み切り掲載だった。
当時の欄外では、『読み切りメカシリーズ第一弾』と記載されているのだが、この企画がこの後も続いたかは不明だ。
実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』内容紹介
本作の扉絵
たった3人で始めた会社が、後に夢の車「童夢・ゼロ」を実現させることになる。
参考にしたのは、フェラーリ308だった!
デザイン画の段階ではどこも相手にしてくれない、という厳しい現実。
日本初のスーパーカー開発に着手したのは、意外にも有名メーカーや大会社では無く、僅か3人で始めた会社「童夢」だった。彼らはヨーロッパの代表的なスポーツカーであるフェラーリ308を研究し、ついにあの独特のデザインを持つ童夢・ゼロが誕生することになる。
空気抵抗を見る風洞実験の結果は大成功!
童夢・ゼロの名前の由来とは?
遂に完成!そして世界のモーターショーへ!
東京大学航空研究所での風洞実験により、車体の空気抵抗や高速安定性の問題も見事クリア!
こうして試作車である童夢・ゼロが完成、1978年スイスのジュネーブで開催された国際自動車ショーで、遂に世界に向けて初披露されたのだった。
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