自転車競技選手として、中学校時代より全国レベルの大会に出場するなどの実績を挙げたことにより、高校は和歌山県屈指の自転車競技強豪校である和歌山北高の保健体育科に進学。同校在籍時代は自転車競技部の主将を務め、2年時に国体7位、3年時に高校総体4位、高校選抜大会3位などの実績を挙げた。これらの実績もあって、当初は競輪選手を目指していたが交通事故に遭い、検査で足に腫瘍が見つかったことから断念。
1986年、卒業後は吉本総合芸能学院(NSC)に5期生として進学する。同期には亀山房代、前田勝(ティーアップ)、ぜんじろうなどがいる。NSC在学中に阪上司(阪上は後に芸人引退)と漫才コンビ「三角公園USA」結成。卒業後心斎橋筋2丁目劇場で活動。ダウンタウン司会の『4時ですよーだ』(MBSテレビ)にもアシスタントとして出演していたが、レギュラー昇格のチャンスが巡って来る前に番組が終了してしまった。
1989年10月にコンビを解散し、吉本新喜劇に入団する。入団してしばらくは、同期の石田靖、同時入団の今田耕司、東野幸治らが主役級の大役をもらう一方、自身の特徴的な顎をいじられるという「アゴネタ」で笑いはとるもののそれだけですぐに出番が終わるだけの、セリフの少ない端役ばかりであった。現状に危機感を持った辻本は、自らの成長のために「アゴネタの封印」を宣言したが、その後さらに出番が激減した。
そんな中、間寛平が座長を務める旅公演にて、スケジュールの都合で参加できなくなった座員の代役として抜擢される。その公演で、ツッコミの腕が高く評価される。「辻本のツッコミはおもろい」と寛平が周囲に売り込んだおかげで少しずつ頭角を現し、今田、東野が退団した後は主役級まで昇格、1995年にはニューリーダーに就任した。同年頃から若手育成の場として「辻本茂雄芝居全集」を開始する。
1997年、吉本新喜劇を全国ネットで放送する番組『超!よしもと新喜劇』(TBS系列)のために、東京進出。しかし、吉本上層部から「辻本は大阪の匂いが強すぎる」と判断され、大阪に戻される。
よしもと新喜劇「辻本茂雄の『海辺の日記』」 - YouTube
1999年より座長に就任。新喜劇ではとりわけドタバタコメディを好む座長で、自らが制作に関わったストーリーでは「茂造じいさん」という、とにかく場をかき乱すハチャメチャで元気な老人、またはお人好しのヤクザを演じている(これらは下記で詳述)。新喜劇座長の中では観客人気が最も良く、登場時の歓声は大きい。作品の傾向として、ギャグやキャラクターに直近の流行や時事ネタを絡ませることが多い。
また、他の座長とは違い、
クライマックスの泣き落としの場面では流れに反することを言って、笑いに引き戻すことが多い(他の座長であれば静かにするか、場を納める役割を果たす)。
ストーリーや配役だけではなく、セットや仕掛け、バイオレンス表現(下記)で笑わせる傾向が多く見受けられる。
吉本最強の暴力王と言われる石田靖ほどではないが、やや暴力的なツッコミ(主に浅香あき恵とたかおみゆきに対して)も特徴である。浅香に対しては「バケツをかぶって顔を隠せ!」と怒り、たかおに対しては「おもんない!」「ブサイク!」などと言いつつ頬をはたいたり、灯油タンクでガツンとやって椅子から落としたり、茂造じいさんの時は杖で後ろから叩いたり、など。
他の座長に比べて若手を多用する傾向がある。アドリブに弱い座員(特に島木譲二や平山昌雄、青野敏行)にアドリブを振って、スベったり気づかなかったりすると「突っ込め!」っと指摘したり、「アドリブ弱い奴やな〜!!」「はっきり言うわ!! お前、アドリブ弱すぎんねん!!」っとイジることが多い。
最近では新喜劇のお約束である「出演者は基本的に知り合い同士」という設定を逆手にとって出演者をわざと大量に増やし、進行役以外の出演者が全員血縁・上司・恋愛など何かしらの関係を持っており、お互いがお互いを呼び合った後進行役が「ワケ分からん!」と突っ込むというギャグも見ることができる。
過去には「烏川耕一・安尾信乃助・島木譲二・末成由美・山田亮・秋田久美子・佐藤太一郎・前田真希・やまだひろあき、高井俊彦、すっちー、吉田裕」を重用していた。最近ではブレイクを目指す若手(伊賀健二、平山昌雄、たかおみゆき、五十嵐サキ、前田まみ、新名徹郎、安井まさじ、レイチェル、タックルながい。、今別府直之、もじゃ吉田、もりすけ、森田展義、吉岡友見、松村恵美、桜井雅斗、ヒロト、奥重敦史、鮫島幸恵、小寺真理)をレギュラー格とし重用するようになり彼らのランクアップの後押しをしている。
なお、辻本が座長の回のみ、作家と演出家が2006年以降一定周期で固定されていた。しかし2008年に作家が変わると、芝居の傾向にも変化が見られ、「茂造じいさん」「お人好しヤクザ」以外にも様々なキャラクターを演じるようになった。
@g0kmocIh74CtO4J
— ひ か り (@Twin_klexxp) March 2, 2016
本気で申し訳ないと思いますけど、、、
吉本新喜劇の茂造じいさんに似てる😂😂😂爆笑爆笑爆笑爆笑
ごめんなさいᐠ( ᐛ )ᐟ pic.twitter.com/5rQg1G3h3B
1991年、吉本新喜劇に入団。NSC9期生でNSC卒業後、新喜劇に入団したのは川畑とナインティナインの岡村隆史のみだった。一方、同期の岡村は正式にはNSCを卒業しておらず、授業料未納により除籍になっている。
2005年3月、「吉本新喜劇・川畑泰史・小籔千豊公演・がんばろっカナ!?キャンペーン」をなんばグランド花月にて開催。吉本新喜劇の歴史に残る大イベントを成功させ、イベント内で川畑小籔の両名は新喜劇の大御所・桑原和男から「次代の新喜劇を背負うのにふさわしい人材」とお墨付きをもらう。
2006年2月に小籔が座長に就任。川畑もそれに続く形で同年9月より不定期ながら仮座長公演を行い、2007年4月に同い年の吉田ヒロが座長を卒業(退任)したことに伴い、同年6月より正式に座長昇格することが決定。入団16年目にして念願の座長就任となった。
座長就任後は、新キャラクター「川畑バタ子」にも挑戦。イベントでは「ターニングポイント新喜劇」や吉本コメディの復活SPなどで主役をこなしている。また2007年のM-1グランプリに小籔とのコンビ「座長座長」で出場し、初出場でありながら準決勝に進出した。
よしもと新喜劇【「白熱!?夫婦1グランプリ」】川畑泰史/島田一の介/Mr.オクレ/浅香あき恵/未知やすえ/島田珠代 2015年6月6日 - YouTube
2005年まで味の素が販売していた「ごはんがススムくん」シリーズのCMキャラクターに似ていたことから、「ご飯がご飯がススム君・焼きビーフンフン! ズボッ!・値段が値段がやすし君」と弄られるギャグ、同商品が生産終了後は次第に使われる機会が減少し、2015年現在では使われていない。
代名詞と化している「顔パンパン」の他、「おたふく風邪に罹った」、「バターロール」、「おむすび顔」、「おにぎりせんべい」、「栗饅頭」、「ガマガエル」、「名探偵コナンの友達(小嶋元太)」などと顔や容姿をイジられる。
座長公演時、登場のシーンではヤクザ映画調の出囃子とともに行進をし[注 1]、気を付けの姿勢で止まる。直後に「カー!」という効果音(キハーダまたはヴィブラスラップの音)と同時に観客側を向き、目を瞑りながら口を開けて少し下を向く。バタ子役の場合は観客側を向き、スカートをめくり上げる。また「カー!」という効果音は川畑が図星の時に使われることがある。
紙袋を携え、「駅前でおいしそうなケーキ売ってたんですよー」などとさもお土産があるような前振りをした後、「美味しかったー」と言いながら紙袋を畳む。紙袋ではなく、酒瓶の形に設えた風呂敷を用いて同様のネタを行うこともある。
携帯電話で通話を発信し、「なんでそんなところにいるんや」と話す。通話を切った後に共演者に「どこにいるんですか?」と聞かれ、「電波の届かないところや」(「ガイダンスや」と突っ込まれる)。
NMB48とのコラボレーション公演の場合は上述の出囃子が異なり、元曲がアレンジされたものになるほか、登場後に「やすしやすやすやすやすやすし! やすってやすやすやすやすやすし! ありがとうございます。京都府出身○○歳(たまに、「バタヤンこと」が入る)川畑泰史です(元ネタは山本彩の挨拶)」とアイドル風の挨拶を行う場合がある。
ヤクザや強盗と戦う前に「冗談はここからや」。
「ボクシング界で何て呼ばれてたか、体で教えたるわ」と言い、ヤクザや強盗に立ち向かうが、相手から一方的に殴られ、「何て呼ばれてたんや?」と聞かれると「サンドバッグの川畑や」と答える。
2015年からは館内放送等のチェックと称した音響効果を併用した3段式ギャグが行われている。川畑(相手)が事情説明の際に流れるBGMが1段目は徐々に大きく大音響となり川畑(相手)の声が掻き消され「いや、うるさいな、おい」とつっこむ。2段目はBGMに「ビョーン」または「ビョーン」と登場シーンで流れる「カー」を併用した効果音が挿まれ、川畑がつられて首を振る。3段目はBGMに変な歌詞のおばさんの歌唱が挿入され「何の歌や、おい」等とつっこむものの、相手に全て聞こえていないと反論され「へったくそなオバハンの声で…」と訴えるも相手にされず、川畑が困惑している最中に「ピンポンパンポーン、館内(商店街・村等)放送のチェック終わります」の放送が流れ、川畑が「このオバハンの声や」[注 2]という流れである。
最近この2人に似てるってよくゆあれる。
— まゆねぇ。 (@iemayu0714) February 21, 2016
吉本新喜劇の川畑泰史とおかずクラブのゆいP。
自分でも似てるかなって思い始めたとこがある... pic.twitter.com/9EKLmYOwDs
ビッキーズ時代は、舞台では須知が「ビキビキ」「ビッキーズ」、背中に「飴」と書かれたハッピを着て、漫才を始める前にアメを撒くのが恒例であり、新喜劇に在籍している現在でも舞台衣装のまま、そのパフォーマンスを流用している。 かつて、ゴーゴーモンキーズ月曜日において、風俗にハマっている須知のことを「倖田來未よりエロかわいい人物」としてよくネタにされていた。また、女性に囲まれると狐の目のように寄り目になるらしく、一部の芸人から「エロギツネ」と言うあだ名をつけられている。ちなみにその他のあだ名は「すっちゃん」。
ブラマヨ・チュートのまる金TVで「自称○○○のナンバーワン」というコーナーに出演した際、「冒険家ナンバーワン」と自称した。司会の小杉竜一が「何の冒険家ですか?」と問うと、「風俗の冒険家」と暴露。審査委員席に座っていた吉田敬とチュートリアルの2人を大笑いさせた。
エロ三羽烏(チュートリアル徳井、須知、ランディーズ中川)のひとり。それぞれ「スタイリスト(=コスプレ)の徳井」「薬(=精力剤)の須知」「器具の中川」の異名を持つ。以上は、2006年08月12日に放映された「やりすぎコージー」による。
2005年の『新喜劇フー!!』では、フーファミリーを苦しめる地獄団の須知軍曹を演じ、話のラストで、フーファミリーに旅行カバンに体を入れられて遊ばれるという芸が毎回行われていた。『新喜劇フー!!』の後継企画である『新喜劇ボンバー!!』では、キャプテン☆ボンバーの部下、マイケル須知(リトル☆ボンバー)で登場し、リトル☆ボンバーの必殺技「カバンボンバー」として、『新喜劇フー!!』のカバンに詰められる芸が引き継がれた、この芸は新喜劇入団後もしばらくの間流用されていた。
カバンに入る芸の名前は「インバッグ」という(新喜劇フー!!より)。同じような特技を持つ芸人に、まいなすしこうの前田志良がいる。
2006年9月17日、9年ほど付き合っていた7歳年下の女性と結婚し、長女を授かった。
よしもと新喜劇 すっちー座長就任記念 - YouTube
2007年9月、コンビを解散。相方の木部は芸能界を引退したが、須知はピン芸人として芸能界に残り、元々の愛称「すっちー」をそのまま芸名にし、翌10月に吉本新喜劇に入団した。
芸名「すっちー」は、仲のいい先輩芸人陣内智則が占い師の直居由美里に連絡を取り、複数の候補から選んでもらったもの。当初は、カタカナ表記の「スッチー」だったが、直居から陣内に再度連絡があったことに加え、スチュワーデス(キャビンアテンダントの旧名称)の通称と混合してしまうため、現在のひらがな表記に落ち着いた。しかし、最近ではそれを逆手に取り「アテンションプリーズ!」というギャグを登場時に言う。
2009年1月27日からの週の京橋花月新喜劇からは、次期座長・副座長クラスにあり、時々実質的に座長を務めていた。その頃からNGK近くに家を借り、ランディーズ中川と同居生活を始めている。共に既婚者であり家族と住んでいたが、それはそれぞれの家族からも賛成されており、「もう少し(家族の住む)家に帰ってくる回数を減らしてもいい」とまで言われている。
2013年3月の新喜劇公演に遅刻したことが原因で、同5月14日から約1カ月間は劇場舞台に出演停止(謹慎)を命じられていたことが発覚したが[1]、その間の2013年5月18日に行われた『歌ネタ王決定戦2013』に松浦真也とのコンビ「すち子&真也」で出場して見事優勝した。
2014年5月17日に座長に内定したことを発表し、6月11日〜16日までNGKで座長就任公演を行った[2]。
2015年、咲くやこの花賞(大衆芸能部門)受賞。前年の小籔千豊に続いて吉本新喜劇からの受賞となった。
本日のすっちー座長の
— 廉林優(かどばやし ゆう)吉本新喜劇 (@yutarou628) March 2, 2016
「すち子の本家と元祖と桜の木」は
新喜劇100もありますので3回公演です(^O^)
お時間ありましたら是非、なんばグランド花月へ!
ああーラムネが止まらない(;_;) pic.twitter.com/JLiBel7XTS