西川のりお  それは高3の夏休み、同級生からの1本の電話で始まった。
2023年8月21日 更新

西川のりお それは高3の夏休み、同級生からの1本の電話で始まった。

西川のりおの師匠は、なんと西川きよし。超マジメで超厳しいが一生ついていきたいきよし師と超メチャクチャで超面白い、でもついていけないやすし師。強烈な師匠に挟まれ、育まれた過激な弟子時代。

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西川のりおの本名は、北村紀夫。
父親は、大阪の商店街で自転車を営んでいて、西川のりおいわく
「客にダマされてばかりのお人好し」
片や母親は、
「銭がないのは命がないのと一緒や」
という経済主義。
結婚したときの持参金(嫁から婿に払うお金。婿から嫁に払うお金は「結納金」]を自転車屋の客に貸しつけて、西川のりおは
「ボンのオカンは取り立てがキツい」
といわれたことがあった。
顧客の1人、運送屋が倒産し、債権者会議で1番多く貸していた母親が代表となって会社の建て直しを行うことになった。
つまり運送屋もやっていた。
「ガメツいオカンで、中元でもらったカルピスも1年経ってから飲むんです。
色も白から黄色にニゴってましたよ。
おまけにそれを6倍じゃなしに10倍以上に薄めるんですよ」
兄2人、姉2人がいる末っ子で、長女は13歳上。
同じ部屋の4歳上の次女は、小4で芸能プロの入り、テレビドラマのエキストラなどをしたが、18歳から観光バスのバスガイドになった。

クレイジー・キャッツ

小学校の成績は5段階中、オール3。
字も絵もうまくなく、水泳のクロールと走るのが少し速い以外は、フツーだった。
ハナ肇、植木等、谷敬らが所属するお笑いジャズバンド、クレイジー・キャッツが大好きで、父親のステテコと腹巻を着て、鏡の前でモノマネをしていた。
クレイジー・キャッツは、毎年5月、大阪、梅田コマ劇場で1ヵ月間行っていたため、小3のとき、お年玉を無駄使いしないように温存し、友人と観にいった。
その友人は、近所に住む、人見知りで小声でボソボソとしゃべる荒物屋の次男坊で幼稚園からのつきあいだった。
大卒の初任給が10000円、高卒が8000円、中卒が5000円くらいの時代に、B席、550円を買った。
公演は1日2回あったが、観たのは16時開始の2回目。
芝居の後、歌謡ショーがあって、終わるのは20時くらいだった。
B席から舞台袖がみえ、暗いところで出演者が見え隠れし
「あの木下藤吉郎が植木等や」
「あれはハナ肇やろ」
とハシャギまくった。
女性出演者は化粧が濃く、イイ匂いにしてきて
「オカンや姉や近所の人と違って、出てくる人がすべてキレイにみえ、そっちの方のトキメキも多かった」
小3、小4と一緒に観にいった友人が、小5になると
「俺、今年からクレージー、もう行けへん」
といったため、1人でコマ劇場へ。
梅田の阪神百貨店の地下で1枚20円のイカ焼きを3枚購入。
「卵が入ってるのが20円、入ってないのが10円。
なんかハリこんだみたいな気分になった」
がB席に座ると、周囲はガランとしていて、大きな2階席もまばら。
全体的に空席が多く、全盛期に比べて観客数は減っていた。
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公演後、コマ劇場の周りをウロついていると出演者が出てきて
「お疲れさんでした」
と声をかけ合うのを目撃。
そのうち取り巻きに囲まれながらクレイジーキャッツが出てくると
「お疲れ様でした」
に変化。
その中に大好きな植木等を発見。
テレビや舞台以外で初めてみたナマ植木等は、数人に囲まれながら、停めてあった黒塗りの車に乗り込んだ。
とても近づけないようなコワい空気があった。
小6の5月も1人でコマ劇場にいき、公演後、昨年覚えた楽屋口に行くと前年同様、舞台に出ていた出演者が次々と出てきた。
そして植木等が現れ、
「どれくらいかかる?」
スペアタイヤを取り付けていた付き人は
「10分もかからないです」
と返事。
1分、2分とタイヤ交換作業が進んでいくうちに
「何がそうさせたのか自分でもわからない」
という西川のりおは、進み出て、
「弟子にしてください。
毎年コマ観に来てるんです。
僕オモロいから弟子にしてください」
植木等は、学校指定の半ソデ半ズボンを着用した西川のりおをみて
「まだ小学校か中学校だろう」
「小学校です」
声を裏返しながら答えると、植木等はその緊張で固まる肩に手を乗せ、低い声で
「坊主、そんなことよりも勉強しろ」
そして
「直りました」
と付き人がいうと車に乗って去っていった。
西川のりおは
(植木等がオレにしゃべってくれた)
と心の中で叫んだ。
断られたことなど、どうでもよかった。
数年後、テレビを観ていて
「この人、どっかで見た顔や」
と気づいた。
タイヤ交換をしていた付き人が小松政夫という名前で笑いをとっていた。
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中学校に入ると、剣道部や水泳部に入ったが長続きせず帰宅部に。
勉強もスポーツもせず、夜ゴハンを食べてから荒物屋の友人と自転車に2人乗りで、6㎞離れたナンバへ。
そしてビル3階にある映画館の男子トイレの窓から忍び込み、ガラ空きの2階の指定席でタダ観した。
もちろん最初から観ることはできず、映画館の人間のガードが甘くなる時間帯、
「2時間の映画なら1時間か1時間半以上は過ぎた頃」
に入った。
それでも
「ガラガラの座席にコソッと座ると小さい山に登ったような満足感があった」
映画館でタダで入るスリルと快感に酔いしれながら、ジョン・フォード監督の『駅馬車』で襲われた駅馬車が救い出されるシーンに1週間連続で興奮した。
そして一緒に詐欺罪、建造物心有罪を犯していた友人と、
「嫌いな人間ベスト10」
を作成した。
あるときの1位は、本屋のオッサン。
立ち読みしているとハタキでパタパタと呼んでいる本をはたかれて
「いつまで読む気や」
とイヤミをいったのが選出理由。
他にも学校の担任の先生を
「習字の時間にクラスで1番可愛い女の子の後ろに回って2人羽織りみたいにして筆を持ってやり、きっと胸をさわるか、もんでいた」
と理由で選んだ。
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クラスに好きな女の子がいてラブレターを書いたが、返事はなかった。
時間が過ぎ、忘れた頃、学校から帰ると自転車の店先にエプロン姿で立つ母親に
「お前、あんまり格好悪いことするなよ」
といわれた。
「なんやの?」
母親は
「女の子が嫌がってるのに手紙出して・・・・」
といってから紙を取り出して読み始めた。
「私のこと好きて周りの人にいわないでください。
迷惑しています。
私はあなたに対してまったく好意がありません。
ハッキリいって好きではないので、今後このような手紙も出さないで下さい」
そばで自転車を修理していた父親は聞こえないフリ。
西川のりおは、カバンをその場に落としそうになるほどショックを受けた。
「ホレッ」
と渡された手紙には、まったく気がないどころか、大嫌いですとハッキリ書いてあった。
「まして俺が1番嫌いな男と付き合っているとまで書かれてあった」
西川のりおは、
「お前が俺に対して嫌いていったことを後悔させてやる」
と誓い、
「俺が有名になって、どっかでバッタリ出くわしたとき『私のこと覚えてる?手紙くれたやろ』と話しかけてきたら、「アー覚えてるよ。大嫌いやて断られたがな」と笑って返したる。
『なんでこんな人嫌いいうたんやろう』って後悔させたる」
と自作自演の妄想劇場を繰り広げた。
しかし何になって見返せばいいのかは、まったくわからなかった。
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中学校の成績は中の下だった西川のりおは、私立の工業高校、大阪工業大学高等学校(現:常翔学園高等学校)を専願で受験して合格。
入学まで時間があったので荒物屋の友人を
「1泊泊りで東京行こか」
と誘った。
「エエなあ。
行こか。
俺も東京で行きたいトコあんねん」
「行きたいとこてどこや?」
「新選組の土方歳三の墓が板橋にあんねん。
近藤勇が処刑されたところやったかなあ?
まあ行くまでにどっちが正しいか調べとくわ」
西川のりおは、彼がクレイジーキャッツに来なくなった理由が新選組だったことを初めて知った。
そして自分の東京行きの目的を
「渡辺プロって東京にあるんや。
俺、自分のいろんな写真を持って事務所行きたいんや」
と話した。
クレイジーキャッツは渡辺プロ所属で、その事務所が有楽町にあるのをパンフレットで知り、ステテコ腹巻姿で植木等のモノマネをした写真と履歴書を持っていくつもりだった。
友人は
「ああ、そうかあ」
といい、その後、2人は旅の日程を

・朝一番の新幹線で行くこと
・泊まる場所は向こうで適当に見つける
・帰りは夕方の電車に乗る

と決めた。
こうして西川のりおは、残していたお年玉を、初めてコマ劇場のためではなく、東京行きのために使った。
「もし渡辺プロが俺のことを気にとめ、使ってやるといい出したらどうしよう」
「オカンに『高校行けない』といったらどんな顔されるだろう」
そんな妄想や想像をしただけで胸がキュンとなった。
出発前日、友人が泊まりに来て、2人でコタツに入りながら久しぶりに
「嫌いな人間ベスト10」
で盛り上がり、ほぼ一睡もしないまま、6時発の新幹線に乗った。
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雑誌で
「夢の超特急」
「近い将来、日本にこんなロケット型の電車が走る」
と紹介されていた新幹線に初めて乗った2人は、そのスピード感を感じながら、東京まで3時間30分をズーっと外の景色を観続け、9時30分に東京駅に着いたとき、頭はボーっとし足元はフラついていた。
「どっかに行けるだろう」
と山手線に乗り込み、神田、秋葉原、上野と知っている駅名がアナウンスされる度に興奮。
しかし
「新宿~」
という声を聞いた後、溶けるように寝てしまった。
強い尿意で起きると友人は後頭部を窓につけて寝ていて、
「東京~」
とアナウンスにホームの時計をみると14時50分。
「オイッ起きろ。
エラい時間経ってる」
と昼過ぎの山手線で大阪弁で友人をゆり起こし、ホームに降りた。
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2日間しかいられないのに半日以上を山手線で寝てしまい、胸をふくらせて乗り込んできたのに一気に不安に。
「今晩どこ泊まる?
安いトコでないと金足りひんで」
「どっかあるか?」
「板橋に行って旅館探さへんか?」
友人が土方歳三の墓みたさにいっているのはミエミエだったが
「ああ、エエよ」
板橋に着いたときは、すでに暗かった。
商店街を抜け、人通りが少なくなったところに普通の民家のような旅館を発見。
入り口をガラガラと開けて、大きな声で
「すいません。
今日泊めてもらいたいんですが・・」
するとおばあちゃんが出てきて
「今晩泊まるの?」
「はい」
「学生さん、まだ子供だねえ。
食事はいる?」
「食事があるのとないのでは値段は違いますか?」
「そうねえ。
2食ついて2200円。
素泊まりだったら800円でいいよ」
中学卒業したての2人は顔を見合わせ
「800円の方でお願いします」
通された部屋は4畳半で、おばあちゃんが布団を敷いてくれた。
西川のりおは、なんだかわびしい気持ちになって、蛍光灯のヒモの先をみながら
「明日、渡辺プロに行くねん」
と独り言。
隣で寝ている友人とは一言も話さずに寝た。
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翌朝早く、友人に
「旅館の近くに土方歳三の墓がある」
といわれ、仕方なく旅館を出てついていくと
「ここや、ここや」
と墓地の墓の1つを指した。
そして満足そうな顔で眺め、カメラを取り出して撮り出した。
全く興味がない西川のりおは
「小便したいから、どっかさせてもらえるところ探してくるわ。
カバン置いていくから待っといてな」
といって、商店街の方へ。
小さいパチンコ屋を見つけたが開店まで15分待った。
あわててトイレをすまし、汗をかきながら走って墓まで戻ったが、友人がいない。
「戻ってきたでえ」
何度も大声を出したが、応答はない。
西川のりおは
「ものすごい嫌な予感が全身に走りまくり、息使いが無茶苦茶荒くなった」
財布と切符は持っていたが、カバンの中には渡辺プロに持っていくものが入っていた。
友人はお墓をみれて満足かもしれないが、自分は来た目的を果たせない。
その後は、夕方の新幹線の時間まで、意味もなく山手線に乗って何周も回った。
「俺はどうなるんだ」
「自分勝手なヤツや」
「最低の男や、アイツは」
「もうこれが最後でつき合うことないわ」
「一緒に来たのは失敗やった」
心の中や周りに聞こえるくらいの独り言で罵っていると、極度の怒りとムカツキで東京の景色さえ腹立たしく思えた。
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大阪へ帰る新幹線の発車時間の少し前、
「ここや」
と悪びれずに手を振る友人とホームで再会。
「お前何考えとんじゃ!
人のカバン持っていきやがって!
お前のせいで渡辺プロに行かれへんかったやろ。
どないしてくれるんじゃ!
お前はエエやろ、土方の墓みて。
興味もないのについていってやったんやぞ。
それをお前はなんや!」
「俺も探したんやで」
しどろもどろにいう友人に
「もうエエ。
お前とは今日限り。
もうつき合わんから」
そういってカバンを引ったくるように取り返し、別の号車の空席に座って大阪に帰った。
その友人は現在何をしているのかもしれない
「東京でカバンを持って急にいなくなったアイツは、やっぱり今でも許せない」
今に至るまで怒りは西川のりおの原動力である。
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