1976年に 創刊した情報誌「POPEYE」
ポパイ(POPEYE)は、マガジンハウスから発行される日本の男性向けファッション雑誌・情報誌である。毎月10日(日祝日の場合は8・9日)発売。
木滑良久が初代編集長として、1976年(昭和51年)に創刊。アメリカの現代的生活様式を日本に紹介し、初期には若者風俗をリードするなど社会に大きな影響を与えた。
via blogs.c.yimg.jp
発売日を同じくする集英社の「MEN'S NON-NO」(1986年5月9日に女性ファッション誌non-noの男性版として創刊。通称「メンノン」など。)と並び、モード界、欧州ラグジュアリーブランドに関する情報に強いのが特徴。
一時はおしゃれの代名詞ともなり、流行や遊びに敏感な都会的男子を指して「ポパイ少年」などと呼ぶこともあった。
【創刊号はアメリカ西海岸の文化をたっぷり特集!】
一時はおしゃれの代名詞ともなり、流行や遊びに敏感な都会的男子を指して「ポパイ少年」などと呼ぶこともあった。
【創刊号はアメリカ西海岸の文化をたっぷり特集!】
スケートボード特集とともに、『POPEYE』創刊号を象徴する企画が、このジョギング特集です。
中でも注目は、ジョギングシューズのシンボルとして取り上げられた真っ赤なNIKE「ワッフル・トレーナー」の紹介ページです。日本の若者たちは、この記事で初めてNIKEというスポーツブランドの存在を知りました。
記事には、「ナイキはウエスト・コーストにおけるジョギングからマラソンに至るまでのランニング・ブームのシンボルみたいになっている」と書かれています。
これ以降、日本でもNIKEのシューズは、アメリカ西海岸文化のシンボルとして、熱狂的に支持されることになりました。
via prtimes.jp
情報誌「POPEYE」の略歴
1976年 - 1979年
『気分は○○』、『スグレモノ』、『○○大好き少年!』など、この雑誌から生まれた言葉も数多い。
1970年代後半のアメリカ西海岸のスタイルを日本に初めて紹介したことでも知られる。しかし、実際には、先行して西海岸カルチャーを紹介していたのは、初期の『宝島』(JICC出版局、現宝島社)であった。
『POPEYE』が部数を伸ばしたのに対し、『宝島』は伸び悩み、ポップカルチャー誌に路線変更せざるを得なくなった。特に創刊時にはアメリカ合衆国商務省観光局からの支援もあったとされる。
via pds.exblog.jp
1980年 - 1989年
1980年代に入り、ファッションやサブカルチャー・ライフスタイルを紹介する、『平凡パンチ』との差異化のためにそれまで扱わなかったセックス記事を掲載しはじめ、1980年代中盤のDCブランドブームの牽引者となる一方、追随し同じ層をターゲットにして創刊された講談社の『ホットドッグ・プレス』(1979年 - 2004年)、集英社の『メンズノンノ』(1986年 - )とともに、人気男性誌となった。
また、同誌を中心とした雑誌を購読する世代の文化を「カタログ文化」と呼び、1980年に文壇にデビューし、その後寄稿者ともなった田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』とともに、揶揄する論調も存在した。
via blog.largo99.com
楽しく、刺激的な提案を読者に与えるような宣言となっている。
下記はその引用文。
"<ポパイ>は私たちのフランチャイズ、都会に焦点を合わせました。都会での生活がどうしたら、もっとハッピーなものになるか。生きていることが楽しくなるか。<ポパイ>はその提案であり、サンプルであり、記録であり、そしてイマジネーションなのです。"