推理作家であり、シャンソン歌手の戸川昌子さんが死去!
推理作家、シャンソン歌手、コメンテーターとして活躍した戸川昌子(とがわ まさこ)さんが4月26日未明に胃がんの為死去した事が分かった。85歳だった。
息子のNERO(38歳、シャンソン歌手)が同日のフェイスブックで発表。
葬儀や告別式の日取りは現在未定との事。
息子のNERO(38歳、シャンソン歌手)が同日のフェイスブックで発表。
葬儀や告別式の日取りは現在未定との事。
息子NERO Facebookでのコメント
「最愛の母、戸川昌子が今朝旅立ちました。
5年前に末期癌の宣告を受け、家族二人で何度も話し合った結果、最後までステージで歌い続け、戸川昌子らしく生きたいとの本人の意向を受け活動しておりました。
その意志通り、母が入院する前日まで、共に「青い部屋 月曜シャンソンコンサート」のステージに立ち、一緒に歌って来れました。
戸川昌子の生き様を最後まで貫いた、立派な人生だったと思います。
母でありシャンソンの師であり、また仲間のようでもあった母の旅立ち。
その魂は僕の、そして皆様の心の中で生き続けることでしょう。
今は心からの感謝を込めて、送ってあげたい。
ありがとう、僕のママン。」
(facebookより引用)
5年前に末期癌の宣告を受け、家族二人で何度も話し合った結果、最後までステージで歌い続け、戸川昌子らしく生きたいとの本人の意向を受け活動しておりました。
その意志通り、母が入院する前日まで、共に「青い部屋 月曜シャンソンコンサート」のステージに立ち、一緒に歌って来れました。
戸川昌子の生き様を最後まで貫いた、立派な人生だったと思います。
母でありシャンソンの師であり、また仲間のようでもあった母の旅立ち。
その魂は僕の、そして皆様の心の中で生き続けることでしょう。
今は心からの感謝を込めて、送ってあげたい。
ありがとう、僕のママン。」
(facebookより引用)
via himazines.com
50年代後半から活躍した 戸川昌子さん
1931年に東京市で生まれる。
1950年代後半からシャンソン喫茶「銀巴里」に出演を始め、歌手デビュー。
代表作は「リリー・マルレーン」。
また、歌手意外にもミステリー小説としても才能を発揮。
1962年に発表した「大いなる幻影」で江戸川乱歩賞を受賞。
その後発表した「猟人日記」は直木賞候補となった。同作はベストセラーとなる。
また、同作が1965年に日活で映画化された際は、戸川さん本人も出演した。
1950年代後半からシャンソン喫茶「銀巴里」に出演を始め、歌手デビュー。
代表作は「リリー・マルレーン」。
また、歌手意外にもミステリー小説としても才能を発揮。
1962年に発表した「大いなる幻影」で江戸川乱歩賞を受賞。
その後発表した「猟人日記」は直木賞候補となった。同作はベストセラーとなる。
また、同作が1965年に日活で映画化された際は、戸川さん本人も出演した。
音楽活動としては1975年「失くした愛」、1976年には「インモラル物語」を発表。
2005年に「ラスト・チャンス・キャバレー」を発表し、前作から約30年振りとして注目を集めた。
また、2013年には息子のシャンソンアーティスト・NEROと初共同名義アルバムの「商売やめた」を発表するなど意欲的に活動も行った。
2005年に「ラスト・チャンス・キャバレー」を発表し、前作から約30年振りとして注目を集めた。
また、2013年には息子のシャンソンアーティスト・NEROと初共同名義アルバムの「商売やめた」を発表するなど意欲的に活動も行った。
46歳での高齢出産も話題に!
1977年、46歳で息子NEROを出産。
非常に高齢での出産は驚きをもって伝えられた。
また、芸能人や文化人において、当時の最高齢出産として話題になった。
非常に高齢での出産は驚きをもって伝えられた。
また、芸能人や文化人において、当時の最高齢出産として話題になった。
多くの文化人に愛された 酒場「青い部屋」
元々は戸川の姉が開いた喫茶店を1967年に渋谷に移転した「青い部屋」。
喫茶店から形態を酒場へと変更し、33年間もシャンソニエサロンとして、多くの文化人に愛される空間となった。
著名な文化人には三島由紀夫、美輪明宏、川端康成などがいて、政界や財界の著名人にも広く受け入れられた。
2000年以降は、老朽化もあり、リニューアルオープンし、シャンソンバーとしてライヴハウスの機能も取り入れた。
毎週月曜には、「月曜シャンソンコンサート」を開催するなど盛況だった。
2010年に多くの人に惜しまれながら閉店。
しかし、息子のNEROが「青い部屋」の精神を受け継ぎ、「移動式青い部屋」として、全国を巡りシャンソン・キャバレーイベントを開催している。
喫茶店から形態を酒場へと変更し、33年間もシャンソニエサロンとして、多くの文化人に愛される空間となった。
著名な文化人には三島由紀夫、美輪明宏、川端康成などがいて、政界や財界の著名人にも広く受け入れられた。
2000年以降は、老朽化もあり、リニューアルオープンし、シャンソンバーとしてライヴハウスの機能も取り入れた。
毎週月曜には、「月曜シャンソンコンサート」を開催するなど盛況だった。
2010年に多くの人に惜しまれながら閉店。
しかし、息子のNEROが「青い部屋」の精神を受け継ぎ、「移動式青い部屋」として、全国を巡りシャンソン・キャバレーイベントを開催している。
via www.47news.jp
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