全女のムードメーカー【ダイナマイトギャルズ】
2025年1月19日 更新

全女のムードメーカー【ダイナマイトギャルズ】

Netflix配信ドラマ「極悪女王」のヒットで、ダンプ松本さんやクラッシュギャルズのお二人が再注目されていますが、この記事ではダンプさんやクラッシュと共に全女の全盛期を支えたダイナマイトギャルズについて振り返ってみたいと思います。

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ダイナマイトギャルズのプロフィール

ダイナマイトギャルズは、1983年にジャンボ堀さんと大森ゆかりさんの二人で結成され全日本女子プロレスで活躍したタッグチームです。
ジャンボ堀
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本名:堀あゆみ
生年月日:1962年9月25日
出身地:東京都武蔵村山市
身長:180cm
プロデビュー:1978年
引退:1985年
タイトル歴:WWWA世界タッグ王座、オールパシフィック王座、新人王決定トーナメント優勝
大森ゆかり
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本名:大森ゆかり
生年月日:1961年12月21日
出身地: 北海道札幌市
身長:165cm
プロデビュー:1980年
引退:1988年
タイトル歴:WWWA世界シングル王座、WWWA世界タッグ王座

WWWA世界タッグ王者

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全女の中で「最高峰のタッグ王座」と言われていたのが、WWWA世界タッグ王座です。
ダイナマイトギャルズとしてこのタイトルを獲得したのが1983年6月17日。
旭川市総合体育館常磐分館で、王者・デビル雅美&タランチェラ組から奪取しました。

ダイナマイトギャルズを結成する前にも、ジャンボ堀さんは横田利美さん(後のジャガー横田さん)とのペアで1980年12月にタイトルを獲得。その後も、 ナンシー久美さんとのペアで1981年2月獲得しています。
また、大森ゆかりさんもミミ萩原さんとのペアで1981年11月に獲得しました。

そして、ダイナマイトギャルズとしてWWWA世界タッグ王者となってからは、クラッシュギャルズやダンプ松本&クレーン・ユウ組の挑戦を受けながらも7度に渡る王座防衛に成功。

特に、まだクラッシュギャルズ結成前のライオネス飛鳥&長与千種組の挑戦を受けた1983年8月の試合はその年のベストバウトに選出されました。

全女のムードメーカー

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「先輩に話しかけてはいけない」
「先輩と目を合わせてはいけない」
「先輩には絶対服従」
「先輩に足を踏まれても踏まれた後輩が謝る」
などなど、理不尽は当たり前の超縦社会と言われてきた全日本女子プロレス内の人間関係。
長与千種さんやダンプ松本さんをはじめ、いじめを受けていたことを告白している選手もいらっしゃいますよね。

そんな中、いじめられたこともいじめたこともなかったというのがダイナマイトギャルズのお二人です。
お二人が口をそろえて言っているのが「みんなと仲良くしたいし、もめ事が嫌い」ということ。
リングの上では戦うけど、リングを降りてからもピリピリしているなんて耐えられない!という思いから、冗談を言ったりイタズラをしたりして、周りを巻き込みながら明るい雰囲気を作っていたんだそうですよ。

「女子高生みたいなノリだった。何も考えていなかった」と、後に大森ゆかりさんがコメントしているのですが、その明るさに助けられたという選手も多く、選手からもファンからも全女のムードメーカーとして人気を集めました。

騙された⁈ヌード写真集発売

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プロレスと並行して芸能活動もしていたジャンボ堀さん。

1981年10月にアメリカで公開となった映画「カリフォルニア・ドールズ」には、ミミ萩原さんと共に出演(日本では1982年6月に公開)。
アメリカの女子プロレスをテーマとした本作で、ヒロインのダッグチームの対戦相手として出演されました。

1984年には写真集「チャンピオン・ハイウェイ」を発売。
実はこの写真集、会社からは「スポ根がテーマ」と言われていたにもかかわらず、撮影現場のグァムに到着すると衣装はビキニと下着しか用意されていないことが判明。
そのうえフルヌードを要求されたそうですが、ビキニのパンツ部分は着用することで渋々合意するしかないという展開になってしまったんだとか・・・
しかも、週刊誌などでも「ジャンボ堀、ヌード!」といった形で取り上げられたことから親御さんはショックを受け、ジャンボ堀さんご自身も急性胃腸炎になるなど散々な目に遭われたんだそうです。
さらに、その写真集に関するギャラは一切もらっていないという「全女あるある」というべき事実も、後にジャンボ堀さんご自身が告白されています。

スパーク大森⁈

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ジャガー横田、デビル雅美、ライオネス飛鳥、ダンプ松本などなどカタカナを使ったリングネームで活躍した選手が多い中、実は大森ゆかりさんにも本名からリングネームに変えるよう言われたことがあったのだとか。

そのリングネームが「スパーク大森」!!
ご本人曰く「私は全然弾けてないから!スパークしてないから!」と猛反発して断り、スパーク大森を名乗ることはなくなったんだそうですよ。

リングネームがつくことで「プロレスラーとして認められた」と感じる選手も多いと聞きますが、スパーク大森は受け入れられなかったようですね。
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