アイドル風見しんご
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風見しんごは、18歳の時東京の大学に進学し広島から上京した。毎週日曜日には原宿の歩行者天国に通い、路上パフォーマンスに没頭していた。
その中には、後に「一世風靡(ふうび)セピア」としてデビューする哀川翔もいたという。
その中には、後に「一世風靡(ふうび)セピア」としてデビューする哀川翔もいたという。
原宿で踊っていた風見しんごは、テレビ局の人からオーディションを受けないかと誘われ、オーディションを受け合格。1982年、TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』してデビュー出演する。
「欽ちゃんバンド」風見しんごはベースギターを担当していた。(画像左下)
「欽ちゃんバンド」風見しんごはベースギターを担当していた。(画像左下)
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題名の「僕笑っちゃいます」はTBSテレビのバラエティ番組『週刊欽曜日』で風見が発した台詞がから命名された。
1983年5月21日リリース
作詞:欽ちゃんバンド+森雪之丞、作曲:吉田拓郎、編曲:後藤次利
「僕笑っちゃいます」は、オリコンチャートで週間最高で6位を記録してた風見しんご最大のヒット曲。TBSテレビの『ザ・ベストテン』では、1983年6月9日付で19位に初登場、7月7日には8位で初ランクインを果たした。7月21日~8月11日の4週連続で最高5位まで上昇して、9月1日の10位まで合計9週連続で10位以内にランクインした。
1983年5月21日リリース
作詞:欽ちゃんバンド+森雪之丞、作曲:吉田拓郎、編曲:後藤次利
「僕笑っちゃいます」は、オリコンチャートで週間最高で6位を記録してた風見しんご最大のヒット曲。TBSテレビの『ザ・ベストテン』では、1983年6月9日付で19位に初登場、7月7日には8位で初ランクインを果たした。7月21日~8月11日の4週連続で最高5位まで上昇して、9月1日の10位まで合計9週連続で10位以内にランクインした。
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広島東洋カープファンの風見しんごの星野仙一砂かけ事件
星野仙一に詫びる風見しんご
電話で星野仙一と会話をする風見しんごは、1975年の広島対中日戦の試合中に、星野に砂をかけたことを詫びる。
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風見しんごは、広島東洋カープファンだという。1975年に広島東洋カープは初優勝目指していた。広島対中日の試合で本塁上のタッチについて、中日の新宅洋志と広島の三村敏之が言い争いになった。その時に広島ベンチから選手が飛び出し、観客もグラウンドに入り乱れ乱闘になった。当時中学生の風見しんごはこの試合を観戦に広島市民球場来ていた。グラウンドに入った観客のなかに風見しんごもいた、そして、中日の星野仙一に砂をかけたという。
風見しんごの超越的に上手いブレイクダンスが!
風見慎吾 涙のtake a chance (1985年1月)
1984年12月にリリースされた、風見しんご4曲目のシングル「涙のtake a chance」では、日本で初めて歌の振り付けブレイクダンスを取り入た。風見しんごはニューヨークにで猛特訓を受けブレイクダンスを修得したという。この踊りは当時のテレビ番組では斬新的で話題になった。
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風見しんご ブレイクダンス
風見しんごは、1983年に公開された映画『フラッシュダンス』を見たときに、子どもが路上でバックスピンをしているシーンに衝撃を受け、ブレイキングに興味を持ったという。
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風見しんごがディスコで踊る!
高さにある、バク転や回転が上手いですね!
掃除機のルンバより高速で床の上で回転している、風見しんご!
掃除機のルンバより高速で床の上で回転している、風見しんご!
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風見しんごの結婚・お相手は元ミス日本
1994年に風見しんごは元女優の荒井晶子さんと結婚
荒井晶子(あらい しょうこ )さんは、1967年7月20日生まれ。栃木県出身。本名は、大下尚子(おおした なおこ、旧姓荒井)。
元ミス日本。1990年に芸能界入りした。女優として活躍、CDをリリースしたこともある。
1996年には長女、2003年には次女を出産している。
元ミス日本。1990年に芸能界入りした。女優として活躍、CDをリリースしたこともある。
1996年には長女、2003年には次女を出産している。
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風見しんご・長女の交通事故
2007年1月、風見しんごの長女、当時小学5年生のえみるちゃん(10歳)が通学途中に横断歩道を渡っていて交通事故に遭う。
この事故を受けて、風見しんごは、2013年12月に76歳で死去した若年性アルツハイマー病を11年間患っていた父・大下政富さんに対して、車の運転をさせなかったという。車の運転をめぐり、父親ともめたこともあるが、事故防止のために正しかったと語っている。
この事故を受けて、風見しんごは、2013年12月に76歳で死去した若年性アルツハイマー病を11年間患っていた父・大下政富さんに対して、車の運転をさせなかったという。車の運転をめぐり、父親ともめたこともあるが、事故防止のために正しかったと語っている。
via blog.livedoor.jp
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辛い出来事を乗り越えた風見しんごと家族
そして、風見しんご夫婦に不幸は、再び訪れた。
長女の事故の後に死産を体験。胎内でダウン症と診断された長男の出産を決意する中、心肺停止で長男を亡くしている。
長女の事故の後に死産を体験。胎内でダウン症と診断された長男の出産を決意する中、心肺停止で長男を亡くしている。
父親は広島市で町工場を営んでいた。成蹊大学工学部中退。
タレント、歌手、ダンサー、俳優として活躍している。
1982年〜1988年には、「風見慎吾」名でバーニングプロダクションに所属、1989年〜現在まで、バーニング系の(株)マスタープラン所属している。
芸名の「風見」は『仮面ライダーV3』の主人公・風見志郎から由来している。