子どもの頃、紙芝居屋さんに会ったことありますか?
「自転車を使った昔懐かしい商売」と言えば、真っ先に思い出すのが紙芝居屋さん。
おじさんが自転車を引きながら公園にやって来て、パタンパタンと組み立てると、あっという間に紙芝居の枠が現れる・・・。
自転車に載せた箱の引き出しの中には駄菓子がいっぱい!
その様子を見ているだけでワクワクしました。
おじさんが自転車を引きながら公園にやって来て、パタンパタンと組み立てると、あっという間に紙芝居の枠が現れる・・・。
自転車に載せた箱の引き出しの中には駄菓子がいっぱい!
その様子を見ているだけでワクワクしました。
紙芝居が流行した背景には、供給側の事情もあるようだ。戦後に戦地から戻った人たちには働く場が少なかったため、手軽に始められるという理由から「にわか紙芝居屋」が増えたのだ。
「昭和20年代は紙芝居屋の全盛期で、関東に約1万2000人、全国で約5万人がいたと聞いたことがあります。」
漫画家の水木しげるさんや白土三平さん(「サスケ」や「カムイ伝」の著者)も、紙芝居を描いていた時期もありました。
しかしテレビやマンガ雑誌などの台頭で、子どもたちに人気だった紙芝居も需要が激減。
水木さんも紙芝居をやめ、漫画家になっていく様子が、NHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で描かれていました。
しかしテレビやマンガ雑誌などの台頭で、子どもたちに人気だった紙芝居も需要が激減。
水木さんも紙芝居をやめ、漫画家になっていく様子が、NHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で描かれていました。
水木しげるの紙芝居「鬼太郎とカラス天狗」
『水木しげる記念館』からの依頼で、2009年に描き下ろされた作品だそうです。
記念館1階のゲゲゲの間にて原画を展示。
水木しげるロード・河童の泉広場で、紙芝居の実演を行われることもあるそうです。
記念館1階のゲゲゲの間にて原画を展示。
水木しげるロード・河童の泉広場で、紙芝居の実演を行われることもあるそうです。
via www.youtube.com
【黄金バット】黄金のドクロが正義の味方「どこ どこ ど~こから く~るのっか 黄金バーット!」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
青春の握り拳さんの記事です。
紙芝居といえば「黄金バット」という方、ぜひご覧ください。
紙芝居といえば「黄金バット」という方、ぜひご覧ください。
思い出の『ソースせんべい』
紙芝居と言えば『ソースせんべい』。
自分の顔より大きなせんべいを、バリバリ食べながら紙芝居を見るのは快感でした!
けれどいろいろな書き込みを読んでいると、『ソースせんべい』という名は同じものの、なんか皆の思い出が微妙に違うのです。
素材はえびせんべいだったりミルクせんべいだったり。
塗ってもらったものも、ソースだったり水飴だったりジャムだったり。
あなたの食べたものはどれでしたか?
自分の顔より大きなせんべいを、バリバリ食べながら紙芝居を見るのは快感でした!
けれどいろいろな書き込みを読んでいると、『ソースせんべい』という名は同じものの、なんか皆の思い出が微妙に違うのです。
素材はえびせんべいだったりミルクせんべいだったり。
塗ってもらったものも、ソースだったり水飴だったりジャムだったり。
あなたの食べたものはどれでしたか?
via www.ntt-card.com
今日スタッフと駄菓子の話をしていた際に「そういえば紙芝居のおじさんがえびせんべいに水飴つけてくれて〜」とか話したら全然理解してもらえませんでした。
「それちびまるこちゃんの世界ですよ!」と言われたんですが私の5〜7歳頃本気で近所の公園に来てたけど!!香川県だから??
いえいえ、関東でも昭和40年代は、紙芝居屋さんがまだ確かにいましたよ。
私が会ったおじさんも水飴でした。
私が会ったおじさんも水飴でした。
via zigsow.jp
その紙芝居屋さんの代表的な駄菓子が「えびせんのソース煎餅」でした。エビは入っていませんでした。とても懐かしくて、見付けるとつい買ってしまいます。最近は普通の和菓子などよりも高価で、ネットで買っても、この10枚入りが1000円以上します。そんな、今ではすっかり高級品になってしまった駄菓子ですが、我が家の子供達は知らないのでいっこうに興味を示しません。こっちは、一人で全部食べられるので助かるのですが、正直言うと少し寂しいです。
via ameblo.jp
紙芝居のおじさんが公園にやってきた最後の世代だと思うのですが、確かソースを塗ってくれていた記憶があります。
もっぱらトッピングは【梅ジャム】か【オレンジジャム】で私はオレンジジャムが好物でした。
梅ジャム
この梅ジャムもオレンジジャムも、東京の荒川区にある「梅の花本舗」で作られたものです。
現在も社長の高林さんが、おひとりで作り続けていらっしゃるそうです。
(ただし現在オレンジジャムは、特別に頼まれたとき以外は、基本的には生産していないそうです。)
紙芝居屋さんの衰退とともに、販路は駄菓子屋・縁日に移っていきました。
現在も社長の高林さんが、おひとりで作り続けていらっしゃるそうです。
(ただし現在オレンジジャムは、特別に頼まれたとき以外は、基本的には生産していないそうです。)
紙芝居屋さんの衰退とともに、販路は駄菓子屋・縁日に移っていきました。
昭和40年代は縁日の時代だったという。花丸せんべいとのセットで縁日でよく売られるようになり、スモモや杏あめなどとともに「縁日の定番」になっていく。
(中略)
その後、徐々に縁日というイベント自体が減っていく。それでも梅ジャムは一定数は出荷され続けたが、バブル崩壊から3~4年後から売り上げが落ちてきたという。現在の梅ジャムの主たる納入先は大手ディスカウントショップ。子供たちというより、昔を懐かしむ大人たちが「箱買い」しているようだ。
花丸せんべい
花丸せんべいのコメント欄には、『ミルクせんべいにソース・梅ジャム・水アメつき。3つの味をお楽しみください。』と書いてありました。
なあんだ、結局、全部が「あり」だったんですね。
この3種類を食べ比べてみたくなってしまいました。
なあんだ、結局、全部が「あり」だったんですね。
この3種類を食べ比べてみたくなってしまいました。
私の紙芝居屋さんの最後の記憶は、水飴だけではなく、なぜかあんず(すもも?)ものせてくれたこと。
理由はわからず、思わぬおまけに大喜びしました。
翌週、お金を持って公園で待っていたのですが、おじさんは現れませんでした。
それっきり紙芝居屋さんを見ていません。
あのあんずはお別れの意味だったんですね。
理由はわからず、思わぬおまけに大喜びしました。
翌週、お金を持って公園で待っていたのですが、おじさんは現れませんでした。
それっきり紙芝居屋さんを見ていません。
あのあんずはお別れの意味だったんですね。
差し込んである紙芝居は、手描きの「ゴジラ」です。