1971年1月9日 映画「若大将対青大将」(東宝)塚本節子、美人の客(演:酒井和歌子)
映画「若大将対青大将」(1971年1月9日・東宝) - 塚本節子、美人の客(演:酒井和歌子)
青大将こと石山新次郎が、8年がかりでやっと京南大学を卒業出来た。さっそく卒業祝いを、若大将こと田沼雄一の後輩・太田茂夫の母の春江が経営するドライブイン「ピット」で盛大に行われた。
その席上、田沼は太田に「若大将」の座を譲り、更に石山も後輩の学生に「青大将」の座を譲った。それから数日後、新次郎が父・剛造の経営する石山商事に入社。新次郎はOLの塚本節子に一目惚れするが、節子は雄一が好きだという。
そんな折、剛造から、英語の達者な若者をニューヨーク支店に栄転させるということを聞き、チャンスとばかり雄一を指名。かくして雄一はニューヨークへ旅立つ。新次郎は今だとばかり節子に接近しようとするが、茂夫に邪魔される。
それもそのはず、雄一は茂夫に節子の事を頼まれていたのだ。ヤケクソになった新次郎は、茂夫のGF・森山圭子に、節子を茂夫の恋人だと言いふらし、挙句の果てに、ニューヨークから帰って来た雄一が連れて来たバイヤー・キャッシーを、節子に「雄一の恋人」と言いふらした。やがて、鈴鹿サーキットでのグランプリの日、雄一から茂夫の気持ちを聞いた圭子は、鈴鹿に直行した…。
(出典:Wikipedia「若大将対青大将」)
1972年2月-1973年2月 人気のテレビドラマ「飛び出せ!青春」本倉明子先生役(演:酒井和歌子)
飛び出せ!青春(1972年2月-1973年2月) - 本倉明子先生(演:酒井和歌子)
「来る者は拒まない」という校長の方針により、無試験入学制度をとっている太陽学園高等学校には全国から落ちこぼれが集まっていた。中でもサッカー部は劣等生の集まりだった。
新任の教師・河野武は、赴任早々のトラブルで教頭に疎んじられ、さっそくサッカー部の部長を押し付けられる。だが、河野は持ち前のチャレンジ精神と同僚の女教師・本倉明子(演:酒井和歌子)の協力を得て生徒たちに熱き思いを伝えてゆくのだった。
第1話のタイトルでもある「レッツ・ビギン Let's begin!」がこのドラマを通しての合言葉でテーマである。
(出典:Wikipedia「飛び出せ!青春」)
【動画】【超名曲】テレビドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌「太陽がくれた季節」 - YouTube
1972年2月に日本コロムビアからシングル盤が発売された。日本テレビ系列で放送された青春ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌として採用され、売り上げが80万枚、または100万枚を超えるヒットとなった。オリコンの集計では50万枚。
(出典:Wikipedia「太陽がくれた季節」)
1976年、東宝を退職しフリーとなりテレビドラマに活躍の場を移し、主役から助演まで、清楚な役から悪女まで幅広い面で活躍している。
1976年10月‐1977年10月 テレビドラマ「気まぐれ天使」南條友江(演:酒井和歌子)(1977年1月の第16話より)
日本を代表する美人女優の酒井和歌子さんが新任宣伝部部長の南條友江役として第16話から登場
(出典:Wikipedia)
今は千葉県知事の森田健作さん(榎本一光)と南條友江(酒井和歌子)は相思相愛になる
【動画】石立鉄男の気まぐれ天使 (前編) 酒井和歌子編 - YouTube
テレビドラマ「気まぐれ天使」南條友江(演:酒井和歌子)(1977年1月の第16話より)
田沼雄一(加山雄三)は2年間のオーストラリアの駐在生活を出勤前にシドニー湾でクルージングするなどエンジョイしていたが、急遽本社の日東自動車からの命令で帰国することになる。
帰国早々の空港でライバル会社が出迎えた外国人を追おうとして偶然にニュージーランド産業振興会に勤める森川節子(酒井和歌子)と同じタクシーに乗り合う。
節子から当の外国人がニュージーランドの実業家オハラ氏であることを知る。宣伝課に配属された雄一は、藤原課長(藤岡琢也)のもと同期入社の小山(小鹿敦)や大島昌子(岡田可愛)と会社に出入りする大学時代からの悪友で旅行代理店・世界航空社長の青大将こと石山(田中邦衛)らと楽しく再会を祝うのだった。
雄一が再び出逢った節子に目をつけた青大将は猛烈にアタックをし始め、雄一にはモデルの朝吹マリ(中山麻里)が言い寄る始末。一方、実家の鋤焼き屋・田能久でも父親(有島一郎)が支店をおろそかにして女性にのめりこんでいることにおばあちゃん(飯田蝶子)や妹と大学時代からの親友の江口の夫婦(中真千子、江原達怡)らは怒り心頭である。
そんな折、ニュージーランドでのライバル会社の攻勢に対抗するため雄一は、肉の買い付けのために同行する江口とともにニュージーランドに飛ぶことになった。そんな雄一を追って節子も、また節子について青大将もニュージーランドに赴くのだった。
(出典:Wikipedia「ニュージーランドの若大将」)