ミスター指名打者 世界記録を持つ男、高井保弘 阪急ブレーブスが誇る「世界の代打男」
2016年11月25日 更新

ミスター指名打者 世界記録を持つ男、高井保弘 阪急ブレーブスが誇る「世界の代打男」

八木裕、桧山進次郎、杉浦享、関本賢太郎、立浪和義、川藤幸三、前田智徳、真弓明信、たくさんの「代打の神様」と呼ばれた選手たちがいます。しかし「代打の神様」という言葉が生まれる前、かつてのパシフィックリーグ今はなき阪急ブレーブスで活躍し「世界の代打男」と呼ばれた高井保弘選手についてまとめてみました。

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野村克也氏との関係

当時、こういったピッチャー毎に細かく情報収集をしてそれを試合に生かすという手法はかなり珍しかったようです。高井選手自身もスペンサーというメジャーリーガーからその手法を学んだと語っていました。同じく情報野球で有名な野村克也選手との逸話もWikipeiaに載ってましたので紹介させて頂きます。
野村克也が「ささやき戦術」で「何(のボール)待ってんのや」と話しかけてきたときには、「ヤマの張り合いをしよう」と持ちかけ、投球の球種を当てた上に、最後には本塁打した。ダイヤモンドを一周して戻ってきたときに野村が「われ、何でわかんのや」と聞いたが「そんなこと言えまっか、言えまへん」と答えたという
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ダリル・スペンサー(Daryl Dean Spencer , 1929年7月13日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球指導者。

ドクター・ベースボールと呼ばれるほど尊敬された人物[1]。
プロ野球を10倍楽しく見る方法(著:江本江本孟紀)で名助っ人として挙げられた二人のうちの一人。(もう一人はアルトマン)
この野村選手(兼任監督)の推薦でオールスター出場を果たします。そしてこのオールスターの試合でもオールスター史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を打ってみせました。このオールスターでの高井選手のスイングはこの一振のみ、まさに「世界の代打男」の名に恥じぬ見事なバッティングでした。この時対戦した松岡投手のクセもセントラルリーグの投手にも関わらず完璧に研究済みだったと言います。

居るだけで戦力になる選手

ベンチに居るだけで相手チームへのプレッシャーになったと言います。その存在が投手の継投や作戦にまで影響を及ぼすからです。当時、阪急ブレーブスの監督であった上田利治氏からケガでもベンチにだけは入ってくれと頼まれていたそうです。居るだけでご利益があるとなるといよいよ神様の域に近づいているようですね。

指名打者制度導入ののきっかけとなった?

打撃は素晴らしいのに守備に難があるために中々レギュラー出場することができない高井選手。この状況をみたアメリカ人記者がパシフィック・リーグの指名打者制度導入に一役買ったという話があります。
高井は守備力に難があり、当時のNPBでは指名打者制度が採用されていなかったこともあって、その後も代打での起用が中心であった。
-中略-
同年のオールスターに選出され、第2戦の9回裏・1死1塁の場面に山崎裕之の代打として出場する。松岡弘の投じた2球目をレフトスタンドにはじき返し、オールスター史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を放った。松岡の変化球を投げる際のクセはすでに見抜いており、1死1塁という場面からシュートが投げられると予想していた[13]。高井のオールスター選出はこの年のみ、しかもスイングはホームランを打った時の1回きり(第3戦でも代打で出場したがストレートの四球)であり、代打男の真骨頂と言えるパフォーマンスであった[14]。このホームランを観ていたアメリカ人記者の提唱によって指名打者制度が検討されるようになった
阪急ブレーブスの高井保弘が代打で多くの本塁打をマークし、1974年に毎日新聞にアメリカの記者の「あれだけの選手というのはもったいない、日本もアメリカに倣い指名打者制度を導入すべき」という趣旨のコラムが掲載されたことがきっかけで議論され、人気低迷にあえいでいたパシフィック・リーグがア・リーグの成功を参考に1975年から採用した。
残念ながらパ・リーグの目論見は外れ、人気向上とはいかなかったようですが、一選手がリーグの制度をそのものを変えさせるきっかけとなり、そしてそれが今でも続いているというのは凄いことではないでしょうか。
高井氏が代打で本塁打を量産したことがきっかけとなり、パ・リーグでDH制が導入されたといわれている。「歴史を変えた人間なんですよ」とちゃめっ気たっぷりに自負する。それだけに自身の後に誕生した数々の“代打の神様たち”には「神様と言われて、お尻がこそばないんかな。(元阪神の)川藤幸三でさえ、わしの前では何もしゃべらへんかったわ」と手厳しい。

レギュラーとしても大活躍

そんな、数々の代打としての記録を持つ高井保弘選手ですが、その実キャリア半ばを過ぎた頃から指名打者としてレギュラーとなり活躍しています。年間3割を2度、年間ホームラン20本以上2回、通算出場試合1135試合、通算本塁打130本、通算安打665、通算打率.269 そしてもっとも意外な記録がプロ生活16年で19回全ての犠牲バントを成功させていることです。これらの事からも彼が並外れたバッターであったことが窺い知ることが出来ます。

1978年 ヤクルト・阪急 日本シリーズ 第1戦

高井保弘選手がレギュラーとして活躍した1978年の日本シリーズです。彼の活躍は2:11秒付近から。

漫画の世界でも登場

そんな高井保弘選手ですが、あの有名な水島新司先生の有名な野球漫画にも登場しています。
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