中山美穂、辻仁成との出会いと結婚、そしてパリへ
中山美穂は、中学1年生のときに原宿でスカウトされ、1985年に14歳でドラマデビュー。歌手としても成功を収め、トップアイドルとして活躍した。2001年には、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成と出会い、交際8カ月で翌2002年に電撃結婚し、フランスへ移住。2004年には長男・十斗くんが誕生した。2014年7月に協議離婚が成立した。
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2人が出会ったのは2001年7月。パリのシャルル・ド・ゴール空港で、辻が中山を見かけたことがきっかけだった。その後、辻の希望で同年10月に対談が実現。その際、辻が中山にかけた言葉は「やっと会えたね」だった。当時の中山は自身のホームページで、「新しい人生を迎えました。私は宝物を見つけました」と喜びを綴っている。
辻との結婚には反対の声もあった。当時42歳の辻には過去に2度の離婚歴があり、前妻・南果歩とは自身の不倫が原因で、2000年に離婚したばかりだった。それでも中山は結婚式を挙げることなく、フランスへ行ってしまった。
辻との結婚には反対の声もあった。当時42歳の辻には過去に2度の離婚歴があり、前妻・南果歩とは自身の不倫が原因で、2000年に離婚したばかりだった。それでも中山は結婚式を挙げることなく、フランスへ行ってしまった。
中山 美穂 (著) 2012年
なぜなら やさしいまちが あったから (集英社文庫) 文庫 – 2012/5/18
中山 美穂 (著)
パリ移住後の日常生活を、飾らない言葉で綴る。
パリへの旅立ちから約10年。女性として女優として憧れの存在である著者が、現在の暮らしぶり、夫や息子とのエピソード、祖母や母との思い出、幼少期の秘話など、初めて語る真実の自分物語。
中山 美穂 (著)
パリ移住後の日常生活を、飾らない言葉で綴る。
パリへの旅立ちから約10年。女性として女優として憧れの存在である著者が、現在の暮らしぶり、夫や息子とのエピソード、祖母や母との思い出、幼少期の秘話など、初めて語る真実の自分物語。
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なぜ、中山美穂は辻仁成と結婚したのか。その背景には、当時32歳という年齢のことも関係していたのかもしれない。
1991年、21歳の中山は30歳の田原俊彦と交際し、結婚寸前とも言われていたが破局している。
また、中山は複雑な生い立ちだった。戸籍には父親の名前がなく、小学生のときに母親が再婚。
その後、芸能界で成功した美穂は、25歳の時に母親のために三鷹市内に家を購入している。
幸せな家庭を築くことを願っていた中山は、芸能人ではなく文化人である作家の辻仁成を選んだのだろうか。
1991年、21歳の中山は30歳の田原俊彦と交際し、結婚寸前とも言われていたが破局している。
また、中山は複雑な生い立ちだった。戸籍には父親の名前がなく、小学生のときに母親が再婚。
その後、芸能界で成功した美穂は、25歳の時に母親のために三鷹市内に家を購入している。
幸せな家庭を築くことを願っていた中山は、芸能人ではなく文化人である作家の辻仁成を選んだのだろうか。
辻との12年間パリ在住時代の中山美穂は長男を出産した翌年の2005年6月にキリンビバレッジ「茶来」のCMで3年ぶりにメディア登場した。2007年から集英社の女性月刊誌『LEE』に連載を開始。2010年に夫婦でインタビューに答えている。
キリンビバレッジ茶来CM中山美穂
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2010年1月主演映画『サヨナライツカ』(原作:辻仁成)が公開される。 興行収入10億円を突破するヒットとなり、中山美穂がパリから急遽帰国し東京、名古屋、大阪、福岡の4都市8劇場で「大ヒット御礼!日本横断 凱旋舞台挨拶」を行った。
2012年には、オールパリロケの映画「新しい靴を買わなくちゃ」に主演。2週間の撮影期間中にスタッフのアテンドも努めた。パリに移住後も、中山は活躍し、注目を集めていた。
2012年には、オールパリロケの映画「新しい靴を買わなくちゃ」に主演。2週間の撮影期間中にスタッフのアテンドも努めた。パリに移住後も、中山は活躍し、注目を集めていた。
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一方の辻仁成は 、中山との結婚から2年後の2004年に小説『刀』を発表。大手芸能事務所のタレントと結婚する小説家と言う設定で、中山との 結婚を思わせる自叙伝的だと言われている。
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国際離婚
2014年4月、中山はドラマの収録のため、自宅のあるパリから帰国した際に辻と話し合い、双方が離婚に合意した。パリに戻る前に、離婚届に判を押して辻に渡していた。そして、7月8日に辻仁成との協議離婚が成立した。
その後、中山と音楽家・渋谷慶一郎氏(当時42歳)との不倫が報じられた。
離婚直後の同年8月、中山は女性誌のインタビューで「好きな人に出会った」と語り、離婚の真相を語っている。そして、渋谷とパリで撮影されたツーショット写真も公開された。
この交際に対しては、「恋愛に依存し、家庭を捨てた」といった厳しい批判の声も寄せられた。
離婚の経緯については、中山が子宮筋腫を患い、体調が悪かった時期に渋谷氏と出会い、病院の手配や付き添いなどのサポートを受けるうちに、結婚生活を続けることが難しくなったとされる。
その後、中山と音楽家・渋谷慶一郎氏(当時42歳)との不倫が報じられた。
離婚直後の同年8月、中山は女性誌のインタビューで「好きな人に出会った」と語り、離婚の真相を語っている。そして、渋谷とパリで撮影されたツーショット写真も公開された。
この交際に対しては、「恋愛に依存し、家庭を捨てた」といった厳しい批判の声も寄せられた。
離婚の経緯については、中山が子宮筋腫を患い、体調が悪かった時期に渋谷氏と出会い、病院の手配や付き添いなどのサポートを受けるうちに、結婚生活を続けることが難しくなったとされる。
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パリに10年暮らしていたにもかかわらず、なぜ日本に一時帰国した際に離婚の話し合いを行い、日本の離婚届にサイン(捺印)してしまったのか。その理由には、当時の心境や法的な背景が大きく関わっていたのかもしれない。
フランスでの息子の親権争い、 日本の親権制度との違い
離婚について、実際には、辻が親権を主張した。辻は南果歩との離婚で親権を南が得たことで子どもに会えず、後悔していた。フランスの法律では離婚すると親権は半分になるので、中山は、そちらを選び、離婚後も 相互で子育てをするにつもりでいた。しかし、結局、日本の法律において離婚したため、親権はどちらか一方が持つ単独親権となり、親権を辻に譲ることにした。そして、それが離婚を承諾してもらうための条件だった。
中山美穂は、法律上、子どもに対する権利を失った。子どもとの面会は親権者である辻の判断に委ねられていた。そして、「親権を放棄して子どもを捨てた」とネットなどで非難を受けることとなった。
中山美穂は、法律上、子どもに対する権利を失った。子どもとの面会は親権者である辻の判断に委ねられていた。そして、「親権を放棄して子どもを捨てた」とネットなどで非難を受けることとなった。
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また、2014年1月24日に日本が締結したハーグ条約(例:一方の親の同意なく子どもを元の居住国から出国させた場合、子どもを元の居住国に返還する) の影響もあり、居住国であるフランスから日本へ子どもを連れて帰ることは難しかったと考えられる。
中山は息子に対して「できることは限られているかもしれない。でも、できることは本当にすべてしてあげたいと思っています」と胸の内を明かした。そして、離婚後に帰国し、日本で芸能活動を再開した。
中山は息子に対して「できることは限られているかもしれない。でも、できることは本当にすべてしてあげたいと思っています」と胸の内を明かした。そして、離婚後に帰国し、日本で芸能活動を再開した。
中山美穂 (出演), 前田耕陽 (出演) 形式: DVD