辻仁成さんのプロフィール
辻仁成さんの経歴
その後、1989年『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞したことで作家デビューします。
これをキカッケにバンドも1991年解散し、作家活動に専念していきます。
1994年『母なる凪と父なる時化』で芥川賞候補になったことで再び注目され、その頃1995年になりますが、辻仁成さん二度目になる結婚をします。
相手が女優の南果歩さんだという事で注目され、その後、1996年、『アンチノイズ』が三島由紀夫賞候補、続いて1997年『海峡の光』で第116回芥川賞を受賞したことで作家として、確たる地位を築きます。
1999年、『白仏』では、フランスの五大文学賞の一つのフェミナ賞の外国小説賞を受賞します。
これは日本人として初めての受賞という事でその才能が世界でも認められた瞬間として、日本でも大きく話題になりました。
作家としての活動で、辻仁成のカリスマ性のイメージも作られていきます。
それは、2003年3月に女優・南果歩さんとの離婚、その後に2002年に大人気だった歌手の中山美穂さんと結婚したことでさらに大注目される存在になります。
作家として、またあの!中山美穂を射止めたとして芸能ニュースを賑わせました。
辻仁成さんの結婚秘話と離婚の理由
そして、2度目の結婚、3度目の結婚があり、どちらも離婚に至っているという事ですが、2度目、3度目の結婚は、相手が芸能人ということで、よく知られているところです。
結婚に至った経緯や離婚の理由を見てみましょう。
辻仁成の2度目の結婚・南果歩
女優:南 果歩
生年月日:1964年1月20日(56歳)
出生地:兵庫県尼崎市
血液型:A型
南果歩さんが、今ではハリウッドでも活躍する俳優の渡辺謙さんの元妻というのは有名ですが、
それより以前、辻仁成さんと1995年~2000年結婚し、2人の間には男の子のお子さんを設けています。
2人の出会いは、1990年の辻仁成さんの小説『クラウディ』を読んだ南果歩さんがとても気に入り、距離を縮めて行って交際に発展したということです。
1999年の辻仁成さんの小説「千年旅人」の映画化の際、ヒロインを演じたyumaさんとの不倫疑惑がキカッケだった様です。
その後、yumaさんは芸能界から引退していますが、再びその名前が浮上したのは、2013年劇作家の三谷幸喜の再婚相手になったときのことでした。
芸能界の大物を魅了してしまうyumaさんという感じがしますが、辻仁成さんと南果歩さんが離婚では、若い女優との不倫!?ということで、当時は南果歩さんに同情の声が多かったという記憶があります。
ただ、その後、南果歩さんは俳優の渡辺謙さんとこちらは南果歩さんの略奪婚!?などと言われる中、渡辺謙さんの当時の妻との離婚が成立してまもなく結婚し、辻仁成さんと南果歩さんとの間に1996年に誕生している息子さんは、渡辺謙さんと養子縁組をしているとのことです。
が、渡辺謙さんと南果歩さんも、渡辺謙さんの不倫がキッカケですでに離婚しています。
南果歩さんの乳がんの闘病中での渡辺謙さんの不倫報道は、ふたたび南果歩さんに同情の声が多くありました。
“それでも、現在、辻仁成さんと南果歩さんとの間の息子さん(2020年で24歳になります)も2018年に結婚されています。
辻仁成の3度目の結婚・中山美穂
生年月日:1970年3月1日(50歳)
出生地:長野県佐久市
出身地:東京都小金井市
血液型:O型
中山美穂さんは14歳でスカウトされ、芸能界に入り、その後1980年代にトップアイドルとして大活躍していました。
その後、結婚することになる辻仁成さんとの出会った時も人気絶頂の時でした。
2001年に雑誌の対談が出会いとして、知り合い、交際8か月で2002年に結婚した辻仁成さんと中山美穂さんです。
ただ二人の結婚した際に有名になった言葉があります。
辻仁成さんが直接出会った以前にパリの空港で中山美穂さんを見かけていたという事実があり、
その時から辻仁成さんの方がずーっと中山美穂さんのことが気になっていたようです。
そして、2001年に雑誌の対談で初めて目の前で出会った時に「やっと会えたね」と言葉にしたといいます。
そんなロマンティックな出会いがあり、結婚までが8カ月というスピード婚であったことも話題になりました。
当時の辻仁成さんは、今も細いですが、当時も細身で今のとの違いは、何より男性的でミステリアスな雰囲気もありかっこよかったですからね。
中山美穂さんもその雰囲気に惹かれたのかもしれませんね。
離婚の何年か前から、辻仁成さんに変化が出てきたのを多くの人も知っているところですが、それは、イケメン辻仁成のイメージを覆すほど、辻仁成さんの容姿が女性的になったということもありました。
その昔はヒゲを生やしていた様な男性的なイケメンのイメージもあった辻仁成さんでしたが、驚いた人も少なくなかったのではないでしょうか。
そんなこともあり、辻仁成さんと中山美穂さんの突然の離婚報道が飛び出します。
離婚は2014年のことでした。
そして、その離婚の理由を「数年前から考えていた」として、中山美穂さん自身が、離婚後に雑誌のインタビューで語っています。
そして、お子さんが大きくなるまではと自分自身に言い聞かせていた様です。
それが、離婚に直接の追い風となった理由として、「好きな人に出会いました」という事です。
それが引き金となり、もう夫婦として元の生活には戻れないという気持ちになった様です。
当時、恋人と報道されたのが、音楽家の渋谷慶一郎氏という事ですが、中山美穂さんが取材を受けた雑誌の内容はこちらです。
中山は結婚生活を振り返り、「ある程度の時が過ぎて、様々な変化が起こってきたんですね。次第に母子だけでいることも長くなっていきました。
お互いが何かを我慢しながらこれからずっと生きていくのは無理だと思うようになりました」と、ストレスを抱えていたことを明かした。
さらに、離婚は「もともと考えていたこと」だといい、「結果的に、好きな人との出会いがきっかけになったけど、そうじゃなくても、いずれそうなっていたのは明白だった」と語っている。
「変化といえば、結婚7年目の2008年、辻はロックバンドを結成。翌年には全米デビューを果たしたほか、ドイツ、フランス、韓国などでワールドツアーを行い、家を空けることも多くなった。
『母子だけでいることも長くなって』というのは、辻の音楽活動が原因でしょう。また、音楽活動に伴い、辻の容姿も中性的に変化。
自身もサラサラストレートヘア、くっきり二重、アヒル口……と。これも中山の言う“変化”の1つかもしれません」(芸能ライター)
そんな生活の中で、ふと出会った男性に心を奪われて本来の女性としての自分を取り戻してしまったといったところでしょうか。
ただ、中山美穂さんはお子さんの親権を辻仁成さんに私、単身で日本に帰ってきました。
お子さんは当時まだ5歳、6歳です。
やはり、女性としての生活を望んでの決断だったのでしょうか。
さて、辻仁成さんと残されたお子さんとの生活が気になりますが、辻仁成さんの子育て論もある意味変わっているのでみてみましょう。
辻仁成さんの子育て論
世界的新型コロナウイルスの蔓延で、パリではすでに外出禁止令が発令されている生活です。
そんな中で辻仁成さんと中山美穂さんとのお子さんと2人で自宅で過ごす日々が続ていることをインスタのコメント欄でも語っています。
ヨガをしている父親の後ろで、息子さんが笑っているのでしょう、コメント欄には「息子よ、笑いすぎやろ!」と書かれています。
その文から親子関係もいいのではと想像できます。
そんな辻仁成さんと息子さんですが、父親としての子育て論ではこの様にインタビューで答えています。
息子の教育には「ミュージシャンになりたいとか、安易な夢は全部つぶしてやろうと思っています」と厳しい。
現在、辻の息子はパリの中学校に通い、すでに試験に合格して進学先も決まっているという。
バレーボール部ではキャプテンをやっていて、パリ市の大会で優勝し、趣味のヒューマンビートボックスでも次世代のチャンピオンのサークルに入り、高い評価を得ているというのだが「親としては“感動”なんだけど、そこをあえて壁となる。乗り越えてこその人生」と持論を語った。
自身の著書になぞらえて「“冷静と情熱のあいだ”が大切。皆さんに足元をすくわれないように」とニヤリ。
まずは大学に進学し、就職して「好きなことをすればいい」とし、「音楽や小説は楽しい人生として。まずは社会保険、消費税のことを考えて」と辻自身が「漂流した人生を送ってきたからこそ」と説得しているという。
最近、息子に「恋人ができた」とも明かした。相手はSNSで知り合った田舎に住む女の子で、家庭教師から聞いたという。「最高の友達と言っていますけど。実際に野原に出て行って、会ってから交際したほうがいいよ」とアドバイスをしているという。
息子さんには堅実に!という子育て論がある様に感じます。
そして、辻仁成さん自身は破天荒な人生を歩んできたからこそなのでしょうか、とても堅い考え?現実的に生きて行ってほしいという感じなのかなとインタビューを見て思いました。
どこの親も、多くはそんな風に思っているのかもしれません。
現在、パリ在住の辻仁成さんの情報
パリ在住の #辻仁成 氏「1か月前と価値観が変わった。人類は元に戻ることが簡単にできない」
— エキサイトニュース (@ExciteJapan) April 10, 2020
ロックダウン(都市封鎖)が続くパリの状況や生活、日本への思いをテレビ電話で語った #シンソウ坂上https://t.co/ApS4sJTlZg
現在、世界中、新型コロナウイルスで大変な状況です。パリはすでに街がロックダウンという状況です。
その状況を辻仁成さんがたびたびテレビで電話出演などで取材してくれています。
生のパリの状況を知るとともに、外出禁止の中での生活として、今、日本でもとても参考になる話も合って、特に辻仁成さんの話は分かりやすいと評判です。
辻さんは「問題は人々の精神面」と。「息子と二人暮らしで、一緒に運動をやり、一緒にご飯を作り、笑顔を忘れずに生きている。逆を言えば、生きていることが有難いと思える日々」
生年月日:1959年10月4日(60歳)
出身地:東京都南多摩郡日野町(現日野市)
職業:作家
学歴:
北海道函館西高等学校卒業
成城大学経済学部中退
活動期間:1989年 -
ジャンル
小説・随筆
代表作
『海峡の光』(1997年)
『白仏』(1997年)
主な受賞歴
すばる文学賞(1989年)
芥川龍之介賞(1997年)
フェミナ賞外国小説賞(1999年)
デビュー作
『ピアニシモ』(1989年)
配偶者
一般人(1979年)
南果歩(1995年-2000年)
中山美穂(2002年-2014年)