「UNICORN」「スピッツ」など人気アーティスト多数!笹路正徳さんのプロデュースしたアーティストたち!
2021年4月24日 更新

「UNICORN」「スピッツ」など人気アーティスト多数!笹路正徳さんのプロデュースしたアーティストたち!

音楽プロデューサーまとめシリーズ。笹路正徳さんのプロデュースしたアーティストやプロデューサーになるまでの経緯をまとめていきます!

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音楽プロデューサーになるまで

笹路正徳さんは1955年生まれ。4歳の頃からピアノを始め、小学校の時にはギターも始めています。さすが、幼少の頃から音楽に触れていたんですね。中学時代にはジャズにも目覚めています。

ギタリストとして活動していたのですが、東京学芸大学附属高等学校に入学してから、自分よりうまいギタリストに出会い、キーボーディストに転換しています。ミュージシャンではなく、レコード会社や音楽関連の出版社への就職を目指していたので、慶應義塾大学に進学します。学歴だけでもすごいですね。

大学ではジャズ研究会に入り、モダン・ジャズを習い、当時はやっていたフュージョンを中心として音楽活動をしていました。

そして大学在学中に「鈴木勲グループ」に参加。ジャズピアニストとしてすでにプロの道を歩み始めたのです。ミュージシャンにはならないつもりで行った大学で音楽のプロになったのですからすごいですね。

その後はスタジオミュージシャンとして活動するようになり、さらにコンポーザーやアレンジャーとしても活動を始めました。

1980年にはソロ名義でアルバムをリリース。ジャズ・フュージョン系のグループ「マライア」でもメジャーデビューしました。その他にも複数のバンドに所属していたんですよ。まさに引っ張りだこですよね。

初プロデュースは「PRINCESS PRINCESS」

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1987年からプリンセス・プリンセスのプロデュースを始めます。最初に担当したのは「世界で一番暑い夏」

元々は「Summer Lounge」というオムニバスアルバムに収録した1曲でした。当時はプリンセス・プリンセスの知名度も低く、チャートにも入っていなかったのですが、2年後にブレイクしてシングルとして再発売したのです。

プリンセスプリンセスのブレイクのきっかけを作った楽曲といっても過言ではないですね。

プリンセス・プリンセスのプロデュースは制作担当プロデューサーだった河合誠一マイケルさんが大学時代の友人だったことから声をかけられたのです。

共同ではありますが、バンド解散の1996年までプロデュースを担当していました。とてもいいご縁だったんですね。

「UNICORN」「SHOW-YA」のプロデュースも担当!

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プリンセス・プリンセルのプロデュースを始めてから、本格的に音楽プロデューサーとして活動するようになります。

同じ1987年にはユニコーンのプロデュースを担当。ユニコーンのディレクターも河合誠一マイケルさんだったのでそのつながりではじめたのかもしれません。

「BOOM」「PANIC ATTACK」「服部」という初期のアルバム3作品のプロデュースを担当しています。デビュー当時のユニコーンは切ないラブソングが多かったですが、方向性が変わった「服部」まで担当されていたんですね。ちなみに、次のアルバムからはセルフプロデュースになっています。

また、初期のキーボーディストが脱退してから笹路さんとそのアシスタントだった阿部義晴さんがサポートメンバーとして入っていました。その後阿部さんは正式なメンバーになっています。

1989年には「SHOW-YA」のプロデュースも開始。プリンセス・プリンセルと同じ女性だけのバンドですが、「SHOW-YA」の方がハードロックでしたね。

最も売り上げたアルバム「Outerlimits」や「限界LOVERS」「私は嵐」などのヒットシングルを手掛けています。

1991年には期間限定ハードロックバンド「SASAJIE'S」(ササジーズ)を結成しました。奥居香さんや奥田民生さんともセッションしているんですよ。豪華ですよね。

スピッツのプロデュースを担当

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1992年にはスピッツのプロデューサーになります。今まで所属事務所の社長がプロデューサーとして参加していましたが、外部からプロデューサーを依頼したのは笹路さんが初めてでした。6枚目のシングル「裸のままで」4枚目のアルバム「Crispy!」から、プロデュースの名義は「笹路正徳 & スピッツ」となっています。

アルバムからシングルカットした「「君が思い出になる前に」を7枚目のシングルとしてリリース。初めてオリコンチャートにランクインしました。初期のスピッツも人気がありますが、人気に火が付き始めたのはこの頃なんですね。

また、ブレイクのきっかけとなった「ロビンソン」、ミリオンヒットを記録したアルバム「空の飛び方」やシングル「チェリー」、オリジンチャートで初の1位を獲得した「渚」も笹路さんが担当しています。

1997年までスピッツのプロデュースに関わっていましたが、その後はセルフプロデュースに変わっています。

「the brilliant green」を発掘してプロデュース!

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the brilliant greenは1997年に全編英語歌詞の「Bye Bye Mr.Mug」をリリースしていたのですが、最初はあまりヒットしていませんでした。笹路さんが目をかけ、自らプロデュースをしたいと申し出て3枚目のシングル「There will be love there -愛のある場所-」をリリース。これが大ヒットしました。

それまでは全編英語歌詞だったのですが、ドラマのタイアップが付いていて日本語歌詞を条件に出されたため、日本語歌詞の楽曲になっています。

the brilliant greenをプロデュースしたのはこの1曲だけでしたが、ブレイクのきっかけになった曲を担当しているというのはやはりすごいです。

その後もコブクロ、ゴスペラーズ、森山直太朗さん、HYなどのプロデュースを担当されていますよ。
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