1986年日本プロゴルフ選手権 青木功!優勝!!
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1983年9月29日~10月2日、コース改造とメンテナンスを行った六甲国際ゴルフ倶楽部で、日本オープンゴルフ選手権が開催された。
通称「日本オープン」は、毎年秋に都道府県を変え開催される。
これは日本選手権大会に相当し、4日間72ホールストロークプレーに最大120名の選手が参戦し、日本一のゴルファーを決める大会である。
「世界の青木功」は、10年以上前からこの大会に挑戦し、2位が4回、3位が2回あるが、まだ1位は1度もなかった。
そのため日本オープン優勝は悲願だった。
青木功は、初日72、2日目69、3日目71の4アンダーで2位。
首位のテリー・ゲールは、69、68、70で9アンダー。
その差は5打差。
優勝は絶望的だった。
最終日、テリー・ゲール、青木功、尾崎直道が最終組で回った。
9番ホールまで1位と2位の差は5打差のままだったが、10番でテリー・ゲールが3パットで4打差となる。
13番、青木功はバーディ。
ラスト5ホールで3打差。
14番、テリー・ゲールはOBを出し2打差となる。
16番、テリー・ゲールのボギーで1打差。
17番、168mパー3で青木功はあわやホールインワンのショットでピンそば50㎝につけバーディ。
残り1ホールで両者のスコアは並び、18番は共にパー。
プレー-オフになった。
プレーオフ1ホール目はパーで分け、2ホール目の18番で、テリー・ゲールは2打目をバンカーに入れた。
青木功は2打目をカップまで5mメートルのスーパーショット。
5mのバーディパットは外したが、残りの1mを沈め、念願の初タイトルを5打差からの大逆転で獲得した。
通称「日本オープン」は、毎年秋に都道府県を変え開催される。
これは日本選手権大会に相当し、4日間72ホールストロークプレーに最大120名の選手が参戦し、日本一のゴルファーを決める大会である。
「世界の青木功」は、10年以上前からこの大会に挑戦し、2位が4回、3位が2回あるが、まだ1位は1度もなかった。
そのため日本オープン優勝は悲願だった。
青木功は、初日72、2日目69、3日目71の4アンダーで2位。
首位のテリー・ゲールは、69、68、70で9アンダー。
その差は5打差。
優勝は絶望的だった。
最終日、テリー・ゲール、青木功、尾崎直道が最終組で回った。
9番ホールまで1位と2位の差は5打差のままだったが、10番でテリー・ゲールが3パットで4打差となる。
13番、青木功はバーディ。
ラスト5ホールで3打差。
14番、テリー・ゲールはOBを出し2打差となる。
16番、テリー・ゲールのボギーで1打差。
17番、168mパー3で青木功はあわやホールインワンのショットでピンそば50㎝につけバーディ。
残り1ホールで両者のスコアは並び、18番は共にパー。
プレー-オフになった。
プレーオフ1ホール目はパーで分け、2ホール目の18番で、テリー・ゲールは2打目をバンカーに入れた。
青木功は2打目をカップまで5mメートルのスーパーショット。
5mのバーディパットは外したが、残りの1mを沈め、念願の初タイトルを5打差からの大逆転で獲得した。