沖縄アクターズスクールが生んだグループ「スーパーモンキーズ」
沖縄アクターズスクール内のメンバーが多数在籍し、メンバーが琉球空手の使い手であったことから、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日テレ系)に琉球空手少女として出演しているスーパーモンキーズ。
グループ名の由来は!?
ちなみにこの一風変わったグループ名の由来は、校長であるマキノ正幸さんによる「君たちはまだタレントではなく猿の段階、でもただの猿(モンキー)じゃかわいそうだから”スーパー・モンキーズ”にしよう!」という言葉がきっかけとなり命名されたそうです。
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1992年発売の「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」がヒット!
1992年9月、東芝EMIより「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でメジャーデビューを果たします。ロッテアイスのCMソングに起用された「ミスターU.S.A.」が、実質メインの楽曲扱いとなり、ブレイク以前の楽曲では唯一ミュージック・ビデオが制作されています。
タイアップとなった「シリアルアイス」の初期CMでは、メインボーカルの安室奈美恵ではなく、当時リーダーだった牧野アンナボーカルの別バージョンが使用されていました。オリコンの週間最高順位は29位とまずまずの売上となっています。
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ストイックな上京生活!どんなメンバーがいたっけ?
デビュー当時のキャッチフレーズは「OKINAWAからカリフォルニアが見える」。当然の如く沖縄色を全開に押し出したスーパーモンキーズ。
デビュー曲の発売前から東京で当時のメンバー5人で共同生活を始めていました。夢を叶える前に、大都会・東京の誘惑に負けないよう、牧野アンナが厳しいルールを設けています。ボイトレやダンスレッスン以外にも、筋トレやジョギング、空手の形などを日課として課していたそうです。
デビュー曲の発売前から東京で当時のメンバー5人で共同生活を始めていました。夢を叶える前に、大都会・東京の誘惑に負けないよう、牧野アンナが厳しいルールを設けています。ボイトレやダンスレッスン以外にも、筋トレやジョギング、空手の形などを日課として課していたそうです。
当時のメンバーは、安室奈美恵、牧野アンナ、澤岻奈々子(95年頃に「沢詩」に改名、後のNana)、天久美奈子(後のMina)、新垣寿子。この後、脱退するのは牧野アンナ(1992年末に脱退)、新垣寿子(1994年脱退)の二人でした。
その後、4人体制を経て、1994年10月に松田律子(後のLina)、安室の同級生で同じ中学校に通っていた宮内玲奈(後のReina)が加入しています。
その後、4人体制を経て、1994年10月に松田律子(後のLina)、安室の同級生で同じ中学校に通っていた宮内玲奈(後のReina)が加入しています。
グループ活動の後半は、安室奈美恵とMAXとして!
「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」とグループ名を変更し、初のヒット曲となる「TRY ME 〜私を信じて〜」を1995年1月に発売します。初登場49位ながらも、徐々に売り上げを伸ばし、最終的に8位を獲得。累計で70万枚を超えるヒットとなっています。