【ラグビー】記憶に残る伝説のトライ5選【2019ラグビーワールドカップ開催に向けて】
2016年11月25日 更新

【ラグビー】記憶に残る伝説のトライ5選【2019ラグビーワールドカップ開催に向けて】

2019年に日本でワールドカップが開催されるラグビー。スポーツとしての人気は、以前のようなものではありません。80年~90年代にかけては、大学ラグビーのブームもあり国立競技場が満員になっていた時代。その熱い時代を思い起こし、さらなるラグビーブームを起こすべく伝説のトライを5つ選んでみました。五郎丸にも負けない、往年の名選手たちを振り返ってみましょう。

9,743 view

1999 香港セブンス 大畑の伝説的トライ

7人制ラグビー(しちにんせいラグビー、英: Rugby sevens)は球技の一種で、1チームあたり7人のプレーヤーで行うことを特徴とする、ラグビーの変種。セブンズ(Sevens)ともいう。7人制バージョンはラグビーリーグとラグビーユニオンの両方に存在する。
1999年の香港セブンズで、日本代表は下位チームによるトーナメントグループ(ボウルトーナメント)に回ったが、その決勝のスコットランド戦の終了間際、大畑は自陣ゴール前から、「大会史上最高」とも評された独走トライで日本を逆転勝利に導き、ボウルトーナメント出場国の選手としては史上初のMVPを獲得した。

1999 香港セブンス 大畑の伝説的トライ - YouTube

26-31の敗戦モードから、ラストワンプレーで自陣から奪った伝説的トライです。当時のラグビー界を盛り上げたトライシーンです。

1991年1月6日 大学選手権決勝 早稲田 vs 明治 吉田執念のトライ

4年生となっていた吉田が主将として臨んだ1991年1月の大学選手権。相手は宿敵早稲田大学。
明治が1点のビハインドだった後半26分、左ウイングの吉田がセンターライン近くからの独走で逆転のトライを決める。

大学選手権決勝 早稲田 vs 明治 吉田執念のトライ (1991年1月6日) - YouTube

明治は前年の早明戦の借りを返しました。

1995 ワールドカップ南アフリカ大会 準決勝 ニュージーランドvsイングランド ジョナ・ロムーのトライ

ジョナ・ロムー(Jonah Tali Lomu,MNZM,1975年5月12日 - ) は、ニュージーランド出身の元ラグビー選手である。ポジションはウィング(WTB)。
トンガの家系をもちオークランドに生まれる。オークランドのウェズリーカレッジ卒業。身長196cm、体重119kg(公式発表)の身体から生み出される圧倒的なパワーと爆発的なスピードを兼ね備え「暴走機関車」「空飛ぶ巨象」と呼ばれる。100mを10秒5で駆け抜ける脚力をもちWTBとして活躍。高校時代から才能を開花し、ニュージーランドU-17代表、U-19代表、U-21代表を経て1994年には史上最年少の19歳でラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出される。オールブラックスでは63キャップ、37トライ、ワールドカップ15トライを記録。

疾走する伝説、ジョナ・ロムーの華麗なトライ - YouTube

RWC1995南アフリカ大会で準優勝に輝いた伝説的スーパースター、ニュージーランド代表ジョナ・ロムーの勇姿です。迎えたイングランドとの準決勝、パスを受けてライン際を攻め上がるロムーは、巧みなハンドオフでふたりを軽やかに交わし、3人目のタックルは正面から受け止めてさらに突進、見事トライへ。パワーとスピードにあふれる...

1987年 第1回ワールドカップ ニュージーランドvsイタリア ジョン・カーワンのトライ

ジョン・カーワン(Sir John James Patric Kirwan、1964年12月16日 - )は、ニュージーランドの元ラグビー選手、ラグビー指導者。オークランド出身。現役時代のポジションはWTB。愛称は「JK」。KNZM、MBE。
地元のアマチュアチーム、オークランド・マリストクラブで活躍。当時オークランド州ラグビー代表セレクター(スカウト)を務めていたジョン・ハート(元オールブラックスヘッドコーチ)に見出される。NPCオークランド州代表、イタリアのラグビーチームベネトン・ラグビートレヴィーゾ、ラグビーリーグオークランド・ウォーリアーズで選手生活をおくり、選手生活晩年の1997年から1999年の3シーズンを日本のラグビーチームNECグリーンロケッツで過ごし、NECを最後に現役生活から引退する

ジョン・カーワン Kirwan Try 1987RWC - YouTube

ニュージーランドとオーストラリアの共催となった記念すべき第一回RWCで、ニュージーランド代表のジョン・カーワンが魅せました。対イタリア戦後半、味方のパスを受けた同選手はそのままロングランを走りぬき見事なトライ。その華麗なステップワークに世界が熱狂しました。

1985年1月15日 日本選手権 同志社 対 新日鉄釜石 松尾雄治の8の字サイン

「歓声が回る感じ。言葉が何も聞こえない」。観客席がぐるりと囲む国立の特徴を、SOとして新日鉄釜石の黄金期を支えた松尾雄治さん(60)はこう表現した。終盤の攻撃では味方に声が届かず「8」を描くように腕を振ってサインを伝えた。実際は「2C」だったが、直後にナンバー8のトライが決まり「8の字サイン」と呼ばれた。ラグビーで国立を満員にしていた時代の逸話だ。

松尾の8の字サイン 新日鉄釜石 vs 同志社 1985年1月15日 - YouTube

ブログ ↓ ↓ ↓ 1985年 日本選手権 同志社 対 新日鉄釜石 その1(1985年1月15日) http://blog.livedoor.jp/charlie1962/archives/51148193.html 1985年 日本選手権 同志社 対 新日鉄釜石 その1(1985年1月15日)その2 http:...
16 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

高校、大学、社会人と不滅の記録を打ち立てた『平尾誠二』 ミスターラグビーの華麗なる現役時代!

高校、大学、社会人と不滅の記録を打ち立てた『平尾誠二』 ミスターラグビーの華麗なる現役時代!

山口良治が監督を務める伏見工業高校に入学し、全国制覇。同志社大学では大学選手権3連覇。神戸製鋼で日本選手権7連覇を達成するなど華々しいキャリアを誇る平尾誠二。偉大なる日本のラガーマン・平尾誠二の現役生活を振り返る。
ひで語録 | 8,263 view
なぜ日本のラグビーは強くなったのか

なぜ日本のラグビーは強くなったのか

2015年9月19日、ラグビーW杯において日本代表が奇跡とも言える素晴らしい試合を行い、スポーツ史上最大の番狂わせを起こしたのです。そう、世界でも話題になったあの南アフリカ代表に勝った試合。その後も。世界の強豪相手にラグビー日本代表は大健闘。世界中のラグビーファンが驚愕し、往年のラグビーファンは涙しました。しかしなぜ日本のラグビーは、これほどまでに短時間で強くなったのでしょうか。
五百井飛鳥 | 574 view
【訃報】1982年のW杯で得点王に輝いた“黄金の子”パオロ・ロッシさん死去。

【訃報】1982年のW杯で得点王に輝いた“黄金の子”パオロ・ロッシさん死去。

1982年に開催されたサッカーワールドカップ(W杯)・スペイン大会のイタリア代表で、同大会で得点王に輝いたパオロ・ロッシさんが9日、肺がんにより亡くなっていたことが明らかとなりました。64歳でした。
隣人速報 | 540 view
1987年の第1回大会から2019年の日本大会まで!ラグビーワールドカップにおける名勝負19試合がWOWOWで放送!

1987年の第1回大会から2019年の日本大会まで!ラグビーワールドカップにおける名勝負19試合がWOWOWで放送!

民放衛星放送局「WOWOW」にて、ラグビー世界最強を決める「ラグビーワールドカップ」のうち、1987年に行なわれた第1回大会から2019年の日本大会まで、その歴史に残る名勝負19試合の放送が決定しました。
隣人速報 | 443 view
サッカー【日韓戦】日本がW杯に初出場するまでの対戦成績を振り返る

サッカー【日韓戦】日本がW杯に初出場するまでの対戦成績を振り返る

毎回白熱する日韓戦ですが、振り返ってみると歴史がある国際試合なんですよね(^^)/ 今ではJリーグの存在がありますが、プロ化される前から行われていた日韓戦から振り返ってみたいと思います。
つきねこ | 2,683 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト