1995年
Luna Sea - Mother - YouTube
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2月、5thシングル「MOTHER (Single Version)」リリース。オリコン初登場5位。
3月、『LUNA SEA CONCERT TOUR 1995 MOTHER OF LOVE, MOTHER OF HATE』スタート。全国27か所31公演。総動員数約63,000人。
5月、ビデオクリップ集『ECLIPSE』リリース。オリコン初登場1位。
11月、6thシングル「DESIRE」リリース。オリコン初登場1位。
12月、初の東京ドームライブ『LUNATIC TOKYO』を行う。チケットは即日SOLD OUT。総動員数56,000人を記録。
3月、『LUNA SEA CONCERT TOUR 1995 MOTHER OF LOVE, MOTHER OF HATE』スタート。全国27か所31公演。総動員数約63,000人。
5月、ビデオクリップ集『ECLIPSE』リリース。オリコン初登場1位。
11月、6thシングル「DESIRE」リリース。オリコン初登場1位。
12月、初の東京ドームライブ『LUNATIC TOKYO』を行う。チケットは即日SOLD OUT。総動員数56,000人を記録。
Luna Sea -- Desire - YouTube
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1996年
LUNA - END OF SORROW [PV] - YouTube
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3月、7thシングル「END OF SORROW」リリース。オリコン初登場第1位。
4月、5thアルバム『STYLE』リリース。オリコン初登場第1位。
7月、ライブビデオ・LD『LUNATIC TOKYO〜1995・12・23 TOKYO DOME〜』リリース。オリコン初登場第1位。さらに、8thシングル「IN SILENCE」リリース。オリコン初登場第2位を記録。
横浜アリーナ2DAYSを皮切りに全国ツアー『LUNA SEA CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE』スタート。全国9か所16公演 総動員数 12万人。
10月、『UN ENDING STYLE ENCORE TOUR 1996 〜TO RISE』スタート。
普段はあまり行かない地区を中心にライブを行う。全国28か所28公演 総動員数58,000人。
12月、『UN ENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム』動員数4万人。
本編終了後、アンコールを待つ観客による「きよしこの夜」の大合唱が起こる。この日より、1年間の充電期間に入る。Jによれば、7月からの全国ツアーが始まる頃に、メンバーでの話し合いが持たれ、「次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメ」であり、1997年を「みんなの自主トレーニングの期間にあてよう」という結論に至ったという。活動休止に関して提案したのはSUGIZO、賛成したのがRYUICHI、中立だったのがINORAN、反対したのがJ、真矢。
4月、5thアルバム『STYLE』リリース。オリコン初登場第1位。
7月、ライブビデオ・LD『LUNATIC TOKYO〜1995・12・23 TOKYO DOME〜』リリース。オリコン初登場第1位。さらに、8thシングル「IN SILENCE」リリース。オリコン初登場第2位を記録。
横浜アリーナ2DAYSを皮切りに全国ツアー『LUNA SEA CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE』スタート。全国9か所16公演 総動員数 12万人。
10月、『UN ENDING STYLE ENCORE TOUR 1996 〜TO RISE』スタート。
普段はあまり行かない地区を中心にライブを行う。全国28か所28公演 総動員数58,000人。
12月、『UN ENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム』動員数4万人。
本編終了後、アンコールを待つ観客による「きよしこの夜」の大合唱が起こる。この日より、1年間の充電期間に入る。Jによれば、7月からの全国ツアーが始まる頃に、メンバーでの話し合いが持たれ、「次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメ」であり、1997年を「みんなの自主トレーニングの期間にあてよう」という結論に至ったという。活動休止に関して提案したのはSUGIZO、賛成したのがRYUICHI、中立だったのがINORAN、反対したのがJ、真矢。
1997年
河村隆一 Glass - YouTube
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メンバーの5人はソロ活動をしていった。
まずRYUICHIは、本名の河村隆一でソロ活動を開始。アルバム『Love』は約300万枚という男性ソロシンガーとしては歴代最高の売り上げを記録し、年末にはNHK紅白歌合戦にも出場するなど、わずか1年の間にソロシンガーとしての地位を不動のものにした。また、俳優・タレントとしてもテレビやドラマなどにも出演し、お茶の間にも進出。
SUGIZOとINORAN・J・真矢も、それぞれに精力的な音源製作・ライブ活動で5人が5人独特の活動を展開して見せた。個々にシンガーデビューを果たし、ランクインさせた。
まずRYUICHIは、本名の河村隆一でソロ活動を開始。アルバム『Love』は約300万枚という男性ソロシンガーとしては歴代最高の売り上げを記録し、年末にはNHK紅白歌合戦にも出場するなど、わずか1年の間にソロシンガーとしての地位を不動のものにした。また、俳優・タレントとしてもテレビやドラマなどにも出演し、お茶の間にも進出。
SUGIZOとINORAN・J・真矢も、それぞれに精力的な音源製作・ライブ活動で5人が5人独特の活動を展開して見せた。個々にシンガーデビューを果たし、ランクインさせた。
河村隆一 「Love is...」 - YouTube
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1998年
Luna Sea - Storm [PV] - YouTube
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4月、9thシングル「STORM」リリース。オリコン初登場第1位。
6月、10thシングル「SHINE」リリース。オリコン初登場第1位。
7月、11thシングル「I for You」リリース。オリコン初登場第2位。
復帰第1弾6thアルバム『SHINE』リリース 。オリコン初登場第1位。ミリオンヒットを記録。
9月、『WALT DISNEY PICTURES PRESENTS MULAN MEETS LUNA SEA CONCERT TOUR 1998 SHINING BRIGHTLY』スタート。全国26か所33公演 総動員数 15万人。
12月23日,24日、東京ドームにて『IDO PRESENTS LUNA SEA CONCERT TOUR 1998 SHINING BRIGHTLY FINAL END OF PERIOD in TOKYO DOME』を敢行。総動員数 10万人。
12月31日:バンド初となる『NHK紅白歌合戦』に出場。演奏曲は「I for You」。
6月、10thシングル「SHINE」リリース。オリコン初登場第1位。
7月、11thシングル「I for You」リリース。オリコン初登場第2位。
復帰第1弾6thアルバム『SHINE』リリース 。オリコン初登場第1位。ミリオンヒットを記録。
9月、『WALT DISNEY PICTURES PRESENTS MULAN MEETS LUNA SEA CONCERT TOUR 1998 SHINING BRIGHTLY』スタート。全国26か所33公演 総動員数 15万人。
12月23日,24日、東京ドームにて『IDO PRESENTS LUNA SEA CONCERT TOUR 1998 SHINING BRIGHTLY FINAL END OF PERIOD in TOKYO DOME』を敢行。総動員数 10万人。
12月31日:バンド初となる『NHK紅白歌合戦』に出場。演奏曲は「I for You」。
Luna Sea - I For You - YouTube
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1999年
1月、初のアジア・ツアー『LUNA SEA FIRST ASIAN TOUR 1999』スタート。
台湾動員数3,000人、香港動員数3,800人、上海動員数2,500人。
5月、ライブ・アルバム『NEVER SOLD OUT』をリリース。オリコン初登場第5位。
『LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞』を東京ビッグサイトスペシャルオープンステージで行う。
9月、ライブ・ビデオ2本同時リリース(各10万本限定生産)『10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY∞LIVE!!』オリコン初登場第1位。『10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞ DOCUMENT!』 オリコン初登場第2位。
12月、後輩のGLAYとの対バン『the Millennium Eve A Christmas present for the people who love live a lot』を東京ドームで行う。総動員数 56,000人。
台湾動員数3,000人、香港動員数3,800人、上海動員数2,500人。
5月、ライブ・アルバム『NEVER SOLD OUT』をリリース。オリコン初登場第5位。
『LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞』を東京ビッグサイトスペシャルオープンステージで行う。
9月、ライブ・ビデオ2本同時リリース(各10万本限定生産)『10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY∞LIVE!!』オリコン初登場第1位。『10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY ∞ DOCUMENT!』 オリコン初登場第2位。
12月、後輩のGLAYとの対バン『the Millennium Eve A Christmas present for the people who love live a lot』を東京ドームで行う。総動員数 56,000人。
2000年
LUNA SEA - gravity - YouTube
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1月、Zepp Tokyoにて『START UP GIG2000』敢行。動員数3,000人。カウント・アップ・ライブとして、午前0時0分より行われる。
3月、12thシングル「gravity」リリース。オリコン初登場第1位。
5月、13thシングル「TONIGHT」リリース。オリコン初登場第4位。
『PREMIERE OF LUNACY 2000』を日本武道館で敢行。
7月、7枚目のオリジナルアルバム『LUNACY』リリース。
11月、14thシングル「LOVE SONG」をリリース。オリコン初登場第4位。
この日、LUNA SEA終幕発表が公表される。
RYUICHIは「終幕」の理由について、「このメンバーでバンドをやっていたいちばんの理由は、5人でいれば誰よりも輝けると思ったからです。でも、同じ光を見てると目も慣れて、より強い光を求められなくなった」と語った。
12月、ベスト・アルバム『PERIOD 〜THE BEST SELECTION〜』リリース。20世紀最後のオリコンチャート1位を獲得。
東京ドームにて『LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME』を敢行。
このライブのセットリストは、終幕発表以前に公式WEBサイト上で行われた曲投票が反映されている。最後の曲はラストナンバーの定番「WISH」であった。このライブを最後に終幕。
3月、12thシングル「gravity」リリース。オリコン初登場第1位。
5月、13thシングル「TONIGHT」リリース。オリコン初登場第4位。
『PREMIERE OF LUNACY 2000』を日本武道館で敢行。
7月、7枚目のオリジナルアルバム『LUNACY』リリース。
11月、14thシングル「LOVE SONG」をリリース。オリコン初登場第4位。
この日、LUNA SEA終幕発表が公表される。
RYUICHIは「終幕」の理由について、「このメンバーでバンドをやっていたいちばんの理由は、5人でいれば誰よりも輝けると思ったからです。でも、同じ光を見てると目も慣れて、より強い光を求められなくなった」と語った。
12月、ベスト・アルバム『PERIOD 〜THE BEST SELECTION〜』リリース。20世紀最後のオリコンチャート1位を獲得。
東京ドームにて『LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME』を敢行。
このライブのセットリストは、終幕発表以前に公式WEBサイト上で行われた曲投票が反映されている。最後の曲はラストナンバーの定番「WISH」であった。このライブを最後に終幕。