戦後初の国産旅客機「YS-11」が9年ぶりに民間飛行!【動画】(2015.5.27飛行)
2015年11月10日 更新

戦後初の国産旅客機「YS-11」が9年ぶりに民間飛行!【動画】(2015.5.27飛行)

国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」の開発に注目が集まる中、MRJの大先輩ともいえる、40年以上前に作られた国産プロペラ旅客機「YS-11」が9年ぶりに民間飛行をした。

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戦後初の国産旅客機 YS-11

日本航空機製造が製造した「YS-11」1号機

日本航空機製造が製造した「YS-11」1号機

(エンジンは英国製)
かつて、日本にはYS-11という国産の飛行機がありました。これは戦後初となる国産の飛行機で、当時の官民が一体となって開発した飛行機です。ちなみに、このYSとは「輸送機設計」という言葉の頭文字をとったもので、それがそのまま機体名となりました。

YS-11の製造に向けては、当時の通産省がかなり力を入れており、日本の飛行機製造禁止解除を見越して、まだ禁止措置が続いていた当時から構想が持ち上がっていました。実際に禁止措置が解除になるとYS-11の計画は直ちに実行に移され、三菱重工業や川崎重工業、富士重工業、新明和など、名だたるメーカーが名を連ねこれらのメーカーが分担して開発、製造を行いました。

YS-11は騒音や操作性の問題を抱えていたものの、相次ぐ改良によってそれが克服され、最終的には伝説の名機と呼ばれるほどの品質を持つまでに至りました。国内のエアライン会社はもちろん、海外からの受注も相次いだことから、最終的には180機を越える生産実績を残しています。

現在は日本国内での役目を終え、運航はされていません。海外でも2009年中には運航を終了することになっており、YS-11はその役目を終えようとしています。自衛隊や海上保安庁などが保有するYS-11はまだ現役ですが、これもいずれは役目を終える時が来るでしょう。多くの課題を残したYS-11ではありますが、戦後初の国産飛行機として、その功績には目を見張るものがあります。

2015年5月27日、9年ぶりに民間飛行【YouTube動画あり】

戦後初の国産旅客機で、2006年9月で民間航空路線から引退した双発プロペラ機YS11が27日、久しぶりに羽田空港を離陸した。

大阪府八尾市の航空機販売会社「エアロラボ インターナショナル」が国土交通省から昨年末に落札した機体の試験飛行。機体は1968年製で、エアロ社が羽田空港で整備を続けていた。

保管場所となる高松空港への移動が目的で、午後2時15分ごろ、飛び立ったYS11は、約2時間後に同空港に到着。旅客は乗せられないため、同社は「航空ショーに参加するなどして多くの人に見てもらいたい」としている。
高松空港に着陸するYS-11

高松空港に着陸するYS-11

2015年5月27日午後4時15分頃

YS-11高松空港へ - YouTube

2015年5月27日、高松空港へ着陸するYS-11の映像。

現役時代の「YS-11」活躍あれこれ

1964年就航、東京オリンピックの聖火を空輸

1964年就航、東京オリンピックの聖火を空輸

設計を変更し飛行特性が改善されたYS-11は1964年、米国航空局より耐空証明を取得し、日本の運輸省の型式証明も取得した。

同年行われた東京オリンピックの聖火を、YS-11が日本中に輸送した。
1990年、コンスタンティン君をサハリンから搬送

1990年、コンスタンティン君をサハリンから搬送

1990年、米ソ冷戦時代。旧ソ連サハリンに住む3歳幼児コンスタンチン君が熱湯をかぶり全身を大やけどを負ったが日本へ緊急搬送されて一命を取り留めた。

日本への緊急搬送を行ったのが海上保安庁千歳航空基地所属 YS11-LA782「おじろ」。

YS11は国境を越えた 壮絶救出激の舞台裏 - YouTube

コンスタンチン君を救出した1991年当時、日ソの国境は緊張状態、問答無用で撃墜される恐れも…。
日本中が見守った、国境を越えた壮絶救出劇の舞台裏。
最後は、YS-11がエンジンスタートから離陸するまでをコックピットから捉えた貴重な動画をどうぞ♪

YS-11 羽田空港 エンジンスタートから離陸まで.avi - YouTube

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