これが伝説のバックスクリーン3連弾だ~!
阪神ファンの間では「伝説の三連発」とも呼ばれる。
阪神タイガース バース、掛布、岡田 伝説のバックスクリーン3連発 - YouTube
1985年(昭和60年)4月17日の巨人VS阪神戦
試合は1回表に巨人が阪神先発の工藤一彦からウォーレン・クロマティの2ランホームランで2点を奪い、その裏、阪神が巨人先発の槇原寛己から岡田のタイムリーヒットで1点を返すも、7回表に巨人がクロマティのタイムリーヒットで追加点を挙げ3-1となり、阪神が2点を追いかける状態となっていた。7回裏、2アウト一・二塁、ホームランが出れば逆転という場面で、ランディ・バースを迎える。
この年、シーズン終了時には三冠王となったバースではあるが、開幕からこの前の打席まで通算15打数2安打で打率.133、ホームラン0と絶不調に喘いでいた。しかしこの打席、槇原が投じた初球(試合開始から119球目)の143 km/hのストレート(本人はシュートを投げたと言っている)をファーストストライクの様に打ち返した打球は、低い弧を描きながらバックスクリーンに飛び込むシーズン第1号の3ランホームランとなり、チームは4-3と逆転する。普段はホームランを打った直後にさほど大げさに喜びを表さないバースが、このホームランの際には一塁ベースを回るところで珍しくガッツポーズを見せている。バース曰く、カーブの抜け球を狙い、それを掛布に伝えたという。
続いて打席に入った4番打者の掛布は、打率こそ.273であったが前日に逆転勝利の一因となったシーズン初ホームランを放っていた。2球を見送り、1ストライク1ボール(現在の名称で言うと1ボール1ストライク)で迎えた3球目、高めに入った144km/hのストレートをフルスイング、バックスクリーン左翼側のスタンドに飛び込むバースに続く連続ホームランとなる。
更に5番打者の岡田は、ここまでホームランはないながらも打率.333と好調であった。その時の心境を、後日「ヒットでいいという考えはなかった。こうなったら本塁打を狙うしかないやろう。」と振り返っている。初球のストレートを見送り、1ストライクノーボール(現在の名称で言うとノーボール1ストライク)の後の2球目、高目に入った槇原の129 km/hのスライダーをバックスクリーン左翼寄り中段に叩き込んだ。
見事な3連発による逆転劇に、阪神側応援席は狂喜乱舞、一方三塁側の巨人応援席からは空き缶が投げ込まれるなど対照的な反応となった。また3者連続被弾した槙原は「3連発を打たれた後、王監督がもの凄い表情でマウンドに上がってきた」と語っている。
【1985年4月17日】阪神 伝説のバックスクリーン3連発から30年 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ランディ・バース
【ランディ・バース】弱小球団にやって来た「史上最強の助っ人」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
掛布雅之
掛布雅之
新潟県三条市の生まれで、大阪府豊中市在住。阪神の主力選手として活躍した現役時代から、阪神ファンやメディアの間で「(4代目)ミスタータイガース」と呼ばれることがある。
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岡田彰布
岡田彰布
1980年に阪神タイガースへ入団。1995年にオリックス・ブルーウェーブで現役を引退。その後、オリックス・阪神の二軍監督・コーチ・監督を歴任した。
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被弾したのは「ミスター・パーフェクト」
槙原寛己
史上15人目の完全試合達成者。2015年現在最後の達成者でもある。
斎藤雅樹、桑田真澄とともに1990年代の読売ジャイアンツを支えた先発3本柱の一人。愛称は「マッキー」「マキさん」「ミスター・パーフェクト」など。所属事務所はノースプロダクション。
1977年から1982年までMLB、1983年から1988年まで阪神タイガースでプレイ。2004年からはオクラホマ州議会の上院議員(民主党)。
シーズン打率の日本記録保持者。2度の三冠王を獲得。