「世紀のトレード」で阪神へ
真弓明信は、猛虎打線、恐怖の一番打者、のちの一軍監督など、阪神タイガースのイメージが強いですが、元々は "ライオンズ" の選手でした。1973年、西鉄ライオンズから変わったばかりの太平洋クラブライオンズに入団。のちにクラウンライターライオンズに変わり、1978年までの6年間、ライオンズの選手として活躍しました。奇しくも、西鉄と西武の間の6年間をライオンズで過ごしたことになります。
1978年のオフ、「世紀のトレード」と呼ばれた交換トレードで阪神タイガースに移籍。阪神は田淵幸一、古沢憲司、クラウンは真弓、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史の2対4の交換トレードでした。このトレードにおける球団の考え、真弓の思いは次のようなものでした。
1978年のオフ、「世紀のトレード」と呼ばれた交換トレードで阪神タイガースに移籍。阪神は田淵幸一、古沢憲司、クラウンは真弓、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史の2対4の交換トレードでした。このトレードにおける球団の考え、真弓の思いは次のようなものでした。
阪神新監督に就任したドン・ブレイザーは、主砲田淵を手放すにあたって交換条件として1人の選手だけはどうしても譲らず、それがダメならトレードはご破算、と決めていた。それが真弓だった。
(中略)
移籍した阪神は巨人と並ぶ老舗球団。ようやく伝統のあるチームで野球ができると思うと正直嬉しかった。事実、トレードの話が来た時、真弓は。「セ・リーグだったらテレビに出る機会も多く、名前も売れるからやりがいがある」とすぐに思ったという。
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1983年に首位打者
1979年4月7日、移籍後初戦となる広島戦。真弓は1番ショートで起用され、同じく移籍組の竹之内が4番ライト、若菜が8番キャッチャーでスタメン出場します。移籍組の3人は、あわせて7安打(真弓は3安打)と大暴れ。5対4でチームを勝利に導きました。真弓は以後、主に1番打者、3番打者として活躍するようになります。
1983年は、シーズン途中で二塁手にコンバート、負傷で3週間の欠場、7番を打つなど変化の多い一年でしたが、打撃は絶好調。シーズン当初から3割中盤から後半を維持し、最終的には打撃10傑の常連・若松勉を抑え、見事、首位打者のタイトルを獲得しました。最終成績は、448打数 158安打 23本塁打 77打点 打率.353でした。
1983年は、シーズン途中で二塁手にコンバート、負傷で3週間の欠場、7番を打つなど変化の多い一年でしたが、打撃は絶好調。シーズン当初から3割中盤から後半を維持し、最終的には打撃10傑の常連・若松勉を抑え、見事、首位打者のタイトルを獲得しました。最終成績は、448打数 158安打 23本塁打 77打点 打率.353でした。
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3割2分2厘、34本塁打、84打点
そして迎えた1985年、吉田義男監督の意向で外野手に転向し、真弓は1番ライトのレギュラーとなります。この年の真弓の打撃は、1983年と同様に絶好調。打率は1983年に及ばなかったものの、ホームラン、打点は、他チームの4番打者に匹敵する記録で、「恐怖の1番打者」と恐れられました。クリーンナップには、バース・掛布・岡田が鎮座し、史上最強の猛虎打線を形成していました。
開幕から2試合連続ホームラン
この年、真弓が生涯最高を記録したのがホームランと打点。4月13日の広島との開幕戦では幸先よく、先制の1号ホームランを放ちます。この日はあいにく黒星スタートとなりましたが、翌4月14日の広島戦では、初回先頭打者ホームランを記録し、チームのシーズン初勝利に貢献しました。
因みに、初回先頭打者本塁打の通算記録は41本。これは阪急の福本豊に次ぐ歴代2位の記録で、セ・リーグのみでは単独1位です。
因みに、初回先頭打者本塁打の通算記録は41本。これは阪急の福本豊に次ぐ歴代2位の記録で、セ・リーグのみでは単独1位です。
バックスクリーン3連発をお膳立て
4月17日の巨人戦。この日は、バース・掛布・岡田がバックスクリーン3連発を記録した日として有名ですが、真弓はこの日4打数ノーヒット。しかし、7回裏にフォアボールでこの日唯一の出塁をしており、その後に待っていたのがバックスクリーン3連発でした。主役としても、脇役としても活躍するのが真弓らしいところでしょう。
バックスクリーン3連発
阪神タイガース 甲子園バックスクリーン3連発 19850417
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戦線離脱、そして、華々しい復活
6月9日の大洋戦。柳川商、クラウン、阪神と長らくチームメイトだった、相手チームのキャッチャー・若菜と本塁で衝突。左肋骨不全骨折で3週間もの間、戦線を離脱しました。
スタメンに復活したのは、7月2日のヤクルト戦。チームは負けたものの、真弓は初回先頭打者ホームランを放ち、華々しい復活を遂げました。この戦線離脱がなければ、ホームランや打点は、さらに高い記録になっていたかもしれません。
スタメンに復活したのは、7月2日のヤクルト戦。チームは負けたものの、真弓は初回先頭打者ホームランを放ち、華々しい復活を遂げました。この戦線離脱がなければ、ホームランや打点は、さらに高い記録になっていたかもしれません。
6打数5安打、1試合2ホームラン
8月は、日航機墜落事故での球団社長事故死のショック、毎年恒例の死のロードで、チームは首位から陥落。ところが、8月22日の大洋戦は、久々にチームの打線が大爆発し、21安打16得点で大洋を圧倒します。中でも、真弓は6打数5安打2本塁打3打点と大暴れ。元気のなかったチームに活を入れるような活躍ぶりでした。その後、8月27日に広島から首位を奪還しています。