98長野五輪スキージャンプ団体 感動の金メダル - YouTube
ふなき〜
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だっちゅーの(パイレーツ) 1998年
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パイレーツは、1997年4月に浅田好未と西本はるかのコンビで結成された、グラビアアイドルとお笑い芸人の折衷型のタレント。
『ボキャブラ天国』でブレイクした。「だっちゅーの」は1998年は、同年度の新語・流行語大賞を受賞し、さらに1999年にはゴールデン・アロー賞の話題賞を受賞する。
見ての通り、可愛いくてスタイル抜群の2人。当時の人気はすごかった。
子どもからおじさんまで「だっちゅーの」やってました。
知らなかったけどグラビアアイドルもやってたんですね。
現在2人は、2004年の解散後アパレル会社を立ち上げたり、ソロでの舞台活動などを行っている。
子どもからおじさんまで「だっちゅーの」やってました。
知らなかったけどグラビアアイドルもやってたんですね。
現在2人は、2004年の解散後アパレル会社を立ち上げたり、ソロでの舞台活動などを行っている。
パイレーツ ボキャブラ天国 - YouTube
だっちゅーの
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宇多田ヒカル 1999年
2000年頃の日本のR&Bブームに大きな影響を与えた。日本の音楽史上、最多の売り上げを記録した『First Love』を筆頭に、オリジナルアルバム歴代売上の上位トップ2を独占している。
1998年12月、宇多田ヒカルとして1作目のシングル「Automatic/time will tell」でデビュー。プロモーションはラジオ出演のみだったがFMラジオや外資系CDショップのプッシュから一気に人気に火がつきデビュー曲はいきなりミリオンセールスを記録。わずか1枚のシングルだけで音楽メディアはもとより一般の週刊誌やワイドショーまでセンセーションを巻き起こした。
そして宇多田が15歳で作詞作曲を手がけていることやアメリカで生活していた帰国子女でかつての演歌歌手・藤圭子の娘だということが分かり世間を驚かせた。
ファーストアルバムは700万枚を売り上げ、今もその記録は破られていない。
今はすごく歌がうまい人も数人いるが、当時宇多田ヒカルが出てきたときはこんなに歌がうまい人はいなかったんじゃないかな。
とにかく歌声が衝撃的でした。
キャラも個性的でよかったよね。
今はすごく歌がうまい人も数人いるが、当時宇多田ヒカルが出てきたときはこんなに歌がうまい人はいなかったんじゃないかな。
とにかく歌声が衝撃的でした。
キャラも個性的でよかったよね。
宇多田ヒカル - Automatic - YouTube
Automaticのプロモーションでイスにすわって歌っているのをバラエティでパロディーされることが多かった。
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ヤマンバ 1999年
語源は山姥(やまうば、転訛してやまんば)。日本の民話で紹介される山姥が総じて白髪で手入れをしていない長髪であったことから由来する。それまでギャルやコギャルにも採用されていたガングロや化粧に加え、髪の毛の脱色が特に顕著であり、部分的な着色・脱色をしたメッシュを施し、乱れたように形作った髪形が特徴であった。また、ネガポジ反転をしたかのようなメイクが流行となり、自身のタンニングされた黒い肌と対照的に白い色のグロスやアイラインを施すことがヤマンバの間で大流行した。
1990年代末期には、既に高校を卒業した身分でありながらも、当時のコギャルとなんら変わりないメッシュを入れた髪で制服に身を包み、ルーズソックスにローファーを履いて街にくりだすという「なんちゃってコギャル」という女性も存在した。当時はコギャルブームと言って良いほどの流行ぶりで、ワイドショーや週刊誌を初めとして、メディアでは女子中高生やコギャルの特集が連日連夜と書き立て報道された。ただし、その影には若者の貞操概念や道徳観の欠落など様々な問題も同時に取り上げられ、特に「援助交際」に関しては児童買春・児童ポルノ禁止法が整備されていなかったり、あるいは青少年保護条例が現代ほど機能していない時代でもあって強く問題視された。
この頃はギャルの間でお風呂に入らない不潔な「汚ギャル」も流行っていた。V6の出演するバラエティー「学校へ行こう」でよくとりだたされて「スゲー」思いながらと見ていた。