2016年9月22日 更新

沢田研二くらいありとあらゆる「日本で初めて」をやり尽くしたひとはいない!

沢田研二は本当にあらゆる前衛と冒険と先取りを平然とやってのけてきた。これほど「日本で初めて」をやり尽くしたひともいないだろう。ジュリーを演じ、歩いてきた王道をたどってまます。

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沢田 研二   
本名、澤田 研二  1948年6月25日生まれ
日本の歌手、俳優、作詞・作曲家。
ニックネームはジュリー。
鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市育ち。
妻は女優の田中裕子。
前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

1960年代後半のグループサウンズ全盛期から活躍し、特に1970年代から1980年代前半にかけてはスーパースターとして日本のポップス界を牽引した。ソロとしてのシングル総売上は1,239万枚(1982 - 1991年の9年間は歴代1位の座を保つ)。ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚になる。

1967年2月5日「ザ・タイガース」のリードボーカルとしてデビュー

1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビュー
セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」で人気爆発、続く「モナリザの微笑」、そして「君だけに愛を」で一気にグループ・サウンズ (GS) の頂点へと躍り出る。とりわけ端整な美貌の持ち主である沢田は、一躍国民的アイドルとなった。

タイガース時代の衣装は当時の新進気鋭のデザイナー、コシノジュンコさんが担当していた。

ジュンコさんにしては地味かも

ジュンコさんにしては地味かも

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胸のロゴが ブティック コシノ ジュンコ

胸のロゴが ブティック コシノ ジュンコ

タイガースの衣装だけではなく、ジュリーが正真正銘の間違いなく「ジュンコ・コシノ」を私服でも着ていた。
NHKの朝の連続ドラマで「カーネーション」というドラマがありましたが、そのドラマの中でコシノジュンコさんとジュリーがモデルとなったシーンがあった。
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番組冒頭で「シ・ーシ・ーシー」が流れ、ジュリーを彷彿とさせる『ジョニー』とやらが直子(コシノジュンコさん)の店を訪れるシーンでは「スマイルフォーミー」が流れました
1960年代後半のグループサウンズ全盛期から活躍し、特に1970年代から1980年代前半にかけてはスーパースターとして日本のポップス界を牽引した。

1968年8月12日にザ・タイガースが後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は、日本で初めてのスタジアムコンサート

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『ローリング・ストーン』 (Vol.28) の表紙に!日本のアーティストが現れたのは彼らが最初で最後

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米国「ローリングストーン (Rolling Stone)」の第28号の表紙

1969年3月1日、アメリカで最も歴史があり権威ある音楽雑誌、米国「ローリングストーン (Rolling Stone)」の第28号で表紙を飾った、ザ・タイガースの沢田研二と岸部シロー。デザイナーはナオコ・ラッシュ (Naoko Lash)
1969年3月1日、アメリカの音楽雑誌の中でも歴史が長く、最も権威ある音楽雑誌のひとつ『ローリング・ストーン』 (Vol.28) の表紙に登場。日本版が刊行される前の同誌において、日本人が表紙を飾ったのは、これが最初で最後だった。

日本人として初の日本武道館単独公演

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1971年1月24日、日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」で解散。

ソロになってからのジュリーがスゴイ!

1973年4月21日発売の「危険なふたり」が65万枚を...

1973年4月21日発売の「危険なふたり」が65万枚を売り上げソロ初のオリコン1位を獲得。

第4回日本歌謡大賞を受賞(歌謡大賞歴代視聴率最高の47.4%を記録)。
この作品からスタイリストとして早川タケジが参加し、以降、斬新なファッションが確立されることになった。

「男性のアクセサリー」や「化粧」、「バンドサウンド」を日本の一般家庭に浸透させ、歌謡曲とロックを融合させたのが沢田である。

ジュリーの斬新なスタイリングの数々

これらの斬新なファッションはスタイリストとして参加した早川タケジによるものである。
「男性のアクセサリー」や「化粧」、「バンドサウンド」を日本の一般家庭に浸透させ、歌謡曲とロックを融合させたのが沢田である。
早川タケジのデザインによる、羽毛のマフラー、アメリカのポリス帽、演奏中に煙草を吸う、短剣や拳銃を使用、ハーケンクロイツの腕章、背中に刺青、化粧、またウィスキーのポケットボトル、ブルーやゴールドのカラーコンタクト、金属の仮面、女性の裸身コスチュームを身にまとった。
沢田は常に帽子を斜めにかぶり、頰にほくろのある左目しか見せないポーズで歌うなど、エロティシズムと退廃美を帯びたスタイル、いわゆるグラムロックを日本のミュージックシーンにはじめて取り入れた

沢田研二が演れば邪道ではなく王道になる。 それが沢田研二!

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「憎みきれないろくでなし」ポーズ ポスター

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沢田研二 恋のバッド・チューニング (1980)

沢田研二 恋のバッド・チューニング (1980)

元ネタが「愛の嵐」のシャーロット・ランプリングだったり「地球に落ちてきた男」のデヴィッド・ボウイだったりディートリッヒだったり。数え上げればキリがない。
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きらびやかでグラマラスでキッチュでチャーミング、ゴージャスで猥雑でエキセントリックで退廃的。悪趣味と隣り合わせのハイセンス。
…ほんっと、存在自体がグラムだよなあ。
「ロック・スター」はこうでなきゃ、と思うもの。
でもあくまでもエンタメであり、徹底して歌謡曲。
自分が「歌謡曲」の歌い手であることを誰よりも自覚し、常に商業的・娯楽的であることを意識していたひとだった。
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香港では、『日本のデヴィッド・ボウイ』と称されている
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50畳敷きの畳は凄い

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「夜のヒットスタジオ」での伝説の畳バージョンの「サムライ」その2
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「夜のヒットスタジオ」での伝説の畳バージョンの「サムライ」その3

1980年2月29日に同じシチュエーションで写真集「水の皮膚」を発売した。この写真集は男性歌手として初めてのオールヌード写真集

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