トリックプレイとされる「隠し球」
草野球ではおなじみだった隠し球
隠し球は、走者に気づかれないように野手がボールを隠し、走者が塁から離れた時に触球して走者をアウトにするトリックプレイ。
隠し球という言葉は、公認野球規則では定義されておらず用いられてもいないが、一般には広く普及している。
英語ではhidden ball trickなどと呼ばれ、こちらも野球規則などに定められているわけではない。
隠し球という言葉は、公認野球規則では定義されておらず用いられてもいないが、一般には広く普及している。
英語ではhidden ball trickなどと呼ばれ、こちらも野球規則などに定められているわけではない。
清原が隠し玉にひっかかる(笑) - YouTube
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過去には1年で4度も成功させた選手も
日本プロ野球で隠し球をはじめて成功させたのは苅田久徳と言われているが、その苅田は六大学時代に、法政大学のチームメイトだった若林忠志から教えてもらったと話している。苅田は1933年の都市対抗野球でも隠し球を記録している。
1970年に1年で4度も成功させた大下剛史(東映フライヤーズ)や、広島東洋カープで大下の教えを請うた木下富雄、そのほか南海ホークスなどで活躍した飯田徳治、同じく南海の立石充男、読売ジャイアンツの元木大介らが名手として有名だった。
ルールにおける隠し球
プレイが中断されてしまうと、隠し球は行えません
隠し球は、投手がボールを持っているように見せかけ、投手以外の野手がボールを隠し持ち、走者が離塁した際に触球をすることで行われることが多い。ただし、投手がボールを持っていないのに投手板を跨いだり、捕手とサインの交換をするなどの偽装はボークとなる。
日本プロ野球では、1999年4月3日の読売ジャイアンツ対阪神タイガース戦で、巨人の元木大介三塁手が隠し球を試みたが、桑田真澄投手がボークをとられたという事例がある。桑田は、左足が投手板をまたいでいるように見えたと審判員から通告されたと語っている。
走者はボールインプレイのときに離塁して触球されるとアウトになるので、プレイが一段落したところで審判員にタイムを要求し、タイムが宣告されボールデッドになってしまえばアウトになることはない。
日本プロ野球では、1999年4月3日の読売ジャイアンツ対阪神タイガース戦で、巨人の元木大介三塁手が隠し球を試みたが、桑田真澄投手がボークをとられたという事例がある。桑田は、左足が投手板をまたいでいるように見えたと審判員から通告されたと語っている。
走者はボールインプレイのときに離塁して触球されるとアウトになるので、プレイが一段落したところで審判員にタイムを要求し、タイムが宣告されボールデッドになってしまえばアウトになることはない。
賛否両論の「隠し球」
トリックプレイとされることから、嫌われることもしばしば
via i.ytimg.com
「隠し球」の名手たち
数少ない「隠し球」の実践者たち
イメージ通りというか、隠し球の名手として知られた元木選手。
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佐伯貴弘は横浜ベイスターズ在籍時に3度成功。
2001年 対読売ジャイアンツ戦・・・清原和博
2005年 対千葉ロッテマリーンズ戦・・・サブロー
2006年 対読売ジャイアンツ戦・・・李承燁
2001年 対読売ジャイアンツ戦・・・清原和博
2005年 対千葉ロッテマリーンズ戦・・・サブロー
2006年 対読売ジャイアンツ戦・・・李承燁
山崎浩司(埼玉西武ライオンズ)は広島東洋カープ時代の2007年とオリックス・バファローズ時代の2009年の2度達成し、両リーグで隠し球を成功させている。
2007年 対読売ジャイアンツ戦・・・阿部慎之助
2009年 対福岡ソフトバンクホークス戦・・・田上秀則
2007年 対読売ジャイアンツ戦・・・阿部慎之助
2009年 対福岡ソフトバンクホークス戦・・・田上秀則
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高校野球でも特に禁止されているわけではないが、「正々堂々としたプレイではなく、高校生らしくない。」とする向きも。
ちなみに高校野球史上初めて甲子園にて隠し球を決めたのは、1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会初戦の丸子実業-天理高校戦にて、丸子実業の三塁手が成功させた事例とされる。
この時国内が賛否両論となった中、王貞治は「頭の良いチームにしか出来ない事」と丸子実業のプレイを評したという。また、高校野球史に残る激戦と言われる1979年の第61回全国高等学校野球選手権大会の箕島高校-星稜高校戦において、2-2の同点で迎えた延長14回裏一死三塁の場面で、星稜の三塁手の若狭徹が隠し球を成功させてサヨナラゲームのピンチを逃れている。