おこずかいの10円もらってわくわくしながら通った駄菓子屋のお菓子
親がお出かけ、帰りのお土産ハンバーガーそんな昭和の懐かしい思い出が残る食品を集めてみました。
親がお出かけ、帰りのお土産ハンバーガーそんな昭和の懐かしい思い出が残る食品を集めてみました。
■駄菓子屋で売られていたお菓子~子供時代の社交場~
via www.cakepia.info
駄菓子
昭和レトロを感じさせる駄菓子と言うとこれを外すわけにはいきませんよね、ひも付き飴
大・中・小の飴に付けられたひもが束ねてあり、どれか一本のひもを引くと先についてくる飴の大きさで天と地が別れた元祖当てもの菓子ですね。駄菓子屋のクインオブ駄菓子で
大・中・小の飴に付けられたひもが束ねてあり、どれか一本のひもを引くと先についてくる飴の大きさで天と地が別れた元祖当てもの菓子ですね。駄菓子屋のクインオブ駄菓子で
via img01.hamazo.tv
駄菓子
当たり付駄菓子で忘れてはいけないのがこのガム、当時の物とは違いますがほぼこのようなものでした、ボタンを押すと色違いのガムが出て来て色分けで景品が決まると言うものでした。私の記憶では1等が銀玉鉄砲だったと思います。これは駄菓子屋によって景品に違いが有る様でした。
via blogs.c.yimg.jp
via img.sonicch.com
■昭和レトロを感じる食品
via www.nissin.com
インスタント
世界初となるカップ麺、元々は国外に売り出すための戦略商品だったと言い昭和46に売り出されました。発売翌年の昭和47年あさま山荘事件が起きた際に、機動隊員たちがカップヌードルを食べる場面が全国に生中継され視聴者の注目を集め、これをきっかけにカップヌードルの認知度は飛躍的に高まり各地域から販売希望が多数寄せられ全国発売となったというのは多くの人が知る所です。
via www.showanavi.jp
ふりかけ
昭和三十五年(1960)、丸美屋から発売された「のりたま」は、「ふりかけは魚が原材料」というそれまでの常識をくつがえし、当時はまだ贅沢品だった卵と海苔を主原料とした新時代のふりかけでした。これだけでご飯が食べられました。
via up.gc-img.net
プリン
・牛乳を使用しなくてもポットのお湯(70℃)で簡単に作る事が出来た粉乳入りのプリン・の素でした。1964(昭和39)年に登場したハウス『プリンミクス』このプリンミックスが出るまでは焼いて造るプリンだったんですよ、なのでお湯出来るという事は画期的な事だったんですね。
■ファーストフード
via www.zaikei.co.jp
昭和26年から販売される駄菓子屋の定番です・今尚衰えを見せないキングオブ駄菓子