古い順に並べてみた
当時は女性だけのロックバンドは珍しくて一般になじみが薄く、ミニスカートを履かせられたり髪を刈り上げられたりと、アイドルバンド路線で売り出されることになった。
1980年代後半、ハードロック路線に戻って自分たちの音楽を追求していたものの、セールスは伸び悩んでいた。
それまで主に作詞を担当していた寺田はそれが自分のせいだと思い、7枚目のアルバム制作時、音楽家の安藤芳彦に作詞を依頼する。
また、このアルバムから笹路正徳がプロデューサーとして参加する。
その結果、アルバムは約60万枚のセールスを記録する。
30万枚を突破した8thシングル『限界LOVERS』や『私は嵐』のヒットも相まって、SHOW-YAのライブ本数やテレビ出演回数は激増する。
しどけなくエモーション
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1983年ガールズバンド結成のための楽器ごとのオーディションがTDKレコード主催で行われ、5人のメンバーが選出されて結成。当初のバンド名は「赤坂小町」
1985年、事務所が与えるアイドル的な仕事に違和を覚えたことや、音楽性の違いから、所属事務所をTDKレコードから音楽座へと移籍する。
ここでバンド名を「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」に改名する。
JULIAN MAMA時代はシングル、アルバムのリリースは無かった。
1986年5月、ミニアルバム『Kissで犯罪(クライム)』でデビュー。
この時、バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へと再び改名する
恋はバランス
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1983年の結成後、地元である札幌市を拠点として活動していたが、親の転勤により森若が東京に行くことにより、バンドは自然消滅状態に。
バンドの記念として自分たちの曲をテープに録ってライブハウスに残したものを、たまたまプライベートで札幌に居合わせたRCサクセションの忌野清志郎が、このライブハウスを訪れテープを聞き、放った一言「いいじゃん!!」がきっかけでデビューとなる。
先に東京に住んでいた森若以外のメンバーを、忌野清志郎が呼び寄せるかたちで、東京での活動が始まる。
まだアマチュアバンドだったGO-BANG'Sのデモテープ制作や演奏方法に、RCサクセションのメンバーも色々親身になってアドバイスし、後に「これがプロデビューに大きなきっかけになった」と森若は語っている。
ざまぁカンカン娘
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1989年8月から『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場し、4週連続で勝利し、2代目グランドイカ天キング獲得に王手をかけたが、9月2日の対決にて登場した挑戦者のBEGINに、審査員投票にて6対1の大差で敗北し、グランドイカ天キングは獲得できなかった。
オリコンのチャートで最高9位を記録し、『夜のヒットスタジオSUPER』などにも出演する活躍ぶりを見せた。
NORMA JEAN (ノーマジーン)「GET A CHANCE」 - YouTube
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「イカすバンド天国」の1989年5月20日放送の回に出場、なお、この時はヴォーカルとギターがデビュー時とは違っていた。
メジャーデビューの際、タレント養成所ジャパン・アーチスト・オフィスに在籍していた塚田彩湖をレコード会社がスカウトし新ヴォーカリストとして迎えいれる。
1990年7月にメジャーデビューし、シングル8枚、アルバムを8枚リリース。
デビュー曲であるフジテレビ系ドラマ『キモチいい恋したい!』主題歌「P.S. I LOVE YOU」がいきなり大ヒットでオリコン最高2位。
P.S. I Love You
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ファースト・シングル「また逢える…」がテレビドラマ『君のためにできること』の挿入歌となり大ヒットする。
ボーカルの浜口が作詞を、ギタリストの安宅が作曲を担当している。
安宅(ギター)は松本孝弘提供の「孤独のRunaway」(後にB'zがセルフカバー)でKIX-S結成以前にギタリストとしてソロデビューしている。
また逢える…
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