サーカス
子供のころに耳にしたサーカスといえば「木下大サーカス」「キグレサーカス」「ボリショイ・サーカス」などでしたでしょうか。
「ボリショイ・サーカス」については日本の興行会社がソ連のさまざまなサーカス団を呼び「ボリショイ・サーカス」という共通呼称で呼んだものだそうですから団体名ではありませんでした。
よく「サーカス団の子供たちは学校どうしてるんだろ?」とか不思議に思ったもんです。
「ボリショイ・サーカス」については日本の興行会社がソ連のさまざまなサーカス団を呼び「ボリショイ・サーカス」という共通呼称で呼んだものだそうですから団体名ではありませんでした。
よく「サーカス団の子供たちは学校どうしてるんだろ?」とか不思議に思ったもんです。
サーカスの起源は古代
キグレサーカス フィナーレ(飛べピーターパン1989) - YouTube
via www.youtube.com
近代サーカスの歴史
動物芸、人間の曲芸に加えて「道化芸(ピエロ)」が誕生
ピエロは近代サーカスから登場
近代サーカスはイギリス人退役軍人のフィリップ・アストリーによって確立され、ヨーロッパからロシア・アメリカへと広がったとされています。
従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは道化芸という概念を新たに取り入れました。
道化芸は19世紀初頭に活躍したパントマイム役者ジョセフ・グリマルディ、ジーン・オリオールらによって現在の喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取るというスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりの姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつに。
従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは道化芸という概念を新たに取り入れました。
道化芸は19世紀初頭に活躍したパントマイム役者ジョセフ・グリマルディ、ジーン・オリオールらによって現在の喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取るというスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりの姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつに。
via mag.japaaan.com
日本でのサーカスの歴史
日本にはじめてサーカスが訪れたのは1864年、「アメリカ・リズリー・サーカス」による横浜での興行。
それまで日本でも見世物は存在しましたが、それぞれ芸種別に一座を組んで個々に興行を行うというスタイルが一般的で様々な演目を一度に見せるというサーカスは大きな反響を呼びました。
1886年、イタリアのチャリネ一座が来日。この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演しています。
それまで日本でも見世物は存在しましたが、それぞれ芸種別に一座を組んで個々に興行を行うというスタイルが一般的で様々な演目を一度に見せるというサーカスは大きな反響を呼びました。
1886年、イタリアのチャリネ一座が来日。この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演しています。
1899年「日本チャリネ一座」が国内では最初のサーカス
日本チャリネ一座では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露。その後、大正末から昭和にかけて有田サーカス・木下大サーカス・シバタサーカスなどが続々と創立し、人気を博しました。
各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、1933年のハーゲンベック・サーカスの来日以後のことでした。
1948年に児童福祉法が制定され、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止されました。これによって、年少期に芸を仕こまなければならないサーカスの手で芸の後継者を育てる事が困難に。現在日本のサーカスで子供達が出演しないのはこの法によるものです。
各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、1933年のハーゲンベック・サーカスの来日以後のことでした。
1948年に児童福祉法が制定され、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止されました。これによって、年少期に芸を仕こまなければならないサーカスの手で芸の後継者を育てる事が困難に。現在日本のサーカスで子供達が出演しないのはこの法によるものです。
1930年代から1960年代までは20~30団体があったがその後激減、1995年には国際サーカス、1996年には矢野サーカスが活動を休止しました。
木下大サーカス、キグレサーカス、カキヌマ大サーカスの3団体を残すのみとなりましたが、1996年12月にポップサーカスが旗揚げし、キグレNewサーカス・木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされることとなりました。
木下大サーカス、キグレサーカス、カキヌマ大サーカスの3団体を残すのみとなりましたが、1996年12月にポップサーカスが旗揚げし、キグレNewサーカス・木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされることとなりました。
1992年、テレビ局のタイアップでシルク・ドゥ・ソレイユが来日。再びサーカスブームが訪れます。
2001年、NPO法人国際サーカス村協会が運営する4年制の沢入国際サーカス学校が日本唯一のサーカス学校として創立。
2010年、日本三大サーカスのひとつとされていたキグレNewサーカスが、10月19日付で事業を停止したと発表。
2010年、日本三大サーカスのひとつとされていたキグレNewサーカスが、10月19日付で事業を停止したと発表。
古代エジプト時代に始まりローマ時代にその原型がなされました。また近代サーカスの原点としては1770年のイギリス「アストリー・ローヤル演芸劇場」での開催。
語源はラテン語で円周・回転を意味する語であるとする説と、古代ローマにおいて人間と猛獣の格闘などに使用された円形競技場(キルクス)であるとする説があります。
現在の動物の芸や人間の曲芸が見世物として成立したのは古代エジプト時代であり、それらを円形の劇場において実施するという形態が取られ始めたのが古代ローマ時代とされています。