2019年12月12日 更新
芸能人の薬物騒動で思い出す!1980年に起こった「ポール・マッカートニー」の大麻摘発!!
いつの時代も世間を騒がせる、芸能人の「薬物騒動」。昭和の時代にも、海外の「超大物」が大麻所持で摘発されたことがあります。それが今回ご紹介する、1980年に起こったポール・マッカートニーの事件です。
1980年に発生した、ポール・マッカートニーの「大麻摘発」!!
いつの時代も世間を騒がせる、芸能人の「薬物騒動」。最近も有名女優が逮捕され、ワイドショーはその話題で持ちきりとなりました。一方で昭和の時代にも、海外の「超大物」が大麻所持で摘発されたことがあります。それが今回ご紹介する、1980年に起こったポール・マッカートニーの事件です。
当時の新聞報道はこちら!
事件が発生したのは1980年1月16日のこと。当時ポールが組んでいたバンド「ウイングス」が来日公演のため成田空港を訪れた際、税関で大麻所持を指摘され、麻薬取締法違反の現行犯で逮捕されてしまいました。所持していた大麻が“219グラム”というとんでもない量であることも話題に。その結果、日本武道館などで予定されていたライブツアー「Wings Japan Tour 1980」は全て中止となり、バンドとしての活動も休止状態に陥ってしまいました。そして翌1981年、メンバーのデニー・レインがバンドを脱退したことで、ウイングスは自然消滅となりました。
逮捕後のインタビューはこちら!
VIDEO
ポールマッカートニー「大麻よりも睡眠薬や深酒などの方が危険」
ビートルズの解散後、ポールは何をしていたのか?
1970年のビートルズ解散から、大麻所持による逮捕前夜までの、ポールの足取りを少し掘り下げてみたいと思います。1970年4月10日、ポールはビートルズからの脱退を宣言しました。これによりビートルズは事実上解散。その直後にファースト・ソロ・アルバム「マッカートニー」を発表し、ミュージシャンとしての再スタートを切りました。
1971年より、ウイングスとしての活動を開始!
翌1971年には、妻のリンダ及び元ムーディー・ブルースのデニー・レインを中心にロックバンド「ウイングス」を結成。以降、「マイ・ラヴ」「心のラブソング」「幸せのノック」といったヒットを立て続けに飛ばしました。これは、ポール以外のビートルズの元メンバーのソロ活動が70年代半ばに低調になっていたのとは対照的であり、「ウイングスのステージを聴きに来たファンが『ビートルズって何?』と言った」という噂があるほどに、ビートルズの元メンバーという肩書からの脱却に成功していたと言えます。
長男ジェイムズの誕生~ラストアルバムの発表
1977年9月には、長男のジェイムズが誕生。リンダの産休中に「夢の旅人」を発表しており、この曲は全英シングルチャートで9週連続1位となる大ヒットとなりました。そして、1979年にはパンクやニュー・ウェイブなどから影響を受けたアルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」を発表。1980年の初の来日公演に向けて準備万端だったのですが、前述の通り大麻騒動を引き起こしてしまいました。結果的に、「バック・トゥ・ジ・エッグ」はウイングスのラストアルバムとなっています。
大麻騒動に追い打ち…ジョン・レノンの悲劇
大麻騒動により活動の停滞を余儀なくされたポールですが、ジョージ・マーティンをプロデューサーに迎え、ニューアルバムの制作に取り掛かりました。しかし、そんな中1980年12月8日に発生したのが「ジョン・レノン射殺事件」です。突然のジョンの訃報に、ポールの精神的なショックは非常に大きく、アルバムの制作は休止状態に。それ以後、ウイングスは活動を再開することなく、前述のデニー・レインの脱退により事実上の解散となりました。
「最悪」と言われた1980年を乗り越え…その後の来日状況は?
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