風船おじさんと呼ばれた鈴木嘉和氏
ファンタジー号で借金返済を試みる
ピアノカラオケの「マイナスワンテープ」というオーケストラからピアノの音を抜いた録音テープの販売や銀座で音楽サロン「あんさんぶる」を開店、麻雀荘やコーヒーサロン、パブレストランなどを経営するものの1990年約4億円の負債を抱えて倒産。
このとき、ビニール風船26個を付けたゴンドラ「ファンタジー号」太平洋横断で借金を返済すると債権者に語っていたそうです。
1992年4月17日、警官の制止を振り切って風船で飛び立ち民家の屋根に不時着
風船おじさん PartⅠ(1992年4月20日)
椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行したものの、おもりの15kgの砂袋2個がはずれて急上昇、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達してしまい、手持ちのライターの火であぶって5メートルの風船を切り離しました。
その後風船は急降下し、出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着。
ところが左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた蒲田署員に謝罪しつつも、成功すれば次はハワイをめざす予定だったと、改めて再挑戦することを誓っていました。
1992年11月23日、ファンタジー号事件
ファンタジー号について
ゴンドラの外形寸法は約2m四方・深さ約1mで、海上に着水した時の事を考慮し、浮力の高い檜を使用。
ゴンドラ製作を依頼されたのは桶職人で、桶造りでは東京江戸川区の名人と言われる人物。
風船のガスが徐々に抜けて浮力が落ちるため、飛行時に徐々に捨て機体の浮上を安定させる重り(バラスト)を用意していました。重りの中身は、厳寒でも凍らない焼酎を使用。
積載物は、酸素ボンベとマスク、1週間分の食料、緯度経度測定器、高度計、速度計、海難救助信号機、パラシュート、レーダー反射板、携帯電話、地図、成層圏の零下60度以下の気温に耐える為の防寒服、ヘルメットに紫外線防止サングラス等。
試験飛行の名目だった当日、しかし風船おじさんはアメリカに向けて飛び立ちます
「行ってきます」の言葉とともに周りの制止を振り切って出発
「どこへ行くんだ」という声に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎のびんを地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発しました。
ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに到達。約3時間の監視ののち雲間に消えたため、捜索機は追跡を打ち切りました。
以後はSOS信号は確認されず、家族から捜索願が出されたことを受けて12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカ合衆国とカナダとロシアに救難要請を出しました。
風船おじさんの計算では、ファンタジー号が高度1万メートルに達すれば、ジェット気流に乗って40時間でアメリカに到着するはずだったものの、以後の消息は不明です。
ピアノ調律師で自称冒険者でした。