「僕らの7日間戦争」などでも主演を務め、清純派女優として人気絶頂だった宮沢りえのヘアヌード写真発売。まだ、当時は樋口可南子などごく一部しかヘアが解禁されていなかった時代もあって、衝撃度はこれ以上のものはでないとまで言われている。
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『Santa Fe』(サンタフェ)は、1991年(平成3年)11月13日に朝日出版社から発売された宮沢りえのヌード写真集。撮影は篠山紀信。発売当時の宮沢は18歳であり、18歳になったから撮影を持ち掛けたと篠山はのちに語っているが、撮影時点では17歳であったとも報じられた]。宮沢が当時人気絶頂だったこともあって155万部のベストセラーとなり、これは日本における芸能人写真集の売上部数としては未だに破られていない。
勝新太郎大麻逮捕
1990年1月16日、ハワイのホノルル空港で、下着の中にマリファナを隠し持っていたという容疑で、破天荒俳優である勝新太郎が現行犯逮捕された。
正直、ここまでではよくある?芸能人の薬物でのスキャンダルですが、破天荒と言われるだけあって、その後の対応も仰天なものだった。
正直、ここまでではよくある?芸能人の薬物でのスキャンダルですが、破天荒と言われるだけあって、その後の対応も仰天なものだった。
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現行犯逮捕となり、急きょハワイで会見を行う事となった勝新太郎。その際に芸能史に残る名言?迷言を残しています。
、「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」とコメントしたのです。
更には、1年の収監後、日本に帰国する際も「総理大臣の代わりはいるが、勝新太郎の代わりはいない」と言い放つなどまさに破天荒そのものな生き方を貫きました。
、「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」とコメントしたのです。
更には、1年の収監後、日本に帰国する際も「総理大臣の代わりはいるが、勝新太郎の代わりはいない」と言い放つなどまさに破天荒そのものな生き方を貫きました。
1990年1月、アメリカ合衆国ハワイ州のホノルル空港で下着にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕される。麻薬を下着に入れていた理由について「気付いたら入っていた」としらを切り、逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し、結局誰から薬物を受け取ったかについて、最後まで口を割ることはなかった。帰国した翌年に日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決を受ける。裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれている。
チェッカーズ確執解散
当時、女性からは黄色い声援を浴び続け、男性も髪型を真似るなどトップアイドルだったチェッカーズが解散を発表。ラストとなった武道館5daysや、最後の出演となったNHK「紅白歌合戦」は、今もファンの中で語り草となっている。
後日談として、メンバーの一人で、藤井フミヤとは幼稚園時代からの幼馴染である高杢禎彦が、著書「チェーカーズ」を発売し、その本のなかで、藤井フミヤのことを痛烈に批判した。そのことにより、解散の理由はフミヤと高杢の確執であると白日の目に晒される事となった。
確執理由は以下の通り。
確執理由は以下の通り。
1991年、フミヤが一方的に長期の休暇を取ってチェッカーズを休業させた。理由は、前年に結婚した夫人と海外でバカンスを楽しむためだった。
帰国してから数ヵ月後、フミヤがメンバーを集めてチェッカーズ自体の解散を主張し、武内享・大土井裕二・藤井尚之が賛成。その後の解散に至った。
解散についてのミーティングを、フミヤがクラブで酒を飲みながら実施しようとしたため、真剣な話し合いを求めた高杢が激怒した。
解散を発表した後の全国ツアー中、自己管理が足りず(地方で遊んでいたため)フミヤが喉を潰し、ガラガラ声でのライブとなってしまった。しかもライブ中のMCでは、その原因を「スケジュールが忙しいから」と言い訳した。
ツアー最終公演(チェッカーズとしての最後のライブ)の直前、オフの日にフミヤは喉の治療のために静養すべきなのに、外出していた。
チェッカーズ最後の紅白 - YouTube
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貴乃花、宮沢りえ破局
当時、空前の大相撲ブーム。その主役に君臨していた貴乃花と、これまたスター街道をひた走っていた宮沢りえの婚約というビックニュースに世間はざわつきましたが、わずか3か月後、突然の破局、婚約解消となり、世間は諸説噂が流れだしました。
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あくまでも噂レベルとして、破局理由は、りえママの素行の悪さが相撲協会が嫌がったとか、貴乃花の本当の父親が誰かという問題をりえママが世間にばらすと、脅迫して多額の金を支払ったなど諸説言われていますが、真相は本人のみぞ知る話となっています。
1992年11月27日、貴花田(当時関脇、現在の貴乃花親方)との婚約を発表。当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は“世紀のカップル誕生”と大きな話題となる。しかし、1993年1月27日、「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、わずか2か月間で婚約解消を発表。
ただ、周囲によると再結成は難しいなんて言われている。